第三部 マリユス
第四編 ABCの友(岩波文庫第2巻p.482~p.532)
父をめぐる確執から、祖父ジンノルマン氏の庇護を離れたマリユス。ここでユゴーは、のちにマリユスが加わることになる政治的な団体、「ABC友の会」について触れています。
「ABC友の会」とは実際に存在した団体です。革命の勃発から共和制、ナポレオンの帝政、復古王朝と続く中で、当時数多くの「政治的秘密結社」が生まれました。上流階級のそれは、主に「サロン」が活動や議論の場となりましたが、民衆とりわけ若者を中心とした団体のたまり場は、「珈琲店」でした。
「ABC友の会」は、「ABC」つまり子どもたちの初等教育を研究する団体を標榜していましたが、「ABC」(アーベ-セー)の真の意味は、"Abaiss’"(アベッセ)つまり民衆、弱者であり、その救済を目的とする共和主義団体でした。彼らが集っていたのはサン・ミシェル広場のカフェ・ミューザン。リーダーはアンジョーラという22歳の美青年。そして、「革命の哲学を代表」するのがコンブフェール。さらに、ジャン・プルーヴェール、フイイー、クールフェーラック、バオレル、レーグル・ド・モー(ボシュエ)、ジョリーといった実在の青年たちの性格やら思想やら行動やらを、ユゴーは詳細に紹介してくれます。もっとも、彼らの中には、単にアンジョーラを賛美するがためにカフェを訪れる、グランテールのような懐疑主義的な輩もいましたが。彼らはミューザン・カフェに集い、パイプをくゆらせながら革命を語り、政治と思想について議論を戦わせていたのです。
すべての人々は、フランス大革命から生まれた嫡子であった。最も軽佻(けいちょう)な者でも、1789年という年を言うときはおごそかになった。
日本で、若者の「政治離れ」が叫ばれてずいぶん立ちますが、良くも悪くも社会の動きを演出していくのが政治であるとすれば、社会の現状に対して最も批判的な世代である若者が政治に無関心なのは決して良いことではありませんね。当時のフランスは、少なくとも若者世代が社会を動かしていた時代でもありました。
さて、ここからはユゴーの創作部分になります。
ある日、メンバーの一人レーグル・ド・モーがカフェの前でぼんやりサン・ミシェル広場を眺めていると、目の前を1台の馬車が通りかかりました。馬車には一人の青年が乗っていて、旅行鞄には、「マリユス・ポンメルシー」という名前が縫いつけてあるのが見てとれました。その名前を見たとたん、レーグルは、馬車の青年を呼び止めるのです。それは彼にとって忘れようにも忘れられない名前でした。
レーグルは法律学校に通う学生なのですが、その前々日のこと。彼はある講義で点呼の際、「マリユス・ポンメルシー」という名前に「代返」をしてやったのです。彼はその名前の学生を知りませんでしたが、3回名前を呼んで答えがないと名簿から名前を消してしまうという「意地悪」な教師への反感から、思わず代わりに返事をしてしまったというわけです。しかし、代返はバレてしまい、レグール自身が名簿から抹消されてしまったのです。
マリユスを呼び止めて、レグールはそんな話をします。マリユスは謝るのですが、もともとレグールには後悔の念などないようです。
「そして僕は愉快だ。も少しで弁護士になるところだったが、その抹殺で救われたわけだ。弁護士などという月桂冠はおやめだ。これで後家の弁護もしなくていいし、孤児を苦しめることもしなくてすむ。弁護士服もおさらばだ、見習い出勤もおさらばだ。いよいよ除名が得られたわけだ。そして皆君のおかげだ。ポンメルシー君。改めて感謝の訪問をするつもりでいる。君はどこに住んでいるんだ。」
マリユスはちょうど祖父の家を飛び出してきたところで行く当てもない、という話をしていると、そこへカフェから出てきたクールフェーラックがこともなげに「僕の家にきたまえ。」と誘う。マリユスは、こうして、ひょんな偶然からABC友の会と関わることとなったのです。
翌日、さっそくールフェーラックはカフェ・ミューザンにマリユスを連れて行きます。政治的意見を聞かれて、「民主的ボナパルト派だ」と答えるマリユスに、クールフェーラックは「鼠色のおとなしい奴だな。」と言う。マリユスは、ABC友の会の議論にすっかりショックを受けてしまいます。これまで、政治的な議論は、祖父に連れられて通ったサロンで聞く王党派のものしか知らず、父の件でナポレオン派に転換したものの、自分がまだまだ知らない世界があることを彼は思い知るのです。
哲学、文学、美術、歴史、宗教、すべてが思い設けないやり方で語られるのを彼は聞いた。彼は不思議な境地を瞥見(べっけん)した。そして適当な視点に置いてそれらを見なかったので、何だか渾沌(こんとん)会を見るような心地だった。彼は父の意見に従うために祖父の意見をすてて、自ら心が定まったと思っていた。しかるに今や、まだ心が定まってはいないのではないかという気がして、不安でもあるがまたそう自認もできかねた。今まですべてのものを見ていた角度は、再びぐらつき始めた。一種の震動が彼の頭脳の全世界を動揺さした。内心の不可思議な動乱であった。彼はそれにほとんど苦悩を覚えた。
圧倒され、ほとんど議論や演説を聞くだけだったマリユスですが、「ワーテルロー」の話題が出た時、耐えきれずに、堰を切ったようにナポレオン賛美の演説を始める。「コルシカ島、これがフランスを偉大ならしめた小島だ。」
その一言で皆は突然口をつぐんでしまいます。まるでその言葉が「凍った空気の息吹」でもあるかのように。しかしマリユスはかまわず話し続ける。それは亡き父に代わってナポレオンに捧げる言葉でもあったのかもしれません。「もし皇帝を賛美しないとしたら、だれを賛美しようとするのか。」ナポレオンが成し遂げたようなヨーロッパの征服、これ以上に偉大なるものは何があるか、と問いかけるマリユス。
コンブフェールは、その問いにこう答えます。「自由となることだ。」
この「冷ややかな一語」でまったく打ちのめされるマリユス。さらに追い打ちをかけるようにコンブフェールが歌うやさしげな詩─「われはただ母をばただ愛す」。その「母」とは「共和」のことだ、とアンジョーラが言う。
父に近づこうとして、あるいは近づいた結果、ナポレオンの信奉者になったマリユスにとって、ナポレオンを捨てて共和主義に走ることは父からまた遠ざかることを意味していました。心中ひそかにそれを恐れるマリユスは、ミューザン珈琲店に行くことをやめてしまいます。
悩むマリユスの前には、「生活」という現実ものしかかってきます。下宿の家賃が払えない。ジンノルマン伯母が彼の居所を突き止めて金貨を送ってきても、彼はそれをそっくり送り返してしまうのです。服や金時計を売り、なんとか家賃を払ったマリユスは、下宿を引き払い、その日の糧を求めてしばしさまようことになるのです。
第四編 ABCの友(岩波文庫第2巻p.482~p.532)
父をめぐる確執から、祖父ジンノルマン氏の庇護を離れたマリユス。ここでユゴーは、のちにマリユスが加わることになる政治的な団体、「ABC友の会」について触れています。
「ABC友の会」とは実際に存在した団体です。革命の勃発から共和制、ナポレオンの帝政、復古王朝と続く中で、当時数多くの「政治的秘密結社」が生まれました。上流階級のそれは、主に「サロン」が活動や議論の場となりましたが、民衆とりわけ若者を中心とした団体のたまり場は、「珈琲店」でした。
「ABC友の会」は、「ABC」つまり子どもたちの初等教育を研究する団体を標榜していましたが、「ABC」(アーベ-セー)の真の意味は、"Abaiss’"(アベッセ)つまり民衆、弱者であり、その救済を目的とする共和主義団体でした。彼らが集っていたのはサン・ミシェル広場のカフェ・ミューザン。リーダーはアンジョーラという22歳の美青年。そして、「革命の哲学を代表」するのがコンブフェール。さらに、ジャン・プルーヴェール、フイイー、クールフェーラック、バオレル、レーグル・ド・モー(ボシュエ)、ジョリーといった実在の青年たちの性格やら思想やら行動やらを、ユゴーは詳細に紹介してくれます。もっとも、彼らの中には、単にアンジョーラを賛美するがためにカフェを訪れる、グランテールのような懐疑主義的な輩もいましたが。彼らはミューザン・カフェに集い、パイプをくゆらせながら革命を語り、政治と思想について議論を戦わせていたのです。
すべての人々は、フランス大革命から生まれた嫡子であった。最も軽佻(けいちょう)な者でも、1789年という年を言うときはおごそかになった。
日本で、若者の「政治離れ」が叫ばれてずいぶん立ちますが、良くも悪くも社会の動きを演出していくのが政治であるとすれば、社会の現状に対して最も批判的な世代である若者が政治に無関心なのは決して良いことではありませんね。当時のフランスは、少なくとも若者世代が社会を動かしていた時代でもありました。
さて、ここからはユゴーの創作部分になります。
ある日、メンバーの一人レーグル・ド・モーがカフェの前でぼんやりサン・ミシェル広場を眺めていると、目の前を1台の馬車が通りかかりました。馬車には一人の青年が乗っていて、旅行鞄には、「マリユス・ポンメルシー」という名前が縫いつけてあるのが見てとれました。その名前を見たとたん、レーグルは、馬車の青年を呼び止めるのです。それは彼にとって忘れようにも忘れられない名前でした。
レーグルは法律学校に通う学生なのですが、その前々日のこと。彼はある講義で点呼の際、「マリユス・ポンメルシー」という名前に「代返」をしてやったのです。彼はその名前の学生を知りませんでしたが、3回名前を呼んで答えがないと名簿から名前を消してしまうという「意地悪」な教師への反感から、思わず代わりに返事をしてしまったというわけです。しかし、代返はバレてしまい、レグール自身が名簿から抹消されてしまったのです。
マリユスを呼び止めて、レグールはそんな話をします。マリユスは謝るのですが、もともとレグールには後悔の念などないようです。
「そして僕は愉快だ。も少しで弁護士になるところだったが、その抹殺で救われたわけだ。弁護士などという月桂冠はおやめだ。これで後家の弁護もしなくていいし、孤児を苦しめることもしなくてすむ。弁護士服もおさらばだ、見習い出勤もおさらばだ。いよいよ除名が得られたわけだ。そして皆君のおかげだ。ポンメルシー君。改めて感謝の訪問をするつもりでいる。君はどこに住んでいるんだ。」
マリユスはちょうど祖父の家を飛び出してきたところで行く当てもない、という話をしていると、そこへカフェから出てきたクールフェーラックがこともなげに「僕の家にきたまえ。」と誘う。マリユスは、こうして、ひょんな偶然からABC友の会と関わることとなったのです。
翌日、さっそくールフェーラックはカフェ・ミューザンにマリユスを連れて行きます。政治的意見を聞かれて、「民主的ボナパルト派だ」と答えるマリユスに、クールフェーラックは「鼠色のおとなしい奴だな。」と言う。マリユスは、ABC友の会の議論にすっかりショックを受けてしまいます。これまで、政治的な議論は、祖父に連れられて通ったサロンで聞く王党派のものしか知らず、父の件でナポレオン派に転換したものの、自分がまだまだ知らない世界があることを彼は思い知るのです。
哲学、文学、美術、歴史、宗教、すべてが思い設けないやり方で語られるのを彼は聞いた。彼は不思議な境地を瞥見(べっけん)した。そして適当な視点に置いてそれらを見なかったので、何だか渾沌(こんとん)会を見るような心地だった。彼は父の意見に従うために祖父の意見をすてて、自ら心が定まったと思っていた。しかるに今や、まだ心が定まってはいないのではないかという気がして、不安でもあるがまたそう自認もできかねた。今まですべてのものを見ていた角度は、再びぐらつき始めた。一種の震動が彼の頭脳の全世界を動揺さした。内心の不可思議な動乱であった。彼はそれにほとんど苦悩を覚えた。
圧倒され、ほとんど議論や演説を聞くだけだったマリユスですが、「ワーテルロー」の話題が出た時、耐えきれずに、堰を切ったようにナポレオン賛美の演説を始める。「コルシカ島、これがフランスを偉大ならしめた小島だ。」
その一言で皆は突然口をつぐんでしまいます。まるでその言葉が「凍った空気の息吹」でもあるかのように。しかしマリユスはかまわず話し続ける。それは亡き父に代わってナポレオンに捧げる言葉でもあったのかもしれません。「もし皇帝を賛美しないとしたら、だれを賛美しようとするのか。」ナポレオンが成し遂げたようなヨーロッパの征服、これ以上に偉大なるものは何があるか、と問いかけるマリユス。
コンブフェールは、その問いにこう答えます。「自由となることだ。」
この「冷ややかな一語」でまったく打ちのめされるマリユス。さらに追い打ちをかけるようにコンブフェールが歌うやさしげな詩─「われはただ母をばただ愛す」。その「母」とは「共和」のことだ、とアンジョーラが言う。
父に近づこうとして、あるいは近づいた結果、ナポレオンの信奉者になったマリユスにとって、ナポレオンを捨てて共和主義に走ることは父からまた遠ざかることを意味していました。心中ひそかにそれを恐れるマリユスは、ミューザン珈琲店に行くことをやめてしまいます。
悩むマリユスの前には、「生活」という現実ものしかかってきます。下宿の家賃が払えない。ジンノルマン伯母が彼の居所を突き止めて金貨を送ってきても、彼はそれをそっくり送り返してしまうのです。服や金時計を売り、なんとか家賃を払ったマリユスは、下宿を引き払い、その日の糧を求めてしばしさまようことになるのです。
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