“BLACK SWAN”
2010年/米/108分
【監督】 ダーレン・アロノフスキー
【原案】 アンドレス・ハインツ
【脚本】 マーク・ヘイマン アンドレス・ハインツ ジョン・マクラフリン
【出演】 ナタリー・ポートマン/ニナ・セイヤーズ ヴァンサン・カッセル/トーマス・ルロイ
ミラ・クニス/リリー バーバラ・ハーシー/エリカ・セイヤーズ ウィノナ・ライダー/ベス・マッキンタイア
(C)2010TwentiethCenturyFox.
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バレリーナって、ストイックを極めてるんじゃないかというイメージ。体型を維持するために、食べたいものも我慢して、酒なんか決して飲まなくて、家に帰ってからもトゥシューズを履いて大きな鏡の前で練習に余念がなかったり。そこまで自分を追い込まなくても…と思うくらいのストイックさ。
誰かが言っていましたが、人間、1日に1回は自分を追い込んで苦しい思いをしなくちゃだめなんだと。バレリーナは、それを毎日続けているんですね。ストイックって、ちょっと自己陶酔的ではありますが、そうありたいとはいつも思っています。
この映画のニナ(ナタリー・ポートマン)は、そんなバレリーナの典型なのかも。プリマドンナを演じたい。そのためには努力を惜しまないし、どんな犠牲でも払う。だけど、それが本当の「自分の意志」でないとしたら…。しかも、「本当の自分」は決して変えられないのだとしたら。行き着く先はやはり悲劇しかないということか。
こうなりたい、ああなりたいという欲望は誰でも持っているし、それが強い意志となってオーラが発散されている人もたくさんいますよね。きれいなオーラも、そうでないオーラもありますけど(^_^;)。美しいオーラを放つニナの場合、あんなふうになってしまったのは、彼女自身の性格・資質と同じくらい、「母親」の存在が与える影響が大きいと思われます。同じようにバレリーナだった母、しかし、彼女はプリマになることなく「群舞」のメンバーでしかなかった。自分を越えてほしいという母の思いを一身に背負って、ニナはバレリーナとして成長してきた。あれこれと娘の世話を焼く母親。もう子どもじゃないんだからと思いながらも、母に従う娘。母と娘は、まるで、ぴんと張り詰めた糸の上を一緒に歩いてきたようなものではないかと思います。その緊張の糸が、ニナ自身のプレッシャーによってぷつんと切れる時が来る…。
「白鳥の湖」って、同じチャイコフスキーの「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」と並ぶバレエの定番中の定番。その主役は、清楚で愛らしい白鳥の女王と、悪魔さえたぶらかす黒鳥の両方を演じなければならない。ナタリー・ポートマン演じるニナは、白鳥にはふさわしいのだけれど、黒鳥を踊るには人生経験が乏しい!なんて演出家に言われている。ひどいねー。ハタチそこそこの女の子に豊富な人生経験求めること自体無理なんじゃないのー?
でも、プロのバレリーナにはそんな言い訳さえ通用しない。彼女/彼らは、演じて、それを観客に見てもらうことが「仕事」なのだから。そんな「社会的な使命」を帯びた仕事があるのです。ニナは、苦しみの末に、無理を可能にしてしまった。黒鳥になったニナは、もう以前のニナではなかった。黒鳥は踊れないとさんざん言われていたニナは、黒鳥を踊るために生まれてきたバレリーナに変貌を遂げたのです。
(↑こうしてみると、なるほどウィノナ・ライダーだ!)
それにしても、やはりこの映画はナタリー・ポートマンのための映画だろうなあ。バレエのシーンは、吹き替えなしで、すべて彼女自身が演じているというから驚きます。専門家から見たらホンモノには程遠いんだろうけど、専門家でもない私たちからすれば、あれだけホンモノらしく踊ってもらえたら、それだけで満足。しかも、ナタリー・ポートマンのバレエですから。ああやって見ると、意外と小柄なのね、と思う。存在感は極めつきに大きいけれど。
2010年/米/108分
【監督】 ダーレン・アロノフスキー
【原案】 アンドレス・ハインツ
【脚本】 マーク・ヘイマン アンドレス・ハインツ ジョン・マクラフリン
【出演】 ナタリー・ポートマン/ニナ・セイヤーズ ヴァンサン・カッセル/トーマス・ルロイ
ミラ・クニス/リリー バーバラ・ハーシー/エリカ・セイヤーズ ウィノナ・ライダー/ベス・マッキンタイア
(C)2010TwentiethCenturyFox.
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バレリーナって、ストイックを極めてるんじゃないかというイメージ。体型を維持するために、食べたいものも我慢して、酒なんか決して飲まなくて、家に帰ってからもトゥシューズを履いて大きな鏡の前で練習に余念がなかったり。そこまで自分を追い込まなくても…と思うくらいのストイックさ。
誰かが言っていましたが、人間、1日に1回は自分を追い込んで苦しい思いをしなくちゃだめなんだと。バレリーナは、それを毎日続けているんですね。ストイックって、ちょっと自己陶酔的ではありますが、そうありたいとはいつも思っています。
この映画のニナ(ナタリー・ポートマン)は、そんなバレリーナの典型なのかも。プリマドンナを演じたい。そのためには努力を惜しまないし、どんな犠牲でも払う。だけど、それが本当の「自分の意志」でないとしたら…。しかも、「本当の自分」は決して変えられないのだとしたら。行き着く先はやはり悲劇しかないということか。
こうなりたい、ああなりたいという欲望は誰でも持っているし、それが強い意志となってオーラが発散されている人もたくさんいますよね。きれいなオーラも、そうでないオーラもありますけど(^_^;)。美しいオーラを放つニナの場合、あんなふうになってしまったのは、彼女自身の性格・資質と同じくらい、「母親」の存在が与える影響が大きいと思われます。同じようにバレリーナだった母、しかし、彼女はプリマになることなく「群舞」のメンバーでしかなかった。自分を越えてほしいという母の思いを一身に背負って、ニナはバレリーナとして成長してきた。あれこれと娘の世話を焼く母親。もう子どもじゃないんだからと思いながらも、母に従う娘。母と娘は、まるで、ぴんと張り詰めた糸の上を一緒に歩いてきたようなものではないかと思います。その緊張の糸が、ニナ自身のプレッシャーによってぷつんと切れる時が来る…。
「白鳥の湖」って、同じチャイコフスキーの「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」と並ぶバレエの定番中の定番。その主役は、清楚で愛らしい白鳥の女王と、悪魔さえたぶらかす黒鳥の両方を演じなければならない。ナタリー・ポートマン演じるニナは、白鳥にはふさわしいのだけれど、黒鳥を踊るには人生経験が乏しい!なんて演出家に言われている。ひどいねー。ハタチそこそこの女の子に豊富な人生経験求めること自体無理なんじゃないのー?
でも、プロのバレリーナにはそんな言い訳さえ通用しない。彼女/彼らは、演じて、それを観客に見てもらうことが「仕事」なのだから。そんな「社会的な使命」を帯びた仕事があるのです。ニナは、苦しみの末に、無理を可能にしてしまった。黒鳥になったニナは、もう以前のニナではなかった。黒鳥は踊れないとさんざん言われていたニナは、黒鳥を踊るために生まれてきたバレリーナに変貌を遂げたのです。
(↑こうしてみると、なるほどウィノナ・ライダーだ!)
それにしても、やはりこの映画はナタリー・ポートマンのための映画だろうなあ。バレエのシーンは、吹き替えなしで、すべて彼女自身が演じているというから驚きます。専門家から見たらホンモノには程遠いんだろうけど、専門家でもない私たちからすれば、あれだけホンモノらしく踊ってもらえたら、それだけで満足。しかも、ナタリー・ポートマンのバレエですから。ああやって見ると、意外と小柄なのね、と思う。存在感は極めつきに大きいけれど。