レオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作と称されるのが「最後の晩餐」です。『ダ・ヴィンチ・コード』では、この誰もが一度は目にしたことのある名画に、レオナルドがいくつかの秘密を暗号化して示しているとしています。
「最後の晩餐」The Last Supperについては、こちらのサイトで、構図、画法、関連する資料など詳細な情報を手にすることができます。
この絵は、ミラノにあるサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会の食堂の壁画として描かれたものです。1495年、当時レオナルドのパトロンだったミラノ公爵ルドヴィコ・スフォルツァの依頼を受けて制作に取りかかり、1498年2月に完成させています。絵の大きさは縦420cm横 910 cm 。人物はほぼ等身大で描かれています。
「最後の晩餐」とは、イエスが処刑される前日、十二使徒とともにとった夕食のことです。
「特にあなた方に言っておくが、あなた方の中のひとりで、私と一緒に食事をしている者が私を裏切ろうとしている」(マルコの福音書)。この絵は、イエスがこのように言った瞬間を切り取って描いたものです。
ローマ時代から、壁画や天井画には通常フレスコ画技法が用いられてきました。フレスコ画は、壁に漆喰を塗り、それが乾ききる前に顔料を載せるという技法です。そうして描かれた絵は完全に壁と一体化し、ほぼ永続的に保存されます。しかし、レオナルドはこの絵を描くにあたって、フレスコ画だと使える色が限られること、漆喰が渇かないうちに描かなければならないという時間的制約、重ね塗りや描き直しが不可能といったことを嫌い、あえてテンペラ画の技法を用いたのです。
ところが、これは大失敗でした。テンペラ画は、キャンバスや木板に顔料を油で定着させる方法で、温度や湿度の変化に弱く、そもそも壁画には向いていないのです。もちろんレオナルドもそんなことはわかっていて、渇いた漆喰の上に薄い膜を作り、その上に卵を混ぜた顔料を載せていったのですが、湿度の高い気候に加えて、食堂という湿気の高い場所も災いし、完成直後から顔料がはげ落ちる有様でした。
これまで何度も修復は行われてきていますが、満足のいくものではありませんでした。それどころか、一時この部屋が馬小屋として使われていたり、洪水で水浸しになったり、第二次世界大戦中の爆撃で建物が破壊されて3年間も野ざらしにされていたりと、現在まで残っていること自体が奇跡といっていいくらいのダメージを受け続けています。
1999年、20年以上にわたって行われた大修復が終了しました。この大修復作業では、主に洗浄が中心となり、表面に付着した汚れだけでなく、これまでの修復で加えられてしまった顔料が除去され、500年ぶりにレオナルドが描いたままの姿がよみがえりました。その結果、新たに明らかになったことがいくつかありました。たとえば、テーブルに並べられた料理が魚料理であること、イエスの口が心持ち開いていること、背景の黒い部分にはタペストリーが掛けられていることなどです。
また、イエスの顔の向かって左側のこめかみ付近に、「釘を打った穴」が見つかりました。これまでも言われていたことですが、この絵は「一点透視遠近法」で描かれています。つまり、天井、壁、床、テーブルなどの線を1点に集中させることによって奥行き感を演出しているのです。レオナルドは、釘に糸を結びつけて下絵の線を引いたのでしょう。
その奥行きのある空間に、イエスを中心として12人の使徒が3人ずつ4つのパートに配置されています。レオナルドの巧みな演出には驚嘆の念を禁じ得ません。12人の使徒たちはそれぞれに動きを持ち、驚きや嘆きの表情が見て取れます。なお、描かれている十二使徒の順番は、左から右に、バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ユダ、ペテロ、ヨハネ、(イエス)、トマス、大ヤコブ、ピリポ、マタイ、タダイ、シモンと言われています。
『ダ・ヴィンチ・コード』で示されている「秘密」というのは、イエスの向かって左側にいるヨハネが実は女性で、マグダラのマリアだということ、また、その左にいるユダの背中にナイフを持った手が見えるが、この手は12人の誰の手でもないという点です。
