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マーラー 交響曲第10番(ピアノ独奏版)/クリストファー・ホワイト

2010年05月23日 16時50分41秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラーの交響曲第10番のピアノ独奏版。もちろん、マーラー自身はそんなスコアは残していない。これはロナルド・スティーヴンソンというスコットランドの作曲家が第1楽章の編曲をし、残りの楽章は例のデリック・クックの復元版を元に、これを弾いているピアニストであるクリストファー・ホワイト自身が編曲したものである(ちなみにホワイトはスティーヴンソンの弟子とのこと)。
 これが一体、どんな経緯でこれが編曲、録音されたのか私はよく知らないのだが、クレムスキによるビアノ独奏版の「アダージェット(「19世紀のピアノ・トランスクリプション」に収録)」やコチシュが弾いたやはりピアノ独奏版の「トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死」とかが、大好きな当方としては、これもかなり興味ある編曲であることは間違いない。

 では、一聴して気がついたことでもあれこれ書いてみたい。第1楽章については素晴らしい。オーケストラでないから、ああいう幽玄な趣きとかスケール感はないけれど、この曲の厭世的な気分についてはよく伝わってくるし、なだらかな流れの中から時にピアニスティックな響きが立ち上るあたりは、ちょっとスクリャービンみたいな感触もあったりする。もっとも例の最後の審判みたいな壮大に不協和音が鳴り渡る部分は、さすがにピアノだとちんまりとしてしまっているが。
 第2楽章はまさにこの曲の骨格を聴いている感じ。かