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『天使と悪魔』その2─コンクラーベ(1)

2006-07-26 | └『ダヴィンチ・コード』・『天使と悪魔』
『天使と悪魔』の主な舞台となるのが、カトリック教会の総本山にして、世界最小の主権国家ヴァチカン市国。折しもヴァチカンでは次期ローマ教皇を選出する選挙の真っ最中。この選挙を「コンクラーベ」と言います。昨年、前教皇ヨハネ・パウロ2世の死去に伴うコンクラーベが行われたのは記憶に新しいところです。「白い煙」「黒い煙」はすっかり有名になりましたね。

そもそも、「ローマ教皇」とは、カトリック全世界の教会を統括する最高位の司教です。初代教皇とされるのがイエスの最初の弟子にして、天国への鍵を託されたというペテロ。以来、現在のベネディクト16世に至るまで、約2000年間に265人が世界でたった一人の最高位に座っています。

世界史の教科書を見ても、歴史上に名前を残す教皇は枚挙にいとまがありません。

・グレゴリウス1世(位590-604)/"大教皇"と呼ばれ世俗権力に対する教皇権を確固たるものとした。
・レオ3世(位795-816)/カールに戴冠した。
・グレゴリウス7世(位1073-85)/聖職叙任権をめぐって神聖ローマ皇帝と争い、「カノッサの屈辱」事件で皇帝に謝罪させた。
・ウルバヌス2世(位1088-99)/第1回十字軍を提唱した。
・インノケンティウス3世(位1198-1216)/教皇権の絶頂期を現出した。
・ボニファティウス8世(位1294-1303)/逆に教皇権の衰退を象徴するアナーニ事件の主役となった。
・レオ10世(位1513-21)/宗教改革の原因となった。
etc.

中世ヨーロッパにもしテレビがあったなら、ローマ教皇がニュースに登場しない日はおそらくなかったにちがいありません。現在とは比較にならないほど、ローマ教皇の権力や世界に対する影響力は大きかったのです。

強大な権力を持つローマ教皇の選出は、古代においてもローマの聖職者と信徒たちの互選によって行われていました。ただし、皇帝や国王と違って、後継者を自ら指名することだけはできませんでした。現在のような「コンクラーベ」という枢機卿による選挙の形を取るようになるのは13世紀頃からと言われています。

「コンクラーベ」とは、ラテン語の「クム・クラーヴィ」(cum clavi=鍵と共に)という言葉に由来します。なぜ「鍵と共に」なのか? それは、1268年クレメンス4世死去後、3年近く次の教皇が選ばれなかったのに業を煮やした信者たちが、枢機卿たちを宮殿に閉じこめて鍵をかけ、教皇選出を迫ったというエピソードによります。

コンクラーベの会場つまり選挙人である枢機卿たちが閉じこめられる場所は、15世紀以降、システィナ礼拝堂(ミケランジェロの大壁画「最後の審判」及び天井画「天地創造」で有名な…)となりました。

昨2005年4月に行われたコンクラーベでは、新教皇にヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿が選出され、ベネディクト16世を名乗ることになりましたが、今回のコンクラーベからシスティナ礼拝堂に閉じこめられるという慣例は廃止されました。枢機卿たちは、ヴァチカン内の宿舎に寝泊まりしながら、システィナ礼拝堂に通う形で選挙が行われています。ただ、公正を期すため、コンクラーベが終わるまで外界と連絡をとることは固く禁止されているそうです。宿舎の聖マルタ館は、電話もインターネットも遮断されます。

なお、コンクラーベは、教皇の死後、15日~20日の間に開かれることとなっていますが、これは全世界の枢機卿120名がローマに集まるための期間だそうです。また、選挙に参加できる枢機卿は80歳未満の聖職者に限られています。

『天使と悪魔』には、コンクラーベの様子が次のように描かれています。

伝統にのっとり、枢機卿たちはコンクラーベの二時間前に会場に集まって顔見知りをつかまえ、最後の議論を戦わせる。午後七時、前教皇の侍従が入場し、開会の祈りを捧げたのち、退場する。つづいてスイス衛兵が扉を封印し、すべての枢機卿を会場内に閉じこめる。こうして、世界で最も古く秘密に満ちた政治的儀礼がはじまる。枢機卿が解放されるのは、その中から次期教皇が選び出されたあとだ。

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