風塵社的業務日誌

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将棋観戦

2013年04月04日 | 出版
雨になると、体がいうことを効かなくなってくる。歳のせいなのか、もともとそういう体質なのか、それともただ単に甘えているだけなのか、それは自分でもよくわからない。
しかし、このクソ忙しい時に、二日も雨にたたられると作業に影響を及ぼすところ大であるのは事実だ。ある文章を入力しないといけない。3000字くらいの文章だ。普通ならば、30分くらいの作業だろうと思うけれど、それに集中できない。
これには参った。1行入力しては集中を欠いて眠くなってくる。そこでソファに寝転がってしばしまどろむ。どのくらい寝たのだろうか。ようやく起き出してまた1行入力したら、もういやになって、ネットで囲碁を始めてしまう。
古文を入力しているわけでもないので、そんなにタイプを打つことが苦痛であるはずがないのであるけれど、なぜかまったく集中できない。やっぱり雨のせいだろう。雨の日の猫は、どうしようもなく眠いのだ。
しかし、そんなことも言ってられない。作業を進めないといけない。ところが、やる気がさっぱりわかない。しょうがないから。Yahooの将棋サイトなんかのぞいてしまう。指しても弱いだけなのでゲームには参加しないのだけれど、見ていると将棋って結構面白いのね。なんだか、超複雑で難解なパズルのような感じがしてくる。
結局、どっちが早く相手の王将を取るかというゲームだから、局面が煮詰まれば煮詰まるほど、いち早くそのパズルを解いた方が勝ちであるわけで、そのスリリングさがたまらないのだろうな。
囲碁にも攻め合いという形があるけれど、その場合、攻め合いで負けることが読めたら、それを回避するという選択肢もある(つまりは負けそうな石をどう活用するかという)。しかし、将棋は最初から攻め合いのゲームであるから、そのスリリングさがゲームの本質となる。これはこれで面白いねえ。
ところがしかし、そのパズルの読みがいまいちわかっていないものだから、指す手の意味がよくわからない。どうしてそこに指さなければならないのかという必然性が理解できない。詰め将棋のように王手、王手とするまでもないということは理解しているけれど、一手一手の意味を理解できるようになるまではこれから修行しないといけないだろう。
先日(といっても旧年のことになるが)、旧友のSSが将棋板を買ってきたので、弊社内でSSとSGと将棋に興じたのだけれど、小生なんて、彼らに飛車角抜きでボロクソに負けてしまったものだ。日ごろ将棋を指したことがないからそれはそれでしょうがないのだけれど、小生に囲碁を挑戦してきたSGには九子置かせてボロクソに勝ったから、一応、小生の面目も保たれたというものだ(後日、旧友のOも参加してSSと将棋で血みどろの戦いを板上で繰り広げたのであるが、観戦していたSGと小生にはよく理解できなかったのだ)。
しかし、将棋って難しいね。どう攻めていったらいいのやらさっぱりわからない。ところがそもそも、先手必勝があらゆる勝負事の原則なのだと思っていたのだけれど、将棋の場合、どうして後手が勝つことがあるのだろうか。その点囲碁の場合は、後手の白にハンディを持たせていて、先番の黒はそのハンディ以上に地を稼がないと勝利とされないということに現代ではなっている。ゲームの質がちがうから将棋と囲碁を同列に考えること自体がまちがいであるけれど、将棋の先番、後番という概念はどうなっているのだろうか。よくわからない。
そういえば、中学生の時、同級生に中島くんというのがいた。彼がオセロ(リバーシとしないとまずいのかな)の名人であった(もちろん、基準は小生)。彼と何回もオセロをしたけれど、結局、一回も勝ったことがなかったと思う。オセロの場合、先に隅を抑えれば圧倒的に優位な立場に立つことができる。したがって、相手に隅を与えず、こちらが先にいかに隅を確保するかに苦心することになる。
こちらが圧倒的に弱いから、いつも黒を握らせてもらっていたが、全然勝てないので、ある時白を握ったほうが優位なのではないかと思いいたった。それで、中島くんに話をして小生が白でゲームをスタートした。ところが、結局、小生がボロ負けしてしまった。
そこで、オセロの場合、先番、後番なんて関係ないのかなあと思ったのであるけれど、しかしそれは、圧倒的な実力差なのかも知れない。オセロ(将棋も囲碁も)のハイレベルの闘いなんて、小生の理解の限界をはるかに越えているものだろうが、先手必勝という概念はどうなるのだろうか。いよいよもって不思議だ。

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