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「ピカソの大きな作品宇宙」(2)─ミューズ(女神)としての女性 その2

2008-10-29 | ■美術/博物
さて、妻オルガに飽きてきたピカソの前に、まず現れた女性第1号は、マリア・テレーズという、なんと17歳の少女でした。ピカソがパリのメトロで彼女を見初め、最初にかけた言葉は、「一緒に偉大なことをしましょう」だったといいます。やや、すごい口説き文句だ。ピカソじゃなくちゃそんなこと言えない。

ピカソは、マリー・テレーズに「君の顔はとても興味深い」とも言ったのだとか。彼女の彫りの深い顔立ちと、健康的でしなやかな肉体は、ピカソの心をしっかりとらえてしまった。サントリー美術館に展示してある「彫刻家」(1931年)という作品は、赤や黄色、オレンジ色、淡いピンクの色遣い、そして柔らかな曲線が官能的なイメージを喚起させる絵ですが、右側に描かれた彫刻家(ピカソ自身)は頬に手を当てて左側のモデルの女性をじっと見つめています。鼻筋がすっと通り、ちょっとつり目のこの女性こそ、マリー・テレーズその人です。




従順な若い愛人の出現により、誇り高いオルガはピカソのもとを離れていきます。ピカソは彼女との離婚を認めないままマリー・テレーズを愛し、そして二人の間に娘マヤが生まれる。マヤを描いた「人形を抱くマヤ」(1938年)が国立新美術館に展示してありました。



マヤの、向かって右側の顔は横顔、左側は正面向きという、ピカソ特有の構図です。足もどっち向きなのかがよくわかりません。マヤが抱いている人形は、歪められることなくごくふつーに描かれている。かわいいさかりの娘の姿を、ピカソは余すところなく表現したかったのでしょうね。(この絵、マヤの娘つまりピカソの孫が自宅に飾っていたそうなのですが、2007年に盗難に遭いましたね。盗まれたもう1点の絵と合わせて80億円!と言われてました。半年後ぐらいに無事戻ってきて何よりでしたけど。)

ところが、マヤ誕生の直後に出会ったドラ・マールという女性にピカソは夢中になってしまいます。ドラはその時30歳で、新進気鋭の女流写真家。才色兼備の彼女に、ピカソはマリー・テレーズにはない魅力を感じたのでしょうか。それにしてもピカソ、手が早すぎですな。

それから始まるマリー・テレーズvsドラ・マールの熾烈な女の戦い! 当時、ピカソは「ゲルニカ」(1937年)の制作に取りかかっていました。実は、ドラ・マールがその制作風景を写真に残していて、国立新美術館で貴重な9枚の写真を見ることができました。それは改めて触れることにしますが、ドラ・マールが撮影しているさなかに、マリー・テレーズがやってきたことがあったそうです。二人がピカソの愛情をめぐってバトルを繰り広げているのを、ピカソは内心では楽しみながら、何食わぬ顔をして絵を描き続けていたという…。

ピカソというヤツ、つくづく悪い男です。しかも、彼は、この二人の女性を全く同じポーズ(左右は反転していますが)で描くという、画家冥利に尽きることまでしています。それを国立新美術館で並べて見ることができます。鑑賞者冥利に尽きますね。

まずは「マリー・テレーズの肖像」(1937年)。新古典主義はどこへやら、マリー・テレーズのにこやかで健康的な姿を心証のまんま描き出しています。マリーの表情も、愛されている喜びに満ちあふれているかのようです。「私こそピカソの心をとらえている女よ。」そんな声さえ聞こえてきそうです。





でも、もう一人、同じことを思っていたに違いない女性がいた。「ドラ・マールの肖像」(1937年)。同じように片方の手を頬に軽く当て、横顔と正面の顔を同時に見せる彼女は、しかし、マリー・テレーズとはずいぶん雰囲気が異なります。濃いイエローに彩られた顔や手、真っ赤なマニキュアとルージュ、黒い服。一見して、華やかな大人の女性という感じ。この対称的な二人の女性を、ピカソは同時に愛し、そして捨てる。

精神的に不安定だったドラ・マールは、追いつめられた挙げ句に、「泣く女」になっていきます。ドラ・マールを描いた「泣く女」という作品を、ピカソはいくつも残しています。ハンカチを口にかみながらすさまじい表情を見せる、例の最も有名な「泣く女」は残念ながら今回の展覧会では見ることはできません。別の「泣く女」は版画を含めて2点ほど展示してありましたが、どういう絵だったかは、よく覚えていません。

女性を「泣く女」に仕立てたのは他ならぬ自分自身だというのに、その醜悪さを恐ろしいほどリアルに描いたピカソ。それも、彼なりの「愛情表現」だったのかもしれません。(続く…)


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