
今日は中秋の名月。
古来から月を愛でてきた日本人は、その満ち欠けに応じて、様々な呼び名をつけてきました。
1日目…新月、朔(さく)
3日目…三日月
7日目…上弦の月、弦月(ゆみはり)
13日目…十三夜月
14日目…十四日月、小望月(こもちづき)
15日目…満月、望月(もちづき)
16日目…十六夜(いざよい)
17日目…立待月(たちまちづき)
18日目…居待月(いまちづき)
19日目…寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)
20日目…更待月(ふけまちづき)
23日目…下弦の月
28日目…つごもり
17日目からは、月の出るのが遅くなるので、立って月が出るのを待ち、座って待ち、寝て待ち、ついには夜更けにならないと出てこない…。それだけ月を見るのを楽しみにしていたんですね。
十五夜は、もちろん15日目の満月を愛でる行事ですが、とくに、「中秋」つまり旧暦の秋にあたる7月~9月の真ん中の日すなわち8月15日の月がとくに美しく、また月が出る時間もちょうどいいというわけで、昔から十五夜と言えば「中秋の名月」を指すものとされてきました。
ただ、暦と月齢のズレから、旧暦の8月15日が必ずしも満月になるとは限らず、「中秋の名月」は、現在の新暦に当てはめると、9月中旬から10月上旬まで、年によってずいぶん差があります。
十五夜には、ススキや秋の花を飾り、団子や里芋、梨などをお供え物として捧げます。月は農作物の成長にはあまり関係なさそうなのですが、季節柄、収穫に感謝するという気持ちが表れたものでしょうね。十五夜の風習は中国から入ってきたものと言われていますが、日本では、独自に「十三夜」という風習もあります。これは、十五夜から約1ヶ月後の旧暦9月13日の月見です。十三夜は「豆名月」とか「栗名月」とも言われ、枝豆や栗なども供えられます。こちらも収穫感謝です。日本人は、十五夜と十三夜とセットで月を見なければ縁起が悪いと考えていたようです。
昨夜テレビでやっていた「インカ帝国」の番組で、最近発掘されたシカン遺跡が紹介されていましたが、インカでは、太陽=男性を象徴するのが金であるのに対して、月=女性は銀を装飾に用いていたとか。古代の人は、本当に、そんなふうに自然を「シンボル化」するのが上手だなあとつくづく思いました。もっとも、月を女性の象徴とするのは、世界共通の傾向と言えますが…。
月はまた、人間のバイオリズムにも影響を及ぼすとも言われていますが、科学的に見ると、月の重力の影響は微々たるものらしい。月はほかの天体と比べると、太陽と同じくらいで、見かけ上大きく見えるし、何より地球の引力で地球の周りを回っていることを知っているので、なんとなく近いところにあるような感じがしますが、実は結構地球から離れています。地球の直径は1万2,756km、月の直径は3,474km、月と地球の間の距離は38万4,400kmですから、地球の直径の30倍近く離れているのです。それだけ離れているのに地球にくっついて回っているなんて、地球の引力も大したものです。
ところで、月の大きさといえば、月は低いところにある時には大きく見えて、上空にのぼるにしたがって小さく見えるのはなぜでしょう?
実は、大きく見える、小さく見えるというのは、「錯覚」に過ぎないのです。試しに、五円玉を持って、腕をまっすぐ満月に向かって伸ばしてみましょう。ちょうど五円玉の穴の中にすっぽり月が収まります。それは、月がどこにいようと同じです。地面に近いところにあって、あんなに大きく見えていても、です。地上の建物などと比べて見ているから大きく見えるだけなのですね。
今宵の月は、ほんとうに名月でした。「かぐや」は着々とあの名月に向かって飛んでいます。
古来から月を愛でてきた日本人は、その満ち欠けに応じて、様々な呼び名をつけてきました。
1日目…新月、朔(さく)
3日目…三日月
7日目…上弦の月、弦月(ゆみはり)
13日目…十三夜月
14日目…十四日月、小望月(こもちづき)
15日目…満月、望月(もちづき)
16日目…十六夜(いざよい)
17日目…立待月(たちまちづき)
18日目…居待月(いまちづき)
19日目…寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)
20日目…更待月(ふけまちづき)
23日目…下弦の月
28日目…つごもり
17日目からは、月の出るのが遅くなるので、立って月が出るのを待ち、座って待ち、寝て待ち、ついには夜更けにならないと出てこない…。それだけ月を見るのを楽しみにしていたんですね。
十五夜は、もちろん15日目の満月を愛でる行事ですが、とくに、「中秋」つまり旧暦の秋にあたる7月~9月の真ん中の日すなわち8月15日の月がとくに美しく、また月が出る時間もちょうどいいというわけで、昔から十五夜と言えば「中秋の名月」を指すものとされてきました。
ただ、暦と月齢のズレから、旧暦の8月15日が必ずしも満月になるとは限らず、「中秋の名月」は、現在の新暦に当てはめると、9月中旬から10月上旬まで、年によってずいぶん差があります。
十五夜には、ススキや秋の花を飾り、団子や里芋、梨などをお供え物として捧げます。月は農作物の成長にはあまり関係なさそうなのですが、季節柄、収穫に感謝するという気持ちが表れたものでしょうね。十五夜の風習は中国から入ってきたものと言われていますが、日本では、独自に「十三夜」という風習もあります。これは、十五夜から約1ヶ月後の旧暦9月13日の月見です。十三夜は「豆名月」とか「栗名月」とも言われ、枝豆や栗なども供えられます。こちらも収穫感謝です。日本人は、十五夜と十三夜とセットで月を見なければ縁起が悪いと考えていたようです。
昨夜テレビでやっていた「インカ帝国」の番組で、最近発掘されたシカン遺跡が紹介されていましたが、インカでは、太陽=男性を象徴するのが金であるのに対して、月=女性は銀を装飾に用いていたとか。古代の人は、本当に、そんなふうに自然を「シンボル化」するのが上手だなあとつくづく思いました。もっとも、月を女性の象徴とするのは、世界共通の傾向と言えますが…。
月はまた、人間のバイオリズムにも影響を及ぼすとも言われていますが、科学的に見ると、月の重力の影響は微々たるものらしい。月はほかの天体と比べると、太陽と同じくらいで、見かけ上大きく見えるし、何より地球の引力で地球の周りを回っていることを知っているので、なんとなく近いところにあるような感じがしますが、実は結構地球から離れています。地球の直径は1万2,756km、月の直径は3,474km、月と地球の間の距離は38万4,400kmですから、地球の直径の30倍近く離れているのです。それだけ離れているのに地球にくっついて回っているなんて、地球の引力も大したものです。
ところで、月の大きさといえば、月は低いところにある時には大きく見えて、上空にのぼるにしたがって小さく見えるのはなぜでしょう?
実は、大きく見える、小さく見えるというのは、「錯覚」に過ぎないのです。試しに、五円玉を持って、腕をまっすぐ満月に向かって伸ばしてみましょう。ちょうど五円玉の穴の中にすっぽり月が収まります。それは、月がどこにいようと同じです。地面に近いところにあって、あんなに大きく見えていても、です。地上の建物などと比べて見ているから大きく見えるだけなのですね。
今宵の月は、ほんとうに名月でした。「かぐや」は着々とあの名月に向かって飛んでいます。
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