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ベルク ヴァイオリン協奏曲/クレメール,デイヴィス&バイエルンRSO

2009年12月11日 22時49分44秒 | マーラー+新ウィーン
 ベルクのヴァイオリン協奏曲もこれで4つめ、当時ヴァオリンの鬼才として名を馳せたギドン・クレメールに、クーベリックの後任としてバイエルンの首席となったコリン・デイヴィスとバイエルン放送響の組み合わせで1984年に収録されたので、これもかれこれ四半世紀前の演奏となってしまったが、なにしろ先日のシゲティとミトロプーロスから1945年、グリュミオーやシェリングでも1970年代中盤の収録だったので、私のもっている同曲の演奏ではかなり新しい方に属するものとなる。1984年といえば、既にデジタル録音が一般化して、フォーマットもCDに移行しはじめた頃だと思うけれど、この演奏もデジタル録音の威力が良くでた、高SN比、高解像度、自然なホールトーンという、かなり物理特性を稼いだ録音で、演奏がどうの、解釈がこうで....とかいう前に、まずはこれまでとは段違いに優れた録音の良さが印象的だ。ベルクといえば、オーケストラの響きがやたらと分厚く錯綜しており、古い録音だとたいてい飽和して聴こえがちだったけれど、この演奏では、ヴァイオリンも含め、全体が実にナチュラルに聴こえてくるのである。

 こうした感触は、おそらくクレメールとデイヴィスという組み合わせによるものも大きいのだろう。クレメールのヴァイオリンは冒頭からほとんど神経質と形容したいような面持ちで演奏されていて、特に弱音の使い方、やけに温度感の低い表情など、ほとんどこの曲の叙情的、ロマン派的なムードが一蹴したような雰囲気すら漂う。またデイヴィスの方も元々主情的などという形容とは対極にある律儀で中庸な実に英国らしく演奏をする人だと思うから、ここではクレメールに神妙に付き合っているという感じである。まぁ、そんな演奏なので、この曲の持つ「スタティックな美しさ」を追求した演奏としては随一といってもいいかもしれない。おそらく、演奏自体のクウォリティも完璧に域に達しているだろう。ただ、ベルクの音楽特有の狂おしいような情念、ロマン派の極北のようなある種の饐えたようなムード....、そういった、私がこの曲に求めているものは、この演奏の場合、ちと後方に追いやりすぎている気がするのは私だけだろうか。「あぁ、きれいだなぁ」「整っていてうつくしいなぁ」とは思うけれど、曲の背後にあるドラマは真に盛り上がらない....と感じてしまうのだ。

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