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カクレマショウ

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KKK幹部、40年ぶりの逮捕。

2005-01-14 | ■世界史
「ミシシッピー・バーニング」(1988年)は、1964年6月21日、米国ミシシッピ州で起こった公民権運動家3人の殺害事件を克明に描いた映画です。監督は、「アンジェラの灰」などで知られるイギリス人アラン・パーカー。ジーン・ハックマンとウィレム・デフォーが、まったくタイプの異なるFBI捜査官を好演しています。

2005年1月8日付けの各紙報道によると、この事件で、殺人容疑でKKKの幹部エドガー・レイ・キレン(79歳)が逮捕・起訴されたとか。実に40年ぶりの逮捕劇。

実は、事件当時(といっても事件発生から3年後ですが)、キレン被告を含む21(19?)人が起訴されているのです。ところが罪名は「殺人罪」ではなく、殺された3人の人権を侵害したというものでした。しかも、7人は「公民権を覆す陰謀罪」で有罪となったものの、キレン容疑者を含む12人は、全員が白人という陪審団の評決不成立により釈放されました。結局、「誰が3人に直接手を下したのか」という点はうやむやにされてしまったのです。今回の逮捕は、映画の冒頭で3人の乗った車を止め、無抵抗の3人の頭部に弾丸を撃ち込んだうちの一人がキレン被告ではないかということを意味するわけですね。

ところで、キレン被告が所属していた白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)ですが、そのルーツをたどると、19世紀までさかのぼります。

南北戦争(1861-65)終結後、元南軍兵士6人が社交クラブとして“Ku Klux Klan”を結成しました。その奇妙な名称は、「サークル」を意味するギリシア語をもじったものでした。6人は、ハロウィーンが来ると、お遊びとして、白い白衣をまとい、もっともらしく十字架を燃やす「儀式」をしていました。これが黒人たちをひどく恐れさせることを知ると、戦争後の黒人の地位向上に不満を持っていた白人たちのあいだに瞬く間に流行し、1867年にはテネシー州ナッシュヴィルで正式に結団式が行われました。首領には、南軍で騎兵隊長を務めたネイサン・フォレストが就任します(「フォレスト・ガンプ」では、「フォレスト」という名前は彼の名に因んで母親がつけたものとされています)。

ところが、KKKのメンバーによる黒人への暴力行為が激しくなったため、フォレストは1869年、自ら組織の解散を命じます。また連邦政府も1871年、KKKの取り締まりに乗り出したこともあり、表面上はKKKはいったん消滅します。

19世紀末から移民の流入が増加したこともあり、1915年には、黒人だけでなく新たにユダヤ人やカトリックをも標的とするWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の白人優越主義者たちが新生KKKを組織しました。1920年代には一時400万人ものメンバーを抱える一大結社となっていきます。

第二次世界大戦後、黒人たちが白人と同じ権利の保障を要求する運動を始めます。ところが、こうした動きに対抗するかのように、KKKの活動も再び活発化していきます。特に“ディープ・サウス”と呼ばれる南部の州では、黒人に対するリンチや放火、威嚇行為は日常茶飯事でした。教会での黒人襲撃や焼き討ちなど、「ミシシッピー・バーニング」でも、そんな状況が生々しく描かれています。また、KKKの幹部がマスコミのインタビューに応じるシーンでは、強烈な排他思想が語られており、KKKの偏った思想がよくわかります。

しかし、マーティン・ルーサー・キング牧師を中心とした非暴力による抵抗運動は確実に実を結び、1964年7月には「公民権法」が成立します。これにより、投票時の「読み書き試験」や公教育による隔離や差別の禁止などが定められ、黒人は法的にもようやく白人と同等の権利を勝ち取ることになったのです。

くだんの事件が起こったのは、公民権法成立のちょうど1ヶ月前のことでした。キレン被告は、40年前の3人の殺害容疑に対して、裁判で無罪を主張したとのこと。そればかりか、彼は以前の地元紙のインタビューではKKKとの関わりさえ否定しているといいます。

今回の逮捕は、別の事件で逮捕されたKKKの幹部の証言がきっかけとなったという報道もあります。KKKが絡んでいながら、これまで闇に葬られてきた事件も多いのではないかと推測されます。今後、この事件だけでなく、他の事案にも波紋が広がっていくのではないでしょうか。

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