先述した大修復の結果よみがえった絵をもとに、NHKが作成したCGがあります。上の画像もこちらのこちらのサイトから拝借したものですが、これを見ると、「謎」が一気に解けるようです。
ヨハネだと言われている人物は、確かに女性のようにも見えます。レオナルドは「両性具有」を理想としていたとも言われますが(彼自身、男色の罪で2度逮捕されています)、女性的特徴をもった男性を描くことがありました。あの「モナリザ」だって、彼自身の自画像という説もあるくらい、中性的な顔立ちと言えます。また、この人物がテーブルの上で組んでいる手を見ると、その大きさや様態からすると、やはり男性の手という感じがします。
「ナイフを持った手」については、CGを見ると、明らかにペテロの右手であることがわかります(上の写真)。やや不自然な格好ではありますが、確かにペテロがナイフを持った手を腰に当てていますね。
また、『ダ・ヴィンチ・コード』ではさらに、ペテロの左手がヨハネ(マグダラのマリア?)の首を掻き切ろうとしていると解釈していますが、これもCGを見ると、人差し指がイエスに向けられており、あとの指は下に向けられているのが見て取れます。このポーズでは首を掻き切ることはできません。
「最後の晩餐」をめぐる謎は、結局「画像の不鮮明さ」がもたらした解釈によるものと言えるようです。
『ダ・ヴィンチ・コード』関連本>>Amazon.co.jp
「最後の晩餐」The Last Supperについては、こちらのサイトで、構図、画法、関連する資料など詳細な情報を手にすることができます。
この絵は、ミラノにあるサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会の食堂の壁画として描かれたものです。1495年、当時レオナルドのパトロンだったミラノ公爵ルドヴィコ・スフォルツァの依頼を受けて制作に取りかかり、1498年2月に完成させています。絵の大きさは縦420cm横 910 cm 。人物はほぼ等身大で描かれています。
「最後の晩餐」とは、イエスが処刑される前日、十二使徒とともにとった夕食のことです。
「特にあなた方に言っておくが、あなた方の中のひとりで、私と一緒に食事をしている者が私を裏切ろうとしている」(マルコの福音書)。この絵は、イエスがこのように言った瞬間を切り取って描いたものです。
ローマ時代から、壁画や天井画には通常フレスコ画技法が用いられてきました。フレスコ画は、壁に漆喰を塗り、それが乾ききる前に顔料を載せるという技法です。そうして描かれた絵は完全に壁と一体化し、ほぼ永続的に保存されます。しかし、レオナルドはこの絵を描くにあたって、フレスコ画だと使える色が限られること、漆喰が渇かないうちに描かなければならないという時間的制約、重ね塗りや描き直しが不可能といったことを嫌い、あえてテンペラ画の技法を用いたのです。
ところが、これは大失敗でした。テンペラ画は、キャンバスや木板に顔料を油で定着させる方法で、温度や湿度の変化に弱く、そもそも壁画には向いていないのです。もちろんレオナルドもそんなことはわかっていて、渇いた漆喰の上に薄い膜を作り、その上に卵を混ぜた顔料を載せていったのですが、湿度の高い気候に加えて、食堂という湿気の高い場所も災いし、完成直後から顔料がはげ落ちる有様でした。
これまで何度も修復は行われてきていますが、満足のいくものではありませんでした。それどころか、一時この部屋が馬小屋として使われていたり、洪水で水浸しになったり、第二次世界大戦中の爆撃で建物が破壊されて3年間も野ざらしにされていたりと、現在まで残っていること自体が奇跡といっていいくらいのダメージを受け続けています。
1999年、20年以上にわたって行われた大修復が終了しました。この大修復作業では、主に洗浄が中心となり、表面に付着した汚れだけでなく、これまでの修復で加えられてしまった顔料が除去され、500年ぶりにレオナルドが描いたままの姿がよみがえりました。その結果、新たに明らかになったことがいくつかありました。たとえば、テーブルに並べられた料理が魚料理であること、イエスの口が心持ち開いていること、背景の黒い部分にはタペストリーが掛けられていることなどです。
また、イエスの顔の向かって左側のこめかみ付近に、「釘を打った穴」が見つかりました。これまでも言われていたことですが、この絵は「一点透視遠近法」で描かれています。つまり、天井、壁、床、テーブルなどの線を1点に集中させることによって奥行き感を演出しているのです。レオナルドは、釘に糸を結びつけて下絵の線を引いたのでしょう。
その奥行きのある空間に、イエスを中心として12人の使徒が3人ずつ4つのパートに配置されています。レオナルドの巧みな演出には驚嘆の念を禁じ得ません。12人の使徒たちはそれぞれに動きを持ち、驚きや嘆きの表情が見て取れます。なお、描かれている十二使徒の順番は、左から右に、バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ユダ、ペテロ、ヨハネ、(イエス)、トマス、大ヤコブ、ピリポ、マタイ、タダイ、シモンと言われています。
『ダ・ヴィンチ・コード』で示されている「秘密」というのは、イエスの向かって左側にいるヨハネが実は女性で、マグダラのマリアだということ、また、その左にいるユダの背中にナイフを持った手が見えるが、この手は12人の誰の手でもないという点です。
先述した大修復の結果よみがえった絵をもとに、NHKが作成したCGがあります。上の画像もこちらのこちらのサイトから拝借したものですが、これを見ると、「謎」が一気に解けるようです。
ヨハネだと言われている人物は、確かに女性のようにも見えます。レオナルドは「両性具有」を理想としていたとも言われますが(彼自身、男色の罪で2度逮捕されています)、女性的特徴をもった男性を描くことがありました。あの「モナリザ」だって、彼自身の自画像という説もあるくらい、中性的な顔立ちと言えます。また、この人物がテーブルの上で組んでいる手を見ると、その大きさや様態からすると、やはり男性の手という感じがします。
「ナイフを持った手」については、CGを見ると、明らかにペテロの右手であることがわかります(上の写真)。やや不自然な格好ではありますが、確かにペテロがナイフを持った手を腰に当てていますね。
また、『ダ・ヴィンチ・コード』ではさらに、ペテロの左手がヨハネ(マグダラのマリア?)の首を掻き切ろうとしていると解釈していますが、これもCGを見ると、人差し指がイエスに向けられており、あとの指は下に向けられているのが見て取れます。このポーズでは首を掻き切ることはできません。
「最後の晩餐」をめぐる謎は、結局「画像の不鮮明さ」がもたらした解釈によるものと言えるようです。
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改めてyappiさんの本サイトを訪問したら・・・社会科教育の先生でいらっしゃるのですね。これは、ブログの記事が丁寧で分かりやすく公平でいらっしゃるのも納得しました!しかも、「生涯教育」関係の記事もたくさん執筆されていて・・・。IZUは大学の図書館員で、地域貢献にとても興味を持っています。これからは、そういう興味でも拝見させていただきたいと思います。<(_ _)>
PS.IZUは「ifの迷宮」はなかなか面白く読みました♪でも、次作を読んでいないのはやっぱり文章が・・・?なのかもしれません。(^^)
は、湯だの間違いでは?
ペテロはヨハネとユダの間。
ナイフは後の裏切りを暗示してるのでは?
順番から言うと、私が調べた限りではすべて、左から「ユダ、ペテロ、ヨハネ…」となっています。これは座っている位置ではなくて、「顔」の位置の順だと思います。したがって、ナイフを持っているのはペテロで、ユダはその隣でイエスの言葉を聞いてのけぞっている男になります。ユダは右手に何か握っていますが、これはローマにイエスを売って得た金が入っている袋と言われています。また、左手はイエスと同じ皿もしくはグラスに向かって延ばされています。
です。すみません
この絵のナイフの手を普通に戻すと刃が上になりますけど・・・
この場合、たまたまあんな格好をしているから刃が上を向いているだけであって、普通に戻すと、刃は親指側つまり身体の方を向きます。ちょうどりんごを剥く時のようにな持ち方になりませんか?
