風塵社的業務日誌

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ボツ原稿

2010年10月21日 | 出版
ここ数日、いろいろあって悩むことになってしまった作文をようやく書き終えたのであるが、結局、のっぴきならぬ突発事態が生じてしまいボツになってしまった。そのまま、パソコンのゴミ箱に入れるのも少しむなしいので、ここにアップしてしまうことにしよう。ただしこの文章は、ある共同体内に向けて書いているものなので、「Sさん」「Fさん」「諸君」の指す相手がわからないと、全体の文意が通じないようになっている。それを不特定に向けて発信することはお詫び申しあげるが、上記した事情なのでご寛恕いただくことにしよう。そこで書いた本人が自己評価するに、最終的には文章技巧に逃げてしまい、あまりピュアなものとはいえない内容だなあと反省はしている。

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 「母の結婚」
 少し前のことだが、私の母が七〇半ばにして三度目の結婚をした。一度目の相手は私ら兄弟の父となる人であったが、この人は生活破綻者だったので母もいたたまれず、私の弟が成人後に離婚し、名古屋市内に移り住んでいた。
 そして六〇代で二度目の結婚をするものの、そのお相手とは死別。その後、名古屋市内の老人ホームに暮らすことになったのであるが、日常を細かく管理されるのが性分に合わなかったらしく、そこで知り合ったかたと結婚して市営住宅に引越し、二人で暮らし始めたといういきさつだ。
 Sさんの介護日誌にくらべれば、こちらは手がかからず、しかも、近くに住んでいるわけでもないので親の介護からも解放されており、なんともハッピーである。実父の方は数年前にめでたく逝っており、この点は両親に感謝しないといけない。しかし、Sさんほどの親不孝はしていないので、それもむべなるかなというべきだろう。
 それはともかく、母の新しいお連れ合いにあいさつでもしておくかと、某月某日、名古屋までノコノコと出かけることにした。そのかたは、熊本の人吉の出だということで、芋焼酎とタバコがお好きで、優しそうなかたであった。めでたし、めでたし。
 それもともかく。母の近くに住んでいる兄の家に泊まらせてもらい、そこのできの悪いガキどもの相手をしてやることになる。勉強のきらいな小六の甥に、なんの関心もないけれど、「社会科はなにを勉強しているんだ?」とたずねてみた。
 「この前、大化の改新を教わった」
 「フーン。ところで、おまえの父ちゃんは、どこの生まれか知っているか?」
 「長野県」
 「長野のどこ?」
 「知らなーい」
 「おまえはバカだねえ。安曇野というところだよ。安曇野って、なんだかわかるか?」
 「知らなーい」
 「おまえは本当にバカだねえ。昔むかし、大化の改新よりも昔に、九州にいた安曇族という人たちがやって来て切り拓いた土地だから、安曇野っていうんだよ」
 「フーン」(と、気のない返事)
 「その安曇族という人たちは、九州に住む前は、中国から来たと言われることもあるんだ」(このへんは諸説あるのだろう)
 「フーン」(と、さらに気のない返事)
 「ということは、おまえの遠い遠いご先祖様は、もしかしたら中国人かもしれないぞ」
 「エー、それはイヤだなあ」(と眉をしかめる)
 「イヤだろうがなんだろうが、日本人なんて多かれ少なかれそんなもんで、本当は多民族なんだぞ」
 「フーン、そうなんだあ」
 と、叔父上様を尊敬の眼差しで見上げる(わけがない)。
 いま、尖閣諸島の領有権をめぐって、日中間で激しい駆け引きが繰り広げられている。はるか古代のことを思えば、世知辛い世の中になったものだ。
 一九七五年六月二五日、Fさんは「諸君の闘争こそが東アジアの明日を動かすことを広範な人民大衆に高らかに宣言した」と叫んで単身決起をしたわけであるが、日本の反日派と中国の反中派とが連帯することにより(もちろん、韓国内反韓派、北朝鮮内反朝派も含む)、大国主義や侵略とは無縁の、新たな東アジア共同体を生み出せないものかと、新聞を広げながら夢想も広がる。


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