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カクレマショウ

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「女性ファラオ」ハトシェプスト女王の無念

2007-06-29 | ■世界史
このところ、世界史に関連するニュースが相次いで報道されています。

・2060年に世界が終わるというニュートンの予言が記された文書が発見された。
・エジプトでハトシェプスト女王と思われるのミイラが発見された。
・国土地理院が「硫黄島」の読みを「いおうとう」に変更することを決めた。
・ユネスコの世界遺産委員会が「アウシュヴィッツ強制収容所」の名称を「アウシュヴィッツ・ビルケナウ─ナチスドイツの強制・絶滅収容所」に変更することを発表した。

ニュートンの予言については、旧約聖書の「ダニエル書」の“暗号”を解読して、「2060年」という年代を割り出したものだそうですが、その年代の前には「早ければ」という言葉がくっついています。それ以前には世界の終末は来ないけど、2060年以降ならいつ来てもおかしくない、という意味で、そんなの予言でも何でもないと思いますが…。万有引力の法則を発見し「近代物理学の祖」とされるニュートンも、実は、前近代的な神秘思想や錬金術にとりつかれていたことを証明するようなニュースです。

ハトシェプストのミイラ。最初、新たに「発見」されたのかと思って、びっくりしました。ツタンカーメンの墓を除いては、「王家の谷」にある古代エジプトの王墓はほとんどが盗掘・発掘され尽くしていて、新しい発見の可能性はほとんどないと思っていたので。しかし、よく読むと、ミイラ自体は1903年に英国の考古学者ハワード・カーターが発見したものだという。カーターと言えば、ツタンカーメンのミイラの発掘(1922年)で有名ですが、それ以前にもすごいものを掘り当てていたのですね。

今回、その時発見された2体の女性のミイラのうち1体がハトシェプスト女王のものであることをエジプト政府が特定したというわけです。1年間かけてCTスキャン検査を行い、ハトシェプスト女王のものとされてきた歯が、このミイラの臼歯の抜けた跡にほぼ合致することを突き止めたのだとか。

古代エジプト史上初の女王であるハトシェプスト。彼女が生きたのは、紀元前15世紀。新王国第18王朝の時代です。ハトシェプストの人生は、トトメスと名の付く3人のファラオ(王)と深い関わりがありました。

トトメス1世は、彼女の父です。偉大なファラオとして知られる父を、彼女は生涯にわたり賞賛し、絶対視していました。自分の墓を作るときにも、父と一緒の墓を作っています。父への信仰にも近い憧憬は、彼女を王座に駆り立てることになります。

古代エジプトでは、ファラオは男子がなるものと決まっていましたが、不思議なことに、王位継承権を持つのは王家の正統な血を引く「女子」でした。つまり、男子が王位継承権を持つ女子を妻にすることでファラオとなるのです。古代エジプトで、きょうだい同士の近親結婚が多かったのもそんな事情があったからです。ファラオの長男が、姉もしくは妹にあたる長女と結婚してファラオになる。ハトシェプストもそのしきたりに従うことになります。父トトメス1世が側室に生ませた異母兄弟と結婚するのです。彼がトトメス2世としてファラオとなり、ハトシェプストは王妃となります。しかし、もともと病弱だったトトメス2世は、在位わずか8年余りでこの世を去ってしまう。ふたりの間には、ネフェルラーという王女がいましたが、彼女もまた、母と同じように、父トトメス2世が側室に生ませた異母兄弟と結婚します。それがトトメス3世です。

ところが、この時、トトメス3世は6歳でした。そこで、ハトシェプストの出番となるのです。彼女は夫トトメス2世の生前から、「偉大な王の妻」という称号を使って、政治に深く関与していました。義理の息子であるトトメス3世が幼少であるということを理由に、夫の死後も摂政として権力を握ります。しかし、彼女の野望は、あくまでも「ファラオ」の地位でした。偉大な父のような。ハトシェプストは、神に仕える神官団を巧みに操りつつ、王位に対する正統性を主張、ついにファラオの座を手中に収めるのです。

ただ、「ファラオは男子」という伝統の重さを感じていたからか、ハトシェプストは、ファラオとなってからは、公式の場では必ずファラオの象徴であるあごひげをつけ、頭巾をかぶって男装していました。デル・エル・バハリに巨大な葬祭殿を作り、壮大な神殿やオベリスクを神に捧げ、もちろん他のファラオと同じように墓も作らせました。

ただ、彼女の治世には、一度も対外戦争をしていません。それは、父トトメス1世や夫トトメス2世、あるいは「エジプトのナポレオン」と称されるほど軍事遠征を好んだ義理の息子トトメス3世と決定的に異なる特徴です。けっして、女性ファラオだったから…とは思いませんが、ハトシェプストが平和を愛していたということだけは言えるのかもしれません。

ハトシェプスト女王の死については、よくわかっていません。ただ、晩年は、成長したトトメス3世に疎まれていたことは確かなようです。トトメス3世は、ハトシェプストが君臨した約20年間を歴史上から抹殺しようと企て、彼女を描いたレリーフや王名を削り取り、その彫像を破壊しました。「正統なファラオ」である自分から権力を奪い取った義母への復讐心だったのでしょうか。それとも、いかに男装しようとも、やはり「女性ファラオ」は許せなかったということでしょうか。

ハトシェプストのミイラの写真を見ると、よく見られるような両手を胸の前で組む格好ではなくて、左手だけを胸に当てています。これは「女王」であることを表しているのだといいますが、私には、彼女の「無念」を表しているように見えてなりませんでした。
 
 
 

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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楽しく読ませて頂きました (MS)
2009-11-09 17:50:10
古代エジプト史の面白い部分を知ることができました。感謝!
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