フォークは当時まだありませんから、西洋人がパンや肉を切って口に運ぶ時には、こういう持ち方をしていたようです。
「最後の晩餐」の使徒ヨハネろマグダラのマリアと見る説や、隠された音楽などについて、ほぼ、その真相を探り当てたと思っています。ただ、レオナルドに関しては調べれば調べるほど謎が深まってゆくという、皆さんもご経験のあることと思いますが、途方もない天才だと思います。その謎の一端を解読した私の電子本ですが、よろしければご覧下さい。
隠された歌は真実を告げる 第1巻~第8巻 第1巻 "最後の晩餐“に秘められた裏の歌は”モナ・リザ“の秘密を明かす!
レオナルド・ダ・ヴィンチと錬金術 前篇
リガトゥ―ラとは連続する複数の音符をひと筆で書くもので、この頃はよく使われました。紙の高い時代にスペースの節約になるんですね。この絵では、ペトロのナイフを握った右手をG音(ソ)、ナイフの切っ先をA音(ラ)として配置しています。
実は、「最後の晩餐」には三声部の歌の楽譜が隠されています。上声部は上の手の流れ、中声部はその下、そして、低声部は足が示しています。
詳しくは、電子図書ですが、
「隠された歌は真実を告げる」
第1巻レオナルドと錬金術(生江隆彦著)
をお読み下さると、ご理解いただけると思います。
イエスの右手に使徒ヨハネが座っていますが、これをマグダラのマリアと解釈する説が散見されます。ダ・ヴィンチコードもこの説を小説の中の一つのポイントとして、うまく使っていた気がします。
しかし、この説は間違いであることを私は証明しました。その中身はというと、
1.ヨハネとイエスの間はMの字の一部ではなく、直角である。天才レオナルドは、このような醜いMの字を画には描かない。ここには直角定規を置くべきである。
2.隣のイエスはコンパスの形をしている。これは、フリーメーソンの入会の儀式の最後の部屋の机の上に、ヨハネの福音書のところを開いた聖書の上に、石工の道具である直角定規とコンパスを乗せていることを連想しなさいという意味です。イエスの姿形は、これもフリーメーソンの象徴であるプロヴィデンスの目の形でもありますね。
3.しかし、このフリーメーソンの象徴をたくさん入れこむことは、レオナルド自身がフリーメーソンだと言っているわけではなく、入会の儀式のとき、最初に通される部屋の壁に書かれている、V.I.T.R.I.O.L.という文字を思い出せという意味です。これは錬金術の箴言の“Visita Interiora Terrae, Rectificando(que), Invenies Occultum Lapiden Veram Medicinam.”「大地の奥底を訪ねよ、そして精留をなせ、さすれば、汝は隠された真の魔法の石(=賢者の石)を見出すであろう。」という言葉を導くために使われているというのが私の説です。
4.では、それは何のためかというと、もう一つの隠された歌の楽譜の歌詞なのです。前の当行では、三声部の歌の歌詞をいうのを忘れましたが、こちらはイタリア語の新約聖書のマルコの福音書の当該部分のイエスと弟子たちのやり取りが歌詞になっています。こちらは縦の音階を読むのですが、もう一つの方は横の音階を読みます。なぜ、レオナルドは錬金術の箴言・・・これは中世の間、ヨーロッパ中に知られていた文句(ラテン語)です・・・をわざわざ歌詞にしたのか? その謎を追いかけたのが先ほどの拙著「隠された歌は真実を告げる」第1巻と第2巻です。
長々と失礼いたしました。