今週末、社会教育関係者を対象とした1日プログラムの講座を担当することになっているのですが、依頼されたのが「ファシリテーションの基本を知る」という難しいテーマ。2年前も同じ講座を頼まれて、その時は地域づくりがテーマだったので、何とかなった(と思われる)のですが、今回は相当厳しい。通常の業務が忙しくてなかなか勉強している時間もないし、担当の方との事前打合せでは、ファシリテーションの基本を学ぶといっても、社会教育関係者にとっては地域づくりと結びつけなければ意味ないよね、という半ば強引な論理で、前回と8割方同じ内容でいいかな…と話していたところでした。
ところが、先週末に送られてきた受講者名簿を見ていたら、あれ?何だか見たことのある名前が…。もしかしたらと思って2年前の名簿を引っ張り出して比べてみたら、なんと、同じ受講者が数名いるではありませんか。あちゃ~。
数名とはいえ、これではほとんど同じ話はできないし、途中に何回かはさむちょっとしたワークも全部同じというわけにはいかないよなぁ…、でも、時間もないし、どうしよう…と一気に暗い気持ちに陥る。でも、ま、なんとかなるさーといつものようにあまり根拠もなく開き直ったりもして。
そうしたら週末、たまたま出掛けた大学の図書館で、これはという本を見つけたのでした。少なくとも、ちょっとは道筋が見えてくるような本。すぐに要点をノートに書き写し、それを中心に、もう一度、いちからプログラムを練り直してみることにしました。
ファシリテーションを、学びの場(ワークショップ)で必要な技術と限定してとらえてしまうと、単にいろいろなアクティビティやワークを組み合わせてプログラムを作ればいいんだよ、という話になってしまいます。もちろん、そうしたプログラムの企画も必要なことですが、地域づくりのリーダーを育てていくためには、「限定版ファシリテーション」ではなく、もっと広い意味でファシリテーションをとらえる必要があるのではないか。
ファシリテーションというのは、「容易にする」とか「困難を取り除く」という意味で、ファシリテーターは「促進者」と言われますが、いったい、「何」を容易にしたり、促進したりするのか。それは人間関係の「プロセス」にほかならないのです。私たちは、仕事や勉強、遊びといった様々な営みの中で、「コンテント」(内容とか課題)を中心に据えて生きています。でも、コンテントを作り出したり解決したりする時に、自分の気持ちの動きとか、他人との関わりのありようとか、集団の中の自分の位置など、いろんな「関係的過程」つまり「プロセス」に大きな影響を受けています。ファシリテーションは、その「プロセス」に関わることであり、ファシリテーターは、プロセスにおける人間の気持ちの変化に関わる人のことなのです。
その本には、人と人とが関わる場においては、すべてファシリテーションの関係がある、と書いてありました。つまり、社会を構成する人は、すべて互いにファシリテーター。ファシリテーションこそ、人間関係のもっとも基本的な概念とも言えるのです。
ただ、プロセスは、氷山に喩えれば、水面下でほとんど見えない部分です。私たちは、通常、「氷山の一角」である「コンテント」のほうにしか着目しない。だからこそ、「見えない部分」であるプロセスに関わるファシリテーター、ファシリテーションが大切なのですね。
地域づくりとファシリテーションの関わりについては、まだ明確には見えてきていませんが、何となく方向性が見えてきたようにも思います。数名の方には申し訳ないけど、「地域づくり」って何?という部分については、2年前と同じ話になると思いますが、今回は、「ファシリテーション」という視点から、改めて地域づくりと社会教育関係職員としての役割について考えるきっかけとしてもらえたらと思っています。
つくづく、ファシリテーターには向いていないと思う私がそんな話をしても説得力があまりないことは百も承知の上で…!
ところが、先週末に送られてきた受講者名簿を見ていたら、あれ?何だか見たことのある名前が…。もしかしたらと思って2年前の名簿を引っ張り出して比べてみたら、なんと、同じ受講者が数名いるではありませんか。あちゃ~。
数名とはいえ、これではほとんど同じ話はできないし、途中に何回かはさむちょっとしたワークも全部同じというわけにはいかないよなぁ…、でも、時間もないし、どうしよう…と一気に暗い気持ちに陥る。でも、ま、なんとかなるさーといつものようにあまり根拠もなく開き直ったりもして。
そうしたら週末、たまたま出掛けた大学の図書館で、これはという本を見つけたのでした。少なくとも、ちょっとは道筋が見えてくるような本。すぐに要点をノートに書き写し、それを中心に、もう一度、いちからプログラムを練り直してみることにしました。
ファシリテーションを、学びの場(ワークショップ)で必要な技術と限定してとらえてしまうと、単にいろいろなアクティビティやワークを組み合わせてプログラムを作ればいいんだよ、という話になってしまいます。もちろん、そうしたプログラムの企画も必要なことですが、地域づくりのリーダーを育てていくためには、「限定版ファシリテーション」ではなく、もっと広い意味でファシリテーションをとらえる必要があるのではないか。
ファシリテーションというのは、「容易にする」とか「困難を取り除く」という意味で、ファシリテーターは「促進者」と言われますが、いったい、「何」を容易にしたり、促進したりするのか。それは人間関係の「プロセス」にほかならないのです。私たちは、仕事や勉強、遊びといった様々な営みの中で、「コンテント」(内容とか課題)を中心に据えて生きています。でも、コンテントを作り出したり解決したりする時に、自分の気持ちの動きとか、他人との関わりのありようとか、集団の中の自分の位置など、いろんな「関係的過程」つまり「プロセス」に大きな影響を受けています。ファシリテーションは、その「プロセス」に関わることであり、ファシリテーターは、プロセスにおける人間の気持ちの変化に関わる人のことなのです。
その本には、人と人とが関わる場においては、すべてファシリテーションの関係がある、と書いてありました。つまり、社会を構成する人は、すべて互いにファシリテーター。ファシリテーションこそ、人間関係のもっとも基本的な概念とも言えるのです。
ただ、プロセスは、氷山に喩えれば、水面下でほとんど見えない部分です。私たちは、通常、「氷山の一角」である「コンテント」のほうにしか着目しない。だからこそ、「見えない部分」であるプロセスに関わるファシリテーター、ファシリテーションが大切なのですね。
地域づくりとファシリテーションの関わりについては、まだ明確には見えてきていませんが、何となく方向性が見えてきたようにも思います。数名の方には申し訳ないけど、「地域づくり」って何?という部分については、2年前と同じ話になると思いますが、今回は、「ファシリテーション」という視点から、改めて地域づくりと社会教育関係職員としての役割について考えるきっかけとしてもらえたらと思っています。
つくづく、ファシリテーターには向いていないと思う私がそんな話をしても説得力があまりないことは百も承知の上で…!
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