イエスの生涯を描いた映画「キング・オブ・キングス」には、イエスが一人の女性を助ける場面が出てきます。人々がある女性を連れて来て、イエスに言います。「この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。」 するとイエスはそれに答えて、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」
このシーンは、もちろん、新約聖書の福音書の記述にある通りに描かれていますが、この女性が「マグダラのマリア」と呼ばれる女性です。「マグダラ」(Magdala)とはパレスチナ北部にある町で、彼女の生誕の地です。彼女は長いこと「娼婦」であると解釈されてきましたが、それが誤りであることをヴァチカンは1969年に認めています。
「ダ・ヴィンチ・コード」では、マグダラのマリアは、イエスの妻、もしくは親密な関係を持った女性であるとされています。『ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く』によれば、その論拠となっているのが、『レンヌ=ル=シャトーの謎:イエスの血脈と聖杯伝説』という本であり、この本では、マグダラのマリアはイエスの妻であり、イエスの処刑時には彼の子どもをみごもっていたと論じているのだそうです。
マグダラのマリアとイエスの関係については、前にも触れたように「最後の誘惑」という映画でも赤裸々に描かれ、カトリックの轟々たる非難を浴びたものですが、確かに新約聖書のどの福音書にも、二人の「男女の関係」を示すような記述は出てこないのです。彼女は、十二使徒とともにイエスに従って旅をし、イエスが十字架にかけられ処刑された時にも、その様子を見ていました。また、復活したイエスが最初に姿を現したのは、イエスの墓をのぞきに行った彼女の前であったとする福音書もあります。マグダラのマリアが聖書の中で登場するのはそう頻繁ではありませんが、いずれも重要な場面には必ず彼女の姿があるとみていいでしょう。
では、新約聖書に載らなかった他の福音書ではどうでしょうか。たとえば、グノーシス派(古代キリスト教の異端)の福音書では、マグダラのマリアは十二使徒よりもはるかにイエスに近く、その奥義を授かった女性とされています。またある福音書には、彼女を「妻」を連想させるような単語で記し、イエスがしばしば彼女とキスを交わしたことさえ書かれています(「ピリポ福音書」)。そのことにペトロをはじめとする十二使徒が不快感を感じたり、嫉妬を抱いていたという記述も見られます。これらの文書は、ローマカトリックが正式には認めていないものですから、当然、二人のそんな親密な関係も認めるはずがないのですね。なお、「ダ・ヴィンチ・コード」では、当時のユダヤ人社会の習いとして、20代のイエスが結婚していなかったことは考えられないといった指摘も見られます。
さて、イエスの死後、マグダラのマリアがどんな人生を歩んだかについては誰しも興味を覚えるところです。カトリックでは、母マリアとともに小アジアのエフェソスに移り住み、そこで死んだことになっています。
一方、「ダ・ヴィンチ・コード」では、ティービングのセリフとして、「シオン修道会によれば(中略)そのころガリアと呼ばれていたフランスへひそかに渡り、ユダヤ人社会にかくまわれた。そしてまさにここフランスで、ひとりの娘を出産した。名前はサラだ」と言わせています。さらに、ユダヤ人がイエスとマグダラのマリアに始まる「イエス・キリストの家系図」を残していると…。
シオン修道会というのは、マグダラのマリアの墓と、その血縁に連なる者(つまりイエスの子孫)を守るために作られた修道会です。その創設者ゴドブロワ(1061?-1100)は、第1回十字軍の指揮をとり、テンプル騎士団にソロモン神殿の廃墟から秘密文書を発掘するように命じた男です。ゴドフロワは、フランク王国を建国したメロヴィング朝の末裔であるとされ、「サラ」の血縁はそのメロヴィング朝に連なるというのです。次回はそのメロヴィング朝について触れます。
『ダ・ヴィンチ・コード』関連本>>Amazon.co.jp
このシーンは、もちろん、新約聖書の福音書の記述にある通りに描かれていますが、この女性が「マグダラのマリア」と呼ばれる女性です。「マグダラ」(Magdala)とはパレスチナ北部にある町で、彼女の生誕の地です。彼女は長いこと「娼婦」であると解釈されてきましたが、それが誤りであることをヴァチカンは1969年に認めています。
「ダ・ヴィンチ・コード」では、マグダラのマリアは、イエスの妻、もしくは親密な関係を持った女性であるとされています。『ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く』によれば、その論拠となっているのが、『レンヌ=ル=シャトーの謎:イエスの血脈と聖杯伝説』という本であり、この本では、マグダラのマリアはイエスの妻であり、イエスの処刑時には彼の子どもをみごもっていたと論じているのだそうです。
マグダラのマリアとイエスの関係については、前にも触れたように「最後の誘惑」という映画でも赤裸々に描かれ、カトリックの轟々たる非難を浴びたものですが、確かに新約聖書のどの福音書にも、二人の「男女の関係」を示すような記述は出てこないのです。彼女は、十二使徒とともにイエスに従って旅をし、イエスが十字架にかけられ処刑された時にも、その様子を見ていました。また、復活したイエスが最初に姿を現したのは、イエスの墓をのぞきに行った彼女の前であったとする福音書もあります。マグダラのマリアが聖書の中で登場するのはそう頻繁ではありませんが、いずれも重要な場面には必ず彼女の姿があるとみていいでしょう。
