風塵社的業務日誌

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『民間裁判外紛争解決制度(ADR)の実証的考察』

2019年07月04日 | 出版
もう7月だ。今年も半分が過ぎてしまったということである。ところが、昨年末以来の資金繰りの不調が、いまだに重くのしかかっている。好転する兆しすらない。そもそもが貧乏であるものの、早々簡単には死なない体質となっていることは以前に記したことがある。しかしこの半年で、危険水域にかなり入ってきているのは事実だ。後半戦の巻き返しを図らなければならない。そこまではわかりきっているけれど、問題はどうやって、ということだ。とにかく、生き残りの道を探さなければどうしようもない。そこで発想を逆転させれば、風塵社は死んでも小生が生き延びる方策を探ればいい、ともいえる。ならば、いっそのことハードランディングしてしまうか。こうして、ああだこうだと考えても結論はすぐに出てこない。
それにしても、カープの6月以降の絶不調には目をおおいたくなる。いや、すでに目をおおい始めていて、試合結果をチェックするのが怖くなってしまった。おかげでスポーツニュースも見ないし、新聞のスポーツ欄も開けないようになっている。歯車が少しずれてしまうと、連覇中のチームでもこんなに苦しむものなんだなあと、改めて勝負事の怖さを見たような気がしている。緒方監督もつらいだろうけれど、なんとかチームを立て直してもらいたいものだ。おそらくは、カープが上昇気流に乗れば弊社も浮上のきっかけをつかむことだろう。
それは冗談として、この業界の泥舟状態にも歯止めがかからない。某書店チェーンが事業再生ADRを申請したことが、ヤフトピにも出ていたらしい。旧友のN氏の紹介でSさん著『民間裁判外紛争解決制度(ADR)の実証的考察』という著作を3年前に出させていただいたことがある。その裁判外紛争解決制度とは英語のAlternative Dispute Resolutionを訳した言葉で、その略称がADRである。もちろんその本の編集をするまで、ADRという語を小生は知らなかった。したがって、ADRとはなんぞやを事前にN氏からレクチャーされたものの、理解の遅い小生にはよく飲み込めなかった。なんでもN氏は、ADR研究を専門としているらしい。そして結局、Sさんの原稿を読みつつ、ようやくおぼろげながらのイメージができるようになった。
するとその後、原発ADRの動きが新聞紙面でも取り上げられるようになり、ああ、そういうことかとようやく理解することはできた。そのため、東電対被災者という圧倒的に非対称な力関係のなかで、しかも東電に妥協する意思がない状態ではいい結果にならないだろうなと思うようになる。そして残念ながら、被災者が原発ADRで東電と交渉しても、たいした成果を上げることはことはできなかった。要するに、国の無策が招いた結果でしかなかったというわけだ。先ほどの某書店チェーンのADRも、公的な機関に申請したもののようである。これこそは、いい結果となるものと祈りたい。
ところで、Sさんの著された本は、そのADRの前に「民間」と付いているところがミソなのだ。これまで述べてきたように、公的なADRの機関というものはすでにある。しかしその一方で、ADRなんて名称が導入される以前から、さまざまな民事的紛争が当事者同士の話し合いで解決されてきたわけである。いうところの、庶民の知恵なり、大人の態度というものだ。それを整備し直し、法的制度に組み入れようとしても、できるものではない。その民間ADRの実例を通し、紛争解決にはなにが必要なのかを考察したのが、先ほどの『民間裁判外紛争解決制度(ADR)の実証的考察』である。
そこで実は、制度なる言葉をうっかり使ってしまうところに落とし穴がある。繰り返すが、「裁判外紛争解決制度」というのが正式名称なので(だれが、いつ、どこで決めたのかは知らない)、ついつい法的制度としてそういうものがあるのだろうと思い込んでしまう。ところがそうではなく、「裁判外」という冠が示すように、それは法的に整備された制度などでは決してない。紛争当事者同士がお互いに話し合い、落としどころを探りあい、そして同意に至ったことは双方でこの先も守りましょうというのが、そもそものADRの精神なのだろう。
もう20年近く昔の話でその当時ADRなどという言葉はなかったが、そうした局面に小生も立たされたことがある。風塵社の債権者会議の場だ。小生の前任者が会社経営に行き詰まってしまった。業者さんに払うべきものが払えない。それどころか、前任者は街金から借りまくっていて会社の存続が風の前の塵のごとしとなっていた。そこでP舎社長(当時)が風塵社に介入してくれて、街金関係は押さえてもらった。次は業者さん関係ということになる。以前にも述べたことがあったと思うけれど、そこでのP舎社長の条件は、前任者はヒラに降格し、腹巻が社長になれ、というものだった。当初、その注文(命令?)を断ったのだけれども、ほかの事情があって引き受けざるをえなくなってしまった(その他の事情についてはそのうち述べるかもしれない)。
そこで直面したのが債権者会議である。次期社長として風塵社の再建計画はこういうものであり、ひいてはみなさまがたのご協力を引き続きお願いしたい旨と、さらにはこれまでの売り掛けはチャラにしてもらえないかという、まことに虫のいい話をしなければならなくなった。そのときのストレスで、以来、人前で話すと動悸が激しくなるようになった。しかし、こういう紛争解決のあり方は、ADRなる言葉が登場する以前からあったものなのだ。

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