風塵社的業務日誌

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カレーライスを作る

2019年07月01日 | 出版
妻が家を出ていった。I followed her to the station, with her suitcase in my hand… 以前にも同じようなことを記したけれど、妻がいないというのは大変いいものだ。ニヤリ。さて、なにをして自由を満喫しようかと考える。オネーチャンと遊ぼうと思うが、お金のかかることはできない。そこでカレーを作ろうと思い至る。その理由はいくつかあるのだが、この間、小生がカレーライスを作ることを妻が許してくれなかったのだ。「カレーは匂いがきついからやめて!」げな。ならば、敵のいないうちにカレーを作ればいいや、というわけだ。
それと、ある日むしょうにカレーライスが食べたくなった。インド料理店のカレーではない。日本のカレーライスだ。そこで、あるカレーチェーンのお店に入り野菜カレーを注文した。ところが、そこはサービスのつもりなのだろうけれど、ビーフのかけらが浮かんでいる。したがって、野菜カレーといっても肉片が少し入っている。その肉片を皿のわきにはずして食べていたつもりだったのだに、最後の最後、ちょっとした肉片を飲み込んでしまった。それから数日、胃の腑になんともいえぬ気持ち悪さが残ってしまった。以前にも同じ過ちをしでかしたことがあり、「こんなことなら神保町まで行ってカレーライスを頼めばよかった」と後悔するものの、その気持ち悪さから解放されるとまたカレーライスが食べたいなあと思うようになっていた。これはただ単に、小生が懲りないアホということなのだろうか。
さらには、朝ごはんに一人分だけを作るのって面倒くさいからだ。インスタントのみそ汁に、納豆と卵かけごはんでいいやとなってしまう。もちろん、それでも充分ではあるが、かつてのイチローのように毎日朝カレーにしておけば、さらに手間がかからない。
そんなわけで、妻からいただいたお小遣いを手にスーパーに出かけ、食材とビールを買ってくる。各人の好みはさておき、カレーライスを作るのにさほど複雑な工程などないことだろう。まずは玉ねぎを細切りにし、弱火でじっくり炒める。とにかくひたすら炒め、茶色になったら水を投入して茹でていく。小生の場合、肉類はもちろん使わないが、その他の野菜の具材は別のフライパンで焼くことにしている。ニンジンもジャガイモも大きめに切っておいて、ゆっくり熱を通しておく。そして、カレールーを入れた鍋に、あとから具材を投入している。あまり深い意味はないのだけれど、一種の焼石料理作戦であり、また具材が煮崩れしないようにというためだ。
こうしてカレーを作っていれば、翌日の資金繰り大作戦のことは忘れられるかとも思っていた。ところが、ニンニクをみじん切りにしつつ、「あと、いくらだっけなあ」なんて考え始めからどうしようもない。思わず指を切りそうになった。「下町の中小企業のおやじが資金繰りを考えていて、よく旋盤で小指を飛ばしちゃうだろ」なんてR社M社長にからかわれたものだが、小生も危うく指を切るところであった。
カレーをぐつぐつ煮込みつつ考える。これを食べていって、量が減ったところで再びカレールーと具材を投入していけば永久カレーになるなあ、と。しかも、ちがうルーにしていけば、味もドンドン変わっていくわけだ。同じようなことを鍋で想像したことがある。最初は湯豆腐とうどんくらいで許しておいてやる。鍋に残った汁をしっかりと残しておき、第二段階はタラチゲとか寄せ鍋とかか。汁がそろそろやばいかなあと思い始めたら、キムチの素でもぶち込んでキムチ鍋にしていけばいい。そもそも、1日に1回くらい火を通しておけば、鍋の汁そのものはそうそう悪くならないだろう。これで、一週間はいろんな鍋を味わえるという作戦だ。
缶ビールを飲みつつカレーを煮込んでいく。サラサラ系のカレーが好きな人とグタグタ系とに別れると思うが、小生はグタグタ系である。そのため、かなり煮込まないと気がすまない。作り始めてから2時間ほど経っただろうか。缶ビールは4本目である。ようやく味見をしてみた。われながら、なかなか美味い。しかし、「われながら」は余計かな。いまどき、カレールーを入れれば、すべてがそこそこの味になるからだ。してみると、いつまでもウダウダ煮込んでいる小生はアホなのか。ウーム、そうかもしれないし、そうでないのかもしれない。いずれにせよ、自分で美味しいと感じられるカレーができたのだからいいではないか。
冷蔵庫内に残っていた冷や飯をチンし、そのうえにカレーをかけて昼飯とする。うまい、うまいと、すぐにガツガツ食い終わってしまった。こんなことならジャーでご飯を炊いておけばよかったと思う。まるで高校生並みの食欲だ。それにしても、自分で作ったものは、おのれのきらいなものが入っていないことを熟知しているわけだから、安心して食べられる。小生のように偏食の激しい人間はさまざまな場面で不利益をこうむったものである。しかし、自分で作ったものを美味しく食べられるのだから、それでいいではないか。そんなことよりも、会社の資金繰りをどうするか、である。

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