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騒音はなくならないけど、「煩音」はなくせる。

2010-12-16 | ■教育
中島義道『うるさい日本の私』で問題にしているのは、街なかにおける「騒音」です。駅やデパートのアナウンス、選挙運動の連呼、宣伝スピーカーから流れる音楽など、聞きたくない人にも聞こえてしまう「騒音」はいらない、と中島氏は口を酸っぱくして説く。「バスや電車といった公共の乗物、デパートや駅の構内、海水浴場、観光地といった公共の場所で、彼は耳障りで不必要と思われる音、つまり音楽(BGM)、マイクでの呼びかけや注意、録音テープによる解説といった「雑音」に、徹底して文句をつけ、抗議し、議論する。

ところで、中島氏は、「この国の「善良な市民」は公的な権力の発する「音」にはきわめて寛容であるが、私人が発する「音」にはきわめて不寛容なのだ」と分析しています。その一つに、「子どもたちの声」も含まれているのかもしれません。公園で遊ぶ子どもたちの声とか、小学校の運動会の音楽や歓声がうるさいというクレームが最近増えています。

「モンスターペアレント」の研究で有名な小野田正利氏(大阪大学大学院教授)は、「学校と近隣トラブル」と題した文章の中で、ある里山の村で、子どもたちが熊よけの鈴をつけて歩く音がうるさいと学校に苦情が来た、という例を挙げながら、学校や子どもたちの出す音に関わるこうしたクレームについて、次のように書いています。

一言で言えば、「寛容性がなくなった」ということであろうが、まずは子どもに対する見方が変化してきていることは確かだ。…自分の家にも隣にも、近所にもいないことが普通になり始めている。「お互いさま」という文化は、客観状況からも死語になりつつある。

小野田氏は、深夜に働く人がここ数年で増えつつあることに触れ、昼に睡眠を取らなくてはならない人のことを考えれば、うるさいと感じるのも無理はないと理解を示す。「学校の騒音」はこれまで世間から大目に見られてきた歴史があるが、これからは、お互い気を遣い合わなければならない時代に来た、としています。

小野田さんが紹介しているのが、八戸工業大学教授の橋本典久氏。橋本さんは、もともとはマンションでの床の衝撃音を減らす研究に取り組んでいる中で、騒音トラブルに注目するようになった。かつては騒音トラブルにならなかった事例でも、最近では極端な例では殺人事件まで引き起こすことになっている。そうした「騒音」を、橋本さんは「煩音」(はんおん=わずらわしい音)と名付けています。

以前、NHKの「クローズアップ現代」でこの問題を取り上げられたときにも、橋本さんはゲストとして登場していました。番組では、公園の噴水で水遊びをする子どもたちの声がうるさい、として、住民が市に噴水の使用の制限を求め、裁判所が子どもの声であっても一定の音量を超えれば騒音になりうるのは明らかとして住民の主張を認めたという事例が紹介されていて、なんだかなーと思いました。

別のある公園の隣に住む女性で、子どもたちの遊ぶボールが家の雨戸に何度も当たってそのたびに大きな音がしてストレスを感じていると言い、しかし、かつて公園で遊ぶ子どもや親と顔見知りだった頃にはそれほど気にならなかった、とも言う。今、公園に来る子どもたちは、顔も名前も知らない。子どもの声自体は昔も今も変わっていないわけですが、知っている子ならともかく、誰だか知らない子が騒いでいるのは我慢できないという気持ちは、何となくわかるような気もします。

つまり、うるさいと感じるか感じないかは、人間関係やコミュニケーションと深くつながっているということです。それが煩音問題の根深いところでもあります。騒音は、それを発生させている本人がやめなければいつまでも続きますが、煩音は、「わずらわしい」と感じなくなれば、うるさいと感じなくなる可能性がある。そのためには、双方の人間関係がきちんと成り立っていて、いいコミュニケーションが取れていることが必要です。

「クローズアップ現代」では、確か、広場でスケボーをやりたい若者と町内会の間に築かれた人間関係について紹介していました。スケボー仲間のリーダーは、スケボー広場を認めて欲しいと連日町内会長のもとを訪れ、「迷惑ボーダーは110番してください」と言い、公園の使用ルールを作ってそれを守ると誓っていました。もし破る者がいたら広場は即刻閉鎖する…そんな約束をして、町内会に認めてもらっていました。さらに、若者たちは町内会の人と一緒に公園の掃除をしたり、子どもたちのスケボー教室を開いたりもしていました。そんな信頼関係があれば、「煩音」は生じないわけですね。町内会長も、確かにうるさいけど、その音も低く聞こえる…といったようなことを言っていました。

…これってすごいことだと思いました。お互いの信頼関係があるだけで、騒音もわずらわしくなくなる!

ま、信頼関係を築く、と簡単に言いますが、実際にはそう簡単なことではありません。小さなことの積み重ねで、じっくりゆっくり築き上げられていくものですから。でも、信頼関係の根底に、相手のことを思いやる気持ちや誠意があることは言うまでもありません。

小野田さんは、これからは学校にもそういう姿勢が求められる時代だと言います。

「学校だから」ということで、世間からも大目に見られてきた歴史が長かったのである。しかし今、学校・園も、近隣住民も互いに気を遣い合わなければいけない時代に来た。

たとえば、運動会の練習など、近所に迷惑をかける恐れのある時には、事前に告知すること。何時から何時まで、練習でお騒がせします、とか。確かに、終わりの時間が分かっているだけでも我慢の度合いは違ってきますね。そういう気配りは必要です。

ただ、少子化でただでさえ子どもの数が減っているのに、子どもたちに対する「不寛容さ」が少し気になります。子どもはうるさいもの、という大人の意識が薄くなればなるほど、子どもたちは萎縮して、のびのび遊んだり騒いだりできなくなっていきます。思いっきり叫んだり駆け回ったりできない子どもばかりの社会って、不気味でしかない。

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BLOGの転載のための許可 (C.J.ディーガン)
2013-06-04 16:31:18
はじめまして、ディーガン(Deegan)と申します。
 私は「静かな街を考える会」という市民グループの代表であり、唯一の外国人メンバーでもあります。このグループは日本の街に氾濫している拡声器音を少しでも減らそうと活動しています。関東、関西と九州地区とに分けてあり、関西と九州のそれぞれの地区代表もいます。総数50人ぐらいの小さな組織です。なかなか大きなことができませんが、会の存在そのものが大きな心の支えとなっている人もかなりいるようです。私もこの会を見つけたお陰で日本に永住する決意が出来たほどです。
 主な活動はスピーカー騒音を発生している側に苦情を寄せたり、時によってはインタビューに行ったりすることです。そしてそれらの結果を年に一回発行する機関誌(AMENITY)に掲載することです。このAMENITYは主にメンバーや関心のある方、または音を出している側(鉄道会社、選挙管理委員会、学校など)にも発送しています。
 今は次号のAMENITY31号を作るためのネタ集めをしている最中ですが、文章の提供者を確保するのにいつも苦労しています。今回は「古本虫がさまよう」の2010年12月16日のブログをたまたま見つけましたが、我々の会の趣旨にピッタリした内容だと思います。
 そこでお願いがあります。この文章をAMENITY31号用に転載させていただけないでしょうか。ご住所を教えていただければAMENITYのバックナンバーを差し上げますのでご安心できます。あるいは会のホームページをごらんになれば、会の趣旨や活動をある程分かるかと思います。
 何分、よろしくお願いします。

追伸:
URLを入力しようとしましたが、「不正」というメッセージが出たため、削除せざるを得ませんでした。でも会の名前をネット上で入力すればHPが必ず出てきます。

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