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ツェムリンスキー 交響曲第2番/サイペンブッシュ&スロヴァキアPO

2008年11月17日 18時26分36秒 | マーラー+新ウィーン
 土日と出張が続いたので、今日はその代休、昨夜導入したしたAppleTV+MD10の組み合わせで我が家のiTunesライブラリーを縦横に駆使して(ってほどでもないが)、久方ぶりメインのオーディオ・システムで音楽三昧の一日となった。現在我が家のiTunesライブラリはアルバムにして、1000枚になろうとするところだが、さすがに1000枚ともなるとかなりライブラリらしく網羅されてきた感じだ。リンゴ・スター~ロレツ・アレンクザンドリア~バルトーク~バーナード・ハーマン~荻野目洋子といった様々な音楽を、気の赴くままにCD棚にいかなくとも、音楽をするすると聴けるのはけっこう楽しいものだ。ツェムリンスキーもそうした音楽三昧の中で何故だか出てきた人で、このあたりの音楽の連想ゲームみたいなものを深層心理学的に解読したけっこうおもしろいかもしれない。

 さて、ツェムリンスキーはシェーンベルクの師匠として有名だが、けっこう残している作品は決して有名とはいいがたい。かろうじて有名なのはマーラーの「大地の歌」やベルクの「抒情組曲」でよくその関連を取り沙汰される「抒情交響曲」くらいだろうか。ただ、80年代後半くらいだったか、マゼールがその「抒情交響曲」をベルリンPOと録音したりから、ラサールが弦楽四重奏曲集を完成、その後しばらくしてリッカルド・シャイーが「人魚姫」を手がけたりして、近年も散発的にアルバムも出ているようだから、まぁ、コルンゴールドほどではないにしても、少しづつ着実に再評価されきている人ではないかと思う。このアルバムはナクソスの兄弟レーベルマルコポーロが大分以前に出た作品で、新ウィーン楽派が大好きな私としては、ツェムリンスキーという名前だけは有名な人の交響曲ということで購入してきたんだろうと思う。
 ツェムリンスキーは「マーラーとシェーンベルクを橋渡しする人」という形容もされたりするけけど、このワーグナーとブラームスが幸福に結合したような交響曲を聴く限り、マーラーなどよりよほど保守的な作風だと思う。また、これはツェムリンスキーの個性なのだろが、大上段に振りかぶったようなシリアスなところがなく、音楽は全般にウィーン風な中庸さに満ち満ちていて、ある意味非常に聴きやすい作品だ。

 ちなみに第一楽章はやや軽めではあるがワーグナーの「ローエングリン」的な壮麗さをリヒャルト・シュトラウスばりオーケストレーションでもって、まさに「ドイツロマン派の王道」みたいな作風であるし、第2楽章はブルックナーをやや淡泊にしたようなスケルツォ、第三楽章は「バルシファル」風な静謐さをもった瞑想的雰囲気の強い緩徐楽章になっている。最終楽章はフィナーレはフーガ風のところも交え、かなり手の込んだ構成だが、全体としてはちと不発気味かもしれない。調度リヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲」なんか同じように、どちらかといっえばしっりと終わる感じだが、これはこれでロマン派最終ステージの時期につくられた音楽らしい締めくくり方なのかもしれない。
 という訳で、まさにロマン派そのものな音楽なのだが、先も書いたとおりあまり重厚さシリアスさがなく、けっこうあっさりしていため、その淡泊さ故か聴いていて橋本國彦の交響曲を思い出してしまった。もっと、両者を聴き比べて見ればその違いは歴然だろうが....。

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