風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

なにやら忙しい

2013年04月01日 | 出版
先々月の末から、なぜか急に忙しくなってしまった。
整理するために、会社としてまた小生個人として今から何をしないといけないのか列挙してみる。
ミニコミを4月中に2回出さないといけない(内1本の製作はほぼ終了)。
「救援」紙の4月号を作らないといけない。
請け負っている仕事を2本やっつけないといけない。
自社の書籍を2本出さないといけない(順調にいけば、連休明けにもう1本追加)。
近々予定している集会の準備をしないといけない(お仲間と一緒に着々と進行中)。
そのうえ、事務的、経理的なことも処理していかないといけない。
困ったなあ。体がいくつあっても足りないぞ状態に陥りそうだ。幸いなことに鬱に陥っていないから、積極的に課題を処理しようという気持ちを維持できている。
そのクソ忙しい折、先日、某公園で某氏を偲ぶ会を開いた。例年20~30人ほど集まるのだけれど、今年は関西で行われた集まりとバッティングしてしまったせいか10人ほどの参会者だった。
ところが、そのうちのお一人は、わざわざ高崎からお越しいただいたとのこと。しかも、弊社刊行物を読んで来られたというから、あまりに申し訳ない気持ちになってしまった。だますつもりはないけれど、だましているような気分になるのは、出版業者の性(さが)なのかもしれない。
その後、例年のごとく近くの飲み屋に移動し、飲み直すことになる。そこで、あるおじさんの話がくどい。Aさんが何々してから始まり、途中でBさんの評価に移り、さらにはCさんの話になりそうなのだけれど、そもそも、きっかけのAさんが結局どうなのかは、聞いていてもさっぱりわからない。
あまりにつまんないから、「それでAさんはどうなったのですか?」と混ぜっ返してしまうのはしょうがないだろう。そのかたにしてみれば、どうせ酔っ払ってくだを巻きたいだけの話でもあるので、そういう小生のツッコミはうるさいだけだにちがいない。しかし、酒の場で中味のない話を偉そうに延々としゃべるのはやめてもらいたいものだ。
帰りがけ、久しぶりに会ったM氏に、「我々(××派)は酒飲んで議論して感情的になることはあっても、ああいう話し方はしないだろ。だいたいセンテンスは短いし」と話しかけたら、「いやあ、○○派にはああいうタイプ多いですよ」と言っていた。
そう言われて思い出したけれど、出版業者にもそういうタイプが多い。何かに感情移入して話しているのはわかるけれど、いったい何をしゃべっているのか、論理性が完全に欠如していてこちらはまったく理解できない。そもそも主語がなんなのかがわからない。
これまで酒を飲みながらそういう人の話を聞くたびに、「こいつはバカなんだろう」と内心では思ってきて現在に至るけれど、小生もそのうちそういう年寄になるのだろう。近い未来に小生の毒牙にかかる人には今からあきらめてもらうことにしよう。
その面で、松田政男さんというクソ年寄には感心してしまう。御年80を越えたのかな、その場でも一緒に飲んでいたけれど、話している内容の論理性がものすごく明晰だ。小生との付き合いもそれなりに長くなってしまい、松田さんの言わんとすることをすでに小生もわかっているという前提もあるのだけれど、それを差し引いても、酔っ払いながら話す内容にクダクダしさがない。
今後の我々の方針についても、松田さんなりの指向性を明確に語られた。その指向性に基づくかどうかはまた追って決めるとしても、そのブレのなさに小生はかなり感心してしまった。しかし、小生はそういう年寄にはなれないだろう。若い子に、説教のような自慢話のようなことを問題提起のようなふりをしてねちっこくしゃべるだけのいやなジジイになるに決まっている。ほんと、すみません、と再度今から謝っておくことにしよう(しかし、長生きできるのかしら)。
それで本日。朝一でミニコミを1本終わらせ、某氏に送信。その某氏が出力して印刷し、それを我々が発送するという段取りになっている。ついで、集会で対談していただくかたの紹介文を書き始める。思いのほか難儀し、ようやく関係各位に送信。すると、すでにお昼近い。昼飯を食べることを拒絶し、「救援」の作業に入る。ようやく、届いているデータをすべてハメハメし、救援連絡センターに送信しておく。ちょうどそこに楠山忠之さんから電話。「今神保町だけど、これからそっちに行ってもいい?」。どうぞどうぞと答えておく。二人して日本酒を飲み始め、すっかり酔っ払っちゃった。

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