
しばらく前の東京出張の折りに、帰りの新幹線で読もうと思って何気なく買った『イン・ザ・プール』。面白くて、一気に読んでしまい、なになに、続編がある?というわけで、日を置かずに『空中ブランコ』も買って読んでみました。『空中ブランコ』の方は、第131回(平成16年/2004年上半期)直木賞を受賞していたのですね!(さらに、3作目の『町長選挙』も出ていますが、未読<積ん読>!)
両作品とも、主人公は伊良部一郎。伊良部総合病院の跡取り息子でありながら、病院の地下にひっそりと存在する神経科を任されている。色白ででっぷりと太った体躯、たまに来る患者を甲高い声で明るく出迎える伊良部氏。不機嫌でセクシーなナースのマユミちゃんに命じていつも患者に注射を打たせ、それを間近で見つめるのが大好きな注射フェチ。
彼のもとを訪れるのは、いずれもストレス社会が生んだ「ちょっと変わった」人たち。試しに両作品に登場する患者たちを列挙してみましょう。
・ 不定愁訴で伊良部のもとを訪れるが、体力をつけるために始めたスイミングにはまってしまい、プール依存症になってしまった出版社勤務の大森和雄。<「イン・ザ・プール」>
・ 心的要因による「陰茎硬直症」になってしまった商事会社のサラリーマン、田口哲也。<「勃ちっぱなし」>
・ 自意識過剰から、ストーカーにつけねらわれているという妄想に陥るイベント・コンパニオン、安川広美。<「コンパニオン」>
・ 「友人」の多さが自慢のケータイ依存症の高校生、津田雄太。<「フレンズ」>
・ 「強迫神経症」で自宅のガスや電気のつけっぱなしが四六時中気になってしょうがないルポライター、岩村義雄。<「いてもたっても」>
・ 空中ブランコが満足に演じられなくなったサーカス団員、山下公平。<「空中ブランコ」>
・ 「尖端恐怖症」で、先のとがったものに恐怖を感じるヤクザ、猪野誠司。<「ハリネズミ」>
・ 人前でどんでもないことをしでかしたい衝動に駆られる強迫神経症で、伊良部の医科大学の同窓生、池山達郎。<「義父のヅラ」>
・ ボールをまともに投げられなくなったプロ野球の名三塁手、板東真一。<「ホットコーナー」>
・ 自分の書く登場人物の設定が、前に一度使ったことがあるのではないかという恐れから、筆が進まなくなる売れっ子作家、星山愛子。<「女流作家」>
こうした「設定」がまずうまいと思う。どの人も、「普通の人」から見ればへんてこりんに見えるけれど、本人にとっては、生きるか死ぬかの大問題なわけです。はたからすれば笑い話なのに、当事者は深く悩み、苦しんでいる…。
そこに登場するのが伊良部先生。彼は、必ずといっていいほど、患者たちをまず怒らせる。患者たちが触れてほしくないところに、わざとつっこみを入れて、挙げ句の果てはそこをかき回したりする。怒り心頭に発した患者たちは、もう二度とこんなヤブ医者のところに来るか、と思うのですが、なぜかみんな、再び伊良部のもとにやってくるのです。
精神的な病を抱えている人たちは、実は、どこかで「隠したいところ」を持っているのです。伊良部のあまりにも破天荒なキャラクターでもって、そこを真正面からいじられて、その時は怒りがこみ上げてきても、あとになるとじわじわと快感が湧いてくる、といったところでしょうか。
それから、伊良部の「治療」方法の特徴として、彼自身が意識してか無意識なのか、相手のふところに深く飛び込む点があります。
「イン・ザ・プール」では一緒になってスイミングを始めるし、「フレンズ」では、初めてのケータイを持つ。「女流作家」でははちゃめちゃな小説を書いて出版社に送りつける。最高なのは、「空中ブランコ」。なんと、いきなり空中ブランコに挑戦し、その巨体を空中に揺らす。しかも、ショーにまで出演してしまう。彼には、恐怖とか緊張はまったくないかのよう。
乳児が蛇を恐れないのは、勇気があるからではなく、それが何かを知らないからだ。伊良部もきっと同じだ。何も考えていないのだ。
不格好に空中ブランコにしがみつく伊良部を見て、患者である山下公平はそんなことを思う。しかし、同じサーカス団員である妻は、伊良部を「癒し系」だと言う。
「癒し系? あの風船みたいな男が? そうじゃなくて、こんな変な奴でも生きていけるのなら世の中はまだ大丈夫だっていう、そういう安心感なの」
「じゃあ、それでもいいけど、周りをらくにさせるっていうのは大事な性格だと思う」
サーカスの花形である彼は、他人や後輩に安心して任せることができない。常に自分が中心でなければならず、そういうプレッシャーのヨロイをまとっているのです。伊良部は、「周りをらくにさせる」ことの大切さを身をもって示し、彼を立ち直らせていく…。
といえば聞こえはいいのですが、伊良部はそこまで深くは考えていない(たぶん)。サーカスと聞いて子どもみたいに喜んで出かけていき、空中ブランコが気持ち良さそうと思えば、一分の恐れも抱かずにはしごを登っていく。実に単純。ストレート。あるいは自分勝手。
でも、患者にしてみれば、自分を治してくれる存在である精神科医のお医者さんがそんなふうに自分のふところに飛び込んできてくれるって、実はすごくうれしいことなのではないでしょうか。世の中、もっと単純なんだよ、余計なことを考えるからどんどんフクザツになっていくんだよ、みんないい人なんだよ…。そんな目に見えないメッセージを、伊良部は送っているのだと感じました。
「女流作家」で、患者である星山愛子の友人が言う「青臭いこと」もそうです。
「せめて自分は誠実な仕事をしよう、インチキだけには加担すまい、そして謙虚な人間でいようって。」
確かに「青臭い」んです。だけど、大人は、大人だからこそ、そういうことから目を背けることはしちゃいけないと思います。そんなかっこいいことは、伊良部は決して言わない(言えない)けれど、彼の「治療」を見ていると、つくづくそう思いますね。
「イン・ザ・プール」という映画もあって、そちらも見てみました。三木聡監督・脚本で、原作のうち、「インザプール」、「勃ちっぱなし」、「いてもたっても」の3本をベースにした映画です。伊良部を誰が演じているのかと思ったら、松尾スズキでした。私のイメージでは、今なら間違いなく芋洗坂係長ですけどね! 映画の方の感想は、また改めて。
『イン・ザ・プール』 『空中ブランコ』≫Amazon.co.jp
両作品とも、主人公は伊良部一郎。伊良部総合病院の跡取り息子でありながら、病院の地下にひっそりと存在する神経科を任されている。色白ででっぷりと太った体躯、たまに来る患者を甲高い声で明るく出迎える伊良部氏。不機嫌でセクシーなナースのマユミちゃんに命じていつも患者に注射を打たせ、それを間近で見つめるのが大好きな注射フェチ。
彼のもとを訪れるのは、いずれもストレス社会が生んだ「ちょっと変わった」人たち。試しに両作品に登場する患者たちを列挙してみましょう。
・ 不定愁訴で伊良部のもとを訪れるが、体力をつけるために始めたスイミングにはまってしまい、プール依存症になってしまった出版社勤務の大森和雄。<「イン・ザ・プール」>
・ 心的要因による「陰茎硬直症」になってしまった商事会社のサラリーマン、田口哲也。<「勃ちっぱなし」>
・ 自意識過剰から、ストーカーにつけねらわれているという妄想に陥るイベント・コンパニオン、安川広美。<「コンパニオン」>
・ 「友人」の多さが自慢のケータイ依存症の高校生、津田雄太。<「フレンズ」>
・ 「強迫神経症」で自宅のガスや電気のつけっぱなしが四六時中気になってしょうがないルポライター、岩村義雄。<「いてもたっても」>
・ 空中ブランコが満足に演じられなくなったサーカス団員、山下公平。<「空中ブランコ」>
・ 「尖端恐怖症」で、先のとがったものに恐怖を感じるヤクザ、猪野誠司。<「ハリネズミ」>
・ 人前でどんでもないことをしでかしたい衝動に駆られる強迫神経症で、伊良部の医科大学の同窓生、池山達郎。<「義父のヅラ」>
・ ボールをまともに投げられなくなったプロ野球の名三塁手、板東真一。<「ホットコーナー」>
・ 自分の書く登場人物の設定が、前に一度使ったことがあるのではないかという恐れから、筆が進まなくなる売れっ子作家、星山愛子。<「女流作家」>
こうした「設定」がまずうまいと思う。どの人も、「普通の人」から見ればへんてこりんに見えるけれど、本人にとっては、生きるか死ぬかの大問題なわけです。はたからすれば笑い話なのに、当事者は深く悩み、苦しんでいる…。
そこに登場するのが伊良部先生。彼は、必ずといっていいほど、患者たちをまず怒らせる。患者たちが触れてほしくないところに、わざとつっこみを入れて、挙げ句の果てはそこをかき回したりする。怒り心頭に発した患者たちは、もう二度とこんなヤブ医者のところに来るか、と思うのですが、なぜかみんな、再び伊良部のもとにやってくるのです。
精神的な病を抱えている人たちは、実は、どこかで「隠したいところ」を持っているのです。伊良部のあまりにも破天荒なキャラクターでもって、そこを真正面からいじられて、その時は怒りがこみ上げてきても、あとになるとじわじわと快感が湧いてくる、といったところでしょうか。
それから、伊良部の「治療」方法の特徴として、彼自身が意識してか無意識なのか、相手のふところに深く飛び込む点があります。
「イン・ザ・プール」では一緒になってスイミングを始めるし、「フレンズ」では、初めてのケータイを持つ。「女流作家」でははちゃめちゃな小説を書いて出版社に送りつける。最高なのは、「空中ブランコ」。なんと、いきなり空中ブランコに挑戦し、その巨体を空中に揺らす。しかも、ショーにまで出演してしまう。彼には、恐怖とか緊張はまったくないかのよう。
乳児が蛇を恐れないのは、勇気があるからではなく、それが何かを知らないからだ。伊良部もきっと同じだ。何も考えていないのだ。
不格好に空中ブランコにしがみつく伊良部を見て、患者である山下公平はそんなことを思う。しかし、同じサーカス団員である妻は、伊良部を「癒し系」だと言う。
「癒し系? あの風船みたいな男が? そうじゃなくて、こんな変な奴でも生きていけるのなら世の中はまだ大丈夫だっていう、そういう安心感なの」
「じゃあ、それでもいいけど、周りをらくにさせるっていうのは大事な性格だと思う」
サーカスの花形である彼は、他人や後輩に安心して任せることができない。常に自分が中心でなければならず、そういうプレッシャーのヨロイをまとっているのです。伊良部は、「周りをらくにさせる」ことの大切さを身をもって示し、彼を立ち直らせていく…。
といえば聞こえはいいのですが、伊良部はそこまで深くは考えていない(たぶん)。サーカスと聞いて子どもみたいに喜んで出かけていき、空中ブランコが気持ち良さそうと思えば、一分の恐れも抱かずにはしごを登っていく。実に単純。ストレート。あるいは自分勝手。
でも、患者にしてみれば、自分を治してくれる存在である精神科医のお医者さんがそんなふうに自分のふところに飛び込んできてくれるって、実はすごくうれしいことなのではないでしょうか。世の中、もっと単純なんだよ、余計なことを考えるからどんどんフクザツになっていくんだよ、みんないい人なんだよ…。そんな目に見えないメッセージを、伊良部は送っているのだと感じました。
「女流作家」で、患者である星山愛子の友人が言う「青臭いこと」もそうです。
「せめて自分は誠実な仕事をしよう、インチキだけには加担すまい、そして謙虚な人間でいようって。」
確かに「青臭い」んです。だけど、大人は、大人だからこそ、そういうことから目を背けることはしちゃいけないと思います。そんなかっこいいことは、伊良部は決して言わない(言えない)けれど、彼の「治療」を見ていると、つくづくそう思いますね。
「イン・ザ・プール」という映画もあって、そちらも見てみました。三木聡監督・脚本で、原作のうち、「インザプール」、「勃ちっぱなし」、「いてもたっても」の3本をベースにした映画です。伊良部を誰が演じているのかと思ったら、松尾スズキでした。私のイメージでは、今なら間違いなく芋洗坂係長ですけどね! 映画の方の感想は、また改めて。
『イン・ザ・プール』 『空中ブランコ』≫Amazon.co.jp
それもありかも。
だけど、一応「医者」だからなあ。知的なイメージという点ではやはり芋洗坂係長でしょ!?