内戦のアルジェリア 過激派に殺されると予感はしていても 逃げ出さずに 山あいのトラピスト修道院に留まり続けた 8人の修道士の話です。
1996年 わずか15年前の出来事、 もっとずっと古い時代の話だと思っていました。
アルジェリアは 19世紀~20世紀前半は フランスの植民地だった。
アラビア語は禁止され フランス語に イスラム教は キリスト教への改宗を促がされる。
1962年 独立後は アラビア語政策を採用したが 皮肉にも政府の高官を始め 就職には フランス語が 有利となっている。
そんな矛盾の中で 社会からはみ出した者たちのテロは 外国人排斥となり、 当然フランス人の修道士たちにも 危険は迫る。
8人の修道士
村人からは
居て欲しいと
懇願されて
行政からは
出て行けと
言われ
毎晩のように
意見を交し合う
私は去りたいと
言っていた者も
最後は
出て行っても
心の平穏はない
と 留まると決意する
いつ襲われるか
恐怖は
グレゴリオ聖歌を共に歌って
超越しよう
この身に何が起きても
何人をも怨まず
死を恐れないから
自由でいられると
誰が彼らを捕らえ殺したかは 未だに解明されていないそうです。
今の世にも 過酷な場所で 過酷な労働が待っているのにも係わらず 僻地への伝道の志願者が 絶えない。
どんなに奉仕しても 一人もキリスト教に改宗しないところもあるそうですが それでも修道士達は 黙々と使命に従う。
信仰とは そういうものなのでしょうか。
この映画のクライマックスは 「白鳥の湖」の音楽を聴きながら 9人(一人物資を届けにきた修道士を加えて) で さながら最後の晩餐をする場面です。
最初はみんな微笑んで それから深く物思いに沈み 涙を流し また微笑む。
結局 とっさにベッドの下に隠れたり、寝室にいなかったりで 2人が拉致から逃れます。
一人はまだ健在だそう。 彼の証言があれば もう少し 踏み込んだ表現が出来たのではないでしょうか。
7人の修道士が 殺された。 彼らは何物からも逃げなかった。
その事実は 淡々と伝わってくるのですが 享年59才の修道院長は 32才で修道院に入った そのいきさつとか 個々の修道士の経歴等 もう少し描けば もっと共感できたと思います。
(例えば予告編にある 82才のただ一人の医師が アルジェリア人の少女に 恋をしたことがあるかと聞かれ 沢山したが最後に大きな愛に出会った というような)
風呼r でした
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