カクレマショウ

やっぴBLOG

のりピーに貼られたレッテル

2009-10-29 | ■社会/政治
覚せい剤取締法違反の罪で起訴された酒井法子被告が、介護福祉士の資格取得に向けて年内にも通信制の専門学校に入学する準備をしている、という報道を目にしました。聞けば、法廷でも「介護を学びたい」と話していたようですが、これを、情状酌量を得るための作戦、と取る向きもあるらしいですね。更生して社会復帰する手段として具体的に介護という仕事を挙げたのは法廷対策に過ぎないというわけです。

口さがない人たちが言っていることですし、本気なのかどうかは、本人じゃないのでわからないわけですが、まあ、裁判官だって、そのあたりはちゃんと見抜くんじゃないでしょうか。

それより、ちょっと残念に思ったのは、現在介護の仕事をしている人たちの意見として紹介されていたコメントです。

・「糞尿(ふんにょう)の処理などもしなければならない。華やかな芸能界で生きてきて、急にそういったことができるのか」(37歳男性介護士)

・「裁判の後に家に着いた時、関係者に傘を差してもらっていた。普段気を使われている人が急に介護、介護と言っても疑問に思わざるを得ない」(35歳女性ヘルパー)

私は、酒井被告に対しては、特に何の心証を抱くものではありませんし、介護の仕事の大変さが十分分かっているものでもありません。

しかし、もし、彼女が本気で介護の仕事につきたいと考え、そのための勉強を一から始めようと思っているのだとすれば、よりによって、介護の仕事をしている人がこんなコメント寄せなくてもいいのでは…と思う。「糞尿の処理」と「華やかな芸能界で生きて」きたことって、何か関係があるのでしょうか。彼女は彼女なりに、これまでの芸能生活を捨てて、介護の仕事をやりたいと思っている(とします)。それが介護の仕事として必要ならば、糞尿の処理だって何だってやれるはずではないでしょうか。

「普段気を使われている人は介護の仕事には向かない」という後者のコメントにも疑問を持ちます。人に気を使える人、が介護の仕事に向いているのは確かかもしれませんが、その逆はどうなのでしょうか。

ここでも、「レッテル貼り」が行われてるよなあと思います。常にスポットライトを浴びる華やかな芸能界と、孤独で地道な、収入的にも決して恵まれているとは言えない介護の仕事、その二つがあまりにもかけ離れているために、両者を容易には結びつけることができない。ましてや、誘惑に負けて覚せい剤にまで手を出した人が、人の手助けなんかできるのかという思いもある。確かにそういう先入観は誰でも抱くでしょう。

でも、そういった偏見や思い込みにしばられないことも大切です。たとえば、酒井被告がこれまでの芸能生活の中で培ってきたことの一つに、「高いコミュニケーション能力」があるかもしれない。それは介護の仕事でも十分生かしていけるのではないのか。

酒井被告が覚せい剤を使っていたことは、決して許されないことです。その罪は、きちんと贖わなければならない。でも、これから更生しようとする人の足を引っ張ることだけはいい加減やめるべきだと考えます。「今は何を言われても仕方がない」のではなく、やっぱり投げかけてはいけないコメントだってある。

もちろん、私がたまたま目にした二人の介護関係のコメントがすべてではないと思います。中には、応援するようなコメントもあったかもしれません。しかし、この場合、仮にあったとしても、「応援コメント」の方は決して紹介されることはないでしょう。しょせんマスコミの伝えることだから、と割り引いて考えても、この二人のコメントは、あまりにも了見が狭くないかい、と思ったのでした。

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