では、新約聖書に載らなかった他の福音書ではどうでしょうか。たとえば、グノーシス派(古代キリスト教の異端)の福音書では、マグダラのマリアは十二使徒よりもはるかにイエスに近く、その奥義を授かった女性とされています。またある福音書には、彼女を「妻」を連想させるような単語で記し、イエスがしばしば彼女とキスを交わしたことさえ書かれています(「ピリポ福音書」)。そのことにペトロをはじめとする十二使徒が不快感を感じたり、嫉妬を抱いていたという記述も見られます。これらの文書は、ローマカトリックが正式には認めていないものですから、当然、二人のそんな親密な関係も認めるはずがないのですね。なお、「ダ・ヴィンチ・コード」では、当時のユダヤ人社会の習いとして、20代のイエスが結婚していなかったことは考えられないといった指摘も見られます。
さて、イエスの死後、マグダラのマリアがどんな人生を歩んだかについては誰しも興味を覚えるところです。カトリックでは、母マリアとともに小アジアのエフェソスに移り住み、そこで死んだことになっています。
一方、「ダ・ヴィンチ・コード」では、ティービングのセリフとして、「シオン修道会によれば(中略)そのころガリアと呼ばれていたフランスへひそかに渡り、ユダヤ人社会にかくまわれた。そしてまさにここフランスで、ひとりの娘を出産した。名前はサラだ」と言わせています。さらに、ユダヤ人がイエスとマグダラのマリアに始まる「イエス・キリストの家系図」を残していると…。
シオン修道会というのは、マグダラのマリアの墓と、その血縁に連なる者(つまりイエスの子孫)を守るために作られた修道会です。その創設者ゴドブロワ(1061?-1100)は、第1回十字軍の指揮をとり、テンプル騎士団にソロモン神殿の廃墟から秘密文書を発掘するように命じた男です。ゴドフロワは、フランク王国を建国したメロヴィング朝の末裔であるとされ、「サラ」の血縁はそのメロヴィング朝に連なるというのです。次回はそのメロヴィング朝について触れます。
『ダ・ヴィンチ・コード』関連本>>Amazon.co.jp
「イエスは復活後最初に彼女の前に現われた(<ヨハネによる福音書>20:11~18)。彼女はその後南フランスへ行き、布教と30年の穏修生活ののち没したという。」
「また、サント=ポーム近郊の山中に、今日でもマリアの巡礼地とされるところがある。彼女はこの地の庵で30年間に渡り、断食と悔悛の日々を送った。日に7回天使が飛来し、天井に運ばれた彼女は束の間の歓喜にひたることを許された。ある日、一人の隠者が天に昇っていく彼女を目撃する機会に恵まれ、マルセイユへその知らせを持ち帰ったとされる」
彼女の聖遺物を複数祭る教会があり、真贋騒動もあったそうですよ。
貴重な情報をありがとうございました。
マグダラのマリア、知れば知るほど何か重大なキーパーソンのような気がしてきますが、その真実は永久にわからないのでしょうね。
これからもよろしくお願いします。
聖書はひたすらにマグダラのマリアのことを悪く書いています。しかし、実際は、王家の人間で、イエス(彼も王家の人間)と結婚するのは当たり前のことだったのです。イエスも人の子だと言うことです。
もう一枚のモナリザの話は、テレビでも見たことがあります。公開されるとしたら楽しみですね。
キリスト教は、イエスの神性を否定しては成り立たない宗教ですから、一つの「戦略」と言えるでしょう。
歴史関係本も多く出しております桜の花出版の千田と申します。
コメント欄からのご案内で大変失礼致します。
『ダ・ヴィンチ・コード』関連記事掲載サイトの皆様へ、お知らせしております。
この11月に、弊社から『ロスト・ゴスペル』の邦訳版が刊行されることになり、
早速、ご案内させて頂きました。
『失われた福音』
11月10日発売予定(11月上旬に全国版新聞広告掲載)
邦訳監修者 東京女子大学名誉教授 守屋彰夫
私自身は、クリスチャンではありませんが、どんな生活をされていたのだろう?
本当に結婚されていたのだろうか?等と、イエス様についてはとても関心がありました。
このたび、弊社で邦訳版を出すことになって、この原稿を読みましたが、予想外の大変なショックを受けました。
『ダ・ヴィンチ・コード』は、イエス様が結婚していたということで、アメリカではバチカンも巻き込んで大変な議論になった本ですが、これは、それ以上の衝撃。アメリカで物議をかもしたことがうなずけるすごい内容でした。
監修の守屋先生が「キリスト教歴史史上〜」と書かれていますが、
私は、原稿を読んで、あとにもさきにも、このような衝撃的な事実はもうないんじゃないかとさえ思いました。
それほどの驚くべき内容でした。
(宜しければ、詳しくは弊社HPをご覧ください。http://www.sakuranohana.jp/books/9784434226311/)
当時の社会的背景もとても興味深いものでした。
面白いです!
ぜひご一読下さい!
そして、興味を持たれましたら、御サイトでこの歴史的新事実を広めて頂けたら、大変有難く存じます。
ワクワク、ドキドキの謎解きの世界へ、ご一緒しませんか!
11月10日刊行の予定で、新聞広告も掲載致します(読売・産経の予定)。
ご迷惑でなければ、発売日が確定しましたらまたご連絡させて頂きます。
桜の花出版営業部:千田のメールアドレスはeigyobu@sakuranohana.jpです。
何かございましたら、いつでもお申し付けください。
宜しくお願い申し上げます。 千田新子
※このコメントは、ご案内ですので、管理人様だけに読んで頂ければ幸いです。