風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

前線の小動物

2017年03月15日 | 出版
公判中の知人からお手紙が届く。例によって勝手に転載(腹巻)。
〈 〉内は腹巻による補注です。

=============================================
 〈某ミニコミ誌〉前号の表紙にTさんの絵とコメント付きで、梅の枝とウグイスが載っていた。実物のウグイスよりはかなり大きいなと思いながら、托卵されたウグイスのつがいは本当に全く気づかずにホトトギスの卵を温め、孵化した後は疑うことなく自分たちの子供として育てるのだろうか(?)。いや、ちょっとおかしいな(?)と思いつつも育てるのだろうか(?)と思った。
 というのも、かつて連邦刑の通信制限特別房区に入れられていた時(部分的ながら)、テレビ室で観た確か「アニマル・ワールド」というチャンネルのそれを憶い起こしたからである。もっとも私は、それを観ようと思ってテレビ室へ行ったわけではなく、仕事までの時間つぶしにそこをのぞいた。テレビ室には4台のテレビがあり、その各々のテレビは特定の周波数があって、個々のラジオをそれに合わせれば音声が聞き取れる。ひまつぶしでのぞいた私はラジオも持っていなく、ただ画面だけを追っかけるだけだったが、「アニマル・ワールド」のそれは画面だけでもだいたいの筋は判った。
 その番組はライオンの群れが鹿の群れを襲い、一匹を捕らえて食べるというものだったが、たまたま子鹿を産んだばかりのが鹿の群れの中にいて、ライオンの群れの襲撃に遭った母鹿も逃げ出す。多分その母鹿だろうが、捕らえられ食べられてしまう。産まれたばかりの子鹿はその場に残されてしまうのだが、襲撃を終えたライオンのグループの中にも子供を産んだばかりのメスがいて、自らの子(ら?)の方へと帰る途中で子鹿を発見。その子鹿をくわえていってわが子(ら)と共に育てはじめる。子鹿もメスライオンの乳をのみ、ライオンの子(ら)ときょうだいのように遊び、育っていく。全然姿形は違うのだけど、彼らは母子・きょうだいとして日々を過ごす。確かライオンの世界ではメスライオンがハンターとして活躍するはずだが、こんな不思議なことが起こりうるのか(?)と思いながら、私は観ていた。残念ながら、私が観ていたのはこのあたりまでで、仕事に行かねばならなかったので、私はテレビ室を離れた。
 後で、その番組を観ていたパキスタン系のモスレム囚に「あの後どうなったのだ?」と尋ねたところ、「しばらくメスライオンが自らの子供のように育て、子供ライオンときょうだいのように育っていくのだが、オスライオンが子鹿を見つけて食べてしまった。あのまま育っても、鹿は草食で他のライオンのように他の動物を襲って、その肉を食べられるわけがないのだから、群の一員となれるわけはないのだけど、なかなか興味のあるドキュメント番組だった」と言っていた。
 ひるがえって言えば、産まれたばかりの頃から育てたならば、犬科や猫科の野生動物でも人間になつく可能性が大きいということだ。多分、昔の人々はそのようにして犬や猫ばかりか家畜と呼ばれるようなさまざまな動物を飼い出したのであろう。食べるつもりでのものが、別の目的を持ったのだろう。
 一説によると、人間が猫を飼い出したのは、なんと一万年程も前にさかのぼるという。収穫した穀物をねずみに食い荒らされるのを防止するためにヤマネコの子を育てたのは人間の子供たちだったであろうが、それが穀物をキープするのにすごく有効であることが発見されたと考えられる。
 私は農家の生まれで、田舎では穀物は納屋に入れておくのが普通だった。頑丈な蔵を持っている家はごく少数派だった。いやそういう家でも刈り取った稲から俵づめにして運び出すまでは納屋に置いたのだから、ねずみは大敵。だから猫は各家の必需メンバーだった。時々野ねずみが大発生し、農協が猫いらずを配布すると、ねずみが死ぬだけでなく、猫もバタバタ死んだりした。猫は猫いらず入りの穀類を食べないのだが、それを食べ動きがにぶくなったねずみを捕って食い猫も死んでしまう。そういう時に生き残って子猫を産んだ家があると人々は、その一匹を分けてもらおうと殺到。時には「子猫一匹米一升」なんてことにもなったりした。それほど農家にとって猫は重要な存在だったわけである。
 先日、地震被災地の仮設住宅で人々が飼っていた犬や猫が新しい住宅へ連れていくことができず放置され、ノラ化しているという話が新聞に載っていた。犬や猫を飼うことができないアパートへ連れていくことができないがために、放置していく人が少なからずいるからであるという。人間のご都合主義、身勝手さ、残酷さを思わざるをえない。
 見捨てられた犬や猫はレバノンの前線にもいた。人間が安全なところへ逃げ出すのがやっとという状況下だから、犬や猫を連れて……というのは大変。連れていく余力があっても、銃弾や砲弾が飛び交っているのだから、犬や猫がその主人の思うように動かない。結果的に置き去りにされてしまうのは当然。
 ちと脇道にそれるが、ライラ・ハリッド〈のちに「ハイジャックの女王」と名を馳せる〉は子供の時に一家がハイファからレバノンへと避難したのだが、その予定日にライラがカクレンボをしていて眠ってしまったかなにかで家族からみたら行方不明だったので、その移動を延期したと書いていた。犬や猫の場合、カクレンボではなく銃弾や砲弾におびえて小さな隙間を見つけて小さくなっているのだから、飼い主は見つけられない。ハイファでは銃弾・砲弾が飛び交っていたとは思えないし、家族の呼ぶ声が聞き分けえたはずだが、ライラはしっかりとひそんでいた。いわんや犬や猫の場合は……。
 さて、置き去りにされた犬や猫の場合どうなるのか? 私の知っている限りだが、犬は銃弾や砲弾の音におびえて、尻尾を巻いて物陰に隠れる。敵のゲリラが潜んでいるのではないかと思って、その物陰方向に向かって撃ったりすると、実に情けない声を出してさらに小さくなってうずくまる。銃弾あるいは石やセメントの破片が当たったりすると、一層悲しげな泣き声を立てて身を丸めるか、ひょこひょこ動き出す。が、決して走ったりしなかった。他方、猫の場合は、あたかも野生を取り戻したかのようにものすごく敏捷になる。
 ある時、ある場所で、私らが兵舎にしていたところの近くに、別の部隊もそうしているゴミ捨て場があった。残飯の中に肉の小片付きのトリの骨があったり、肉汁がしみこんだパンの切れ端があったというせいもあって、犬も猫もねずみもやってきていた。犬は身体を低くしてゴミをあさり、骨をみつけるとそれをくわえてこっそり別のところへと持っていった。対して猫の方は、そこに集まるねずみを追っかけるのか、実にすばやく動いていた。初めてそこへやってきた少年兵は、ガサゴソという音にびっくりして銃をかまえようとしたところ、猫がダーッと走っていったので肝を冷やした、とてもAK47を撃つ余裕もなかった……、と苦笑していた。
 ともかく、どちらも飼われていたはずなのに、ほんのしばらくの間に人間に対する対応(反応)が大きく違ったのにはびっくりせざるをえなかったことを付け加えておこう。
(2017年3月中旬)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