
東京オリンピック。
1964年、というより、やはり「昭和39年」だろうなあ。オリンピックと言う世界的な大イベントにもかかわらず、日本にとっては、やっぱり「昭和39年」。同世代の人が集まると、「東京オリンピックの時何歳だったか」だけで盛り上がったりもしますもんね。
時は高度成長時代の真っ只中。競技の舞台となる国立競技場や代々木体育館、日本武道館といった施設の建設、そして、世界各国から選手や観客を受け入れるためのインフラの整備。東海道新幹線の開通、首都高速道路の完成。今では想像もできないくらい、絵に描いたような右肩上がりの時代でした。
この物語は、そんな華やかな東京オリンピックの裏側の世界を描いた作品です。東京オリンピックを「人質」にして、国から身代金を奪おうと企てる一人の青年。もちろんフィクションですが、ものすごくリアリティがあって、本当にこういうことがあったとしてもちっともおかしくないよな…と思わせるのは、作者・奥田英朗の緻密な時代考証があってこそでしょう。それにしても、奥田の引き出しの多彩さには驚きます。このシリアスでドキュメンタリータッチの作品が、『イン・ザ・プール』、『空中ブランコ』のあの奇天烈な医師・伊良部を生み出した同じ作家の手によるものだとはとても思えない…。
構成が実によく練られていて、東京オリンピックの開会式が行われた昭和39年10月10日に至るまでの約3か月間が、実際の日付に従って描かれていきます。その日の天気まですべて調べたというんだから、現実感あるのもうなづけます。
主な登場人物は次のとおりです。
◆島崎国男 秋田から上京し東大大学院でマルクス経済学を学ぶ。長髪で色白、歌舞伎役者のような風貌。
◆落合昌夫 警視庁捜査一課の刑事。郊外の団地に新居を構えたばかり。妻は2人目の子を宿している。
◇須賀 忠 テレビ局に勤務。島崎とは大学の同級生。警視庁幹部の父はオリンピック警備の最高責任者。
◇小林良子 神田の古本屋の娘。高校を出てOLをしている。店に来る島崎にほのかに思いを寄せている。
基本的には、島崎と落合の二人を基軸としたストーリー展開で、時折、須賀と小林の視点からの節が織り込まれ、さらに後半では、村田留吉という長距離列車専門のスリが島崎と行動を共にする男として重要な役どころを演じます。
実際の日付に従って、といっても、単に時系列で並んでいないところがこの小説の面白さでもあります。特に、序盤では、オリンピック開幕直前、8月末から9月にかけて起こった「事件」が落合刑事や須賀の視点から描かれるのと並行して、島崎の行動が7月までさかのぼって語られる。この二つの物語がいつの間にか融合し、島崎・落合(警察)の緊迫した対決の構図へとつながっていく。
自分の覚書として、上下巻全56節の内容をExcelでメモしてみました。で、日付順に並べ替えてみました。すると、別々の物語だった部分が、見事に一致していることに気づく。同じ事件が、両者の立場から齟齬なく描かれているのです。これぞ醍醐味。
さてさて、東京オリンピックが国を挙げての大イベントで、「国威発揚」の場だとしたら、それに反発する輩も少なからずいたはずです。ましてや、この小説に描かれているように、その舞台となる施設やインフラの整備に、多くの労働者が過酷な条件のもとで従事していたわけですから。東西冷戦の枠組みの中で、左右のイデオロギーの対立がオリンピックと無縁だったわけがない。
当局は、そういうオリンピック反対派を圧倒的な力で抑え込んでいました。ただ、面白いのは、左翼の中でも、オリンピックには何か心浮き立つものを感じる人たちもいたということ。この小説でも、島崎国男が助けを求めるセクトの連中が、島崎の思想には共感するけど、行動は共にしないと告げるシーンがありました。彼らのこんなやりとりがあります。
「はっきり言って、オリンピック粉砕は戦術上得策ではない。それが会の結論だ」
「人民の支持は得られないよ。タイミングをずらそう。オリンピック閉幕後でもいいじゃないか」
「そう。東京オリンピックはもう理屈を超えてしまっている。いくら体制的プロパガンダだと訴えても、もはや耳を傾ける者はいない」
左翼の過激派でさえ、オリンピックという「魔物」の前ではいかんともしがたいものがあったようです。中には、「実を言うと、みんな見たいんだよね。女子バレーは金メダル候補だし」なんてついホンネを漏らすメンバーもいたりして。
同じように、ヤクザたちも、「親分」の号令により、オリンピックの期間だけは抗争を起さないという暗黙の約束に従う。オリンピックは、それほど日本人にとって大切なイベントだったのです。改めて、日本って「恥の文化」だよなと思う。外国から来るお客さんに恥ずかしいところは見せられない、というのが当時の日本人の共通した認識だった。恥を見せたくないという点で、日本人は同じ方向を向いていました。
ただそれは、言ってみれば、日本人というよりは、「東京」だけの盛り上がりだったのかもしれません。島崎のふるさとである秋田の奥深い山村の人たちは、オリンピックなんて世界の果てより遠いことだったかもしれない。ところが、オリンピックの建設現場で汗水流して働く人たちは、そういうところから来ている出稼ぎ人夫であるという実態。島崎が矛盾を感じるのも無理はありません。
島崎国男。確かに「テロリスト」ではある。ただ彼は、国家権力に反抗しながらも、決して人を傷つけまいとします。秋田出身という親近感を抜きにしても、どうしても島崎に肩入れしたくなります。それは、彼が決して「ブレない男」だからです。思想のブレがないというだけでなく、一人の人間としてもブレがない。飯場で一緒だった米谷という男が誤ってヤクザに連れ去られたことを知った島崎が、平然と本部に乗り込むシーンなど、胸がすく思いがします。ヒロポン(覚せい剤)の力を借りているのはちょっといただけないのですが…。それにしても、彼を追う警視庁が、刑事部と公安部で足の引っ張り合いをしてブレまくっているのとは実に対照的です。
彼のブレない思想の根底には、社会主義とか共産主義とかいう以前に、常にふるさとの村があり、自分を生んでくれた母親がいます。彼らの暮らしを「守る」ことが彼の目的ではありません。そもそも、彼らには「守る」ものさえない。もともと何も持っていないのだから。島崎は、オリンピックに反旗を翻すことで、彼らの生活を「変えなければ」ならなかったのです。仰々しい大義名分なんか要らない。彼には、彼にしか変えられないものが明確に見えていたのですね。だからこそ、手段はどうあれ、彼に肩入れしたくなる。オリンピックにうつつを抜かすのもいいけれど、現実の格差を見てくれという叫び。ダイナマイトは、秋田のふるさとに、そしてそこから出稼ぎに来ざるを得ない男たちに目を向けてくれという烽火(のろし)だったのかもしれません。
では、翻って現代の日本ではどうなのか。東京への一極集中という流れは、基本的には東京オリンピックの頃と変わっていませんね。地方の人口減少、過疎化はますます進み、若者の中央志向は強まる一方。かくして地方はどんどん疲弊していく…。ことによったら東京オリンピックがその契機になったのかもしれません。
ただ、その一方で、暮らしやすさとか、心の豊かさといった別の尺度で地方の良さをアピールする試みも芽生えてきています。「一流の田舎」という素敵な言葉も生まれた。日本人は今や、「オリンピック」とは別の方法で、アイデンティティを確認できる術を手に入れているのだと思います。そういう意味では、「昭和39年」と今は明らかに状況が異なる。
だというのに、東京都(石原都知事)は、いまだに「国威発揚」のくびきから抜けきらないのか、2020年の夏季オリンピック招致にご執心です。しかもなんと、その旗印に「復興」を掲げてきました(2011年6月28日付朝日新聞)。被災県でサッカーなど一部競技を開催するという奥の手。なんだか、逆に「復興」が利用されているような気がしてなりません。オリンピックで「国威」とやらを発揚しても、「復興」につながるとは思えない。別の手段いくらでもあるでしょうにね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます