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「今和次郎 採集講義」―考現学の始まり

2012-01-09 | ■美術/博物

もう1カ月も前に終了した展覧会の話で恐縮ですが、青森県立美術館で開催されていた企画展「今和次郎 採集講義」、地味だけど、とても興味深いものがありました。

展示をつらつら眺めていて、これって、「ホリイのずんずん調査じゃん!」と思いました。

つい最近まで11年間にわたり「週刊文春」に連載していた「ホリイのずんずん調査」。コラムニストの堀井憲一郎氏が「気が遠くなるほどの無意味」(笑)なことを独自に調べ上げる。だからどうなの?というテーマばかりで、確かに気が遠くなる。

「ディズニーランドのアトラクションの待ち時間」
「チョコボールを何個買ったら金のエンゼルが当たるのか」
なんかだったら、まだしも調査結果は何かの役に立つのかもしれません。しかし、

「どのデパートで買ったスズムシが一番お得な(長生きする)のか」とか、
「テレビドラマで役者が笑った回数」とか、
「スパムメールの差出人の女の子の名前」

なんていう調査は、いったい何の意味があるのかほとんど分からない。でも、堀井氏は「ひたすら数える」ことで、「だからこうなんだ!」と力説してくれます。妙に説得力があるんだよなあ、これが。こういう、それこそ「地道」な作業って、最近とみに忘れ去られているようで、その手法そのものが新鮮でもある。

今和次郎も、堀井氏と似たタイプだったのかもしれないなあと思いました。どんなに「くだらないこと」でも、それは「私たちの身近に確実に起こっていること」である以上、今和次郎は調べてみなけりゃ気が済まなかったのです、きっと。学生食堂の皿のヒビの入り方とか、家々の雨どいの形とか、障子の引き手の形とか、街ゆく男の髭の生やし方とか…。藤森照信編による『今和次郎 考現学入門』(ちくま文庫)を読むと、今回の展示が、いかに今和次郎の業績の「一部」でしかないかということがよくわかります。彼の興味の対象は、生涯を通じて尽きることはありませんでした。

展示でも紹介されていた銀座の風俗調査について、彼は「調査ということばをこんどの仕事に冠する勇気がありません。見当たったものを採集したにとどむるのです」と言っています。しかし、これは明らかに「調査」でしょう。「採集」した結果を彼はきちんと集計し、「データ」として示し、さらに社会や風俗へのスルドイ考察を加えているのだから。

もともと、民俗学の中でも農村の民家研究に取り組んでいた今和次郎は、関東大震災(1923年(大正12年)9月1日)を機に、都会の街頭にその舞台を移します。震災で壊滅した東京の街を、彼はくまなく歩き回り、バラックをスケッチし、人々の風俗を記録しました。

人類学者が未開発民族の研究に使っている方法を文明人の研究にも適用してみたい。いろいろな種族の特性研究のために民族学的追求は未開発民の万般のことを遺憾なく分析し記述している。未開発民のカルチュアのていどおよび特性はそれによって比較され計量されている。しかし文明人の慣習ないし風俗はなんの学者によっても分析的な考察の手を加えられていない。

今和次郎は、こんな観点から、自らの研究を「考現学」と名付けました。考「古」学に対して、現代を対象とするから考「現」学です。日本はもちろん、世界でもほとんど前例のない試みでした。「東京銀座街風俗記録」では、震災から約1年半後(大正14年5月)の銀座の街角で「採集」した人々の記録です。服装ではまず洋装か和装か。男の洋装なら、外套、カラー、ネクタイ、手袋、靴、帽子、眼鏡といった詳細にわたって、色や形を分類して記録を取る。それによると、男性は67%が洋装なのに対して、女性は99%が和服だったというのもなかなか興味深い。

採集記録については、分かりやすく表やグラフ、あるいはイラストで示しています。今回の企画展のポスターにも描かれていた、男女それぞれ洋装・和装で縦半分に分けて描かれたイラストなど、ものすごいインパクトありますよね。こういう視覚に訴えるアピール方法は、今でも十分参考になります。そのことは、後半の展示にあった、戦後の大学における講義用の資料を見た際にも感じました。もちろん全部手書きで、グラフの見せ方だとか、全体のバランスなど、当時としては「生活学」、「服装研究」といった新しい学問分野にふさわしい画期的な見せ方だったのではと思われます。

彼が調査したのは銀座だけではありません。「本所深川貧民窟付近風俗採集」だとか、「郊外風俗雑景」など、様々な街で、様々な階層の人々の風俗についても、同じ手法で記録を残しています。さらに彼の興味は、街から家の中にまで及ぶ。「下宿住み学生持物調べ」、「新家庭の品物調査」など、とある家に上がり込んで、持ち物やら家具などをほとんどすべて(!)リストアップしています。その微に入り細をうがつ記録には、偏執狂的なこだわりさえ感じられるほどです。文庫本だと、せっかくのイラストの字が細かくて読みとれないのが残念。

 

ここまで個人の「持ち物」にこだわるのは、それぞれの「品物」がなぜ買われたのか、どのように使われているのか(あるいはなぜ使われなくなったのか)を調べることで、「物品使用ないし使用に関する社会的ないし道徳的意味」について考えてみたいということ、らしい。

面白いのは、「古物商」を「もっと整頓した組織」にして、古物のデパートを設立したらどうかという彼の提案。「アーツ&クラフツ」のウィリアム・モリスの「不用なものを部屋のなかにおかぬこと」という室内美に関する提言も、こういうデパートがあって、「便利に活発に家庭内の品物が新陳代謝させられえ」れば初めて可能になると…。今、大きな古着屋やリサイクルセンターが活況を呈しているのを見ると、彼の先見の明に改めて感じ入ります。

彼の路上での「採集」という手法は、現在、赤瀬川原平、藤森照信らによる「路上観察学会」に受け継がれています。あるいは、「ホリイのずんずん調査」にも受け継がれていたのかもしれない。一見、無意味なデータの羅列に見えても、それが膨大で広範囲にわたるものになると、俄然光を放ち始める。「採集」という作業の大切さを、彼は自ら証明してくれています。

そんな今和次郎は、青森県弘前市出身です。ふるさとにこういう先駆的な人物がいたことを、子どもたちにももっと知ってもらわなくちゃね。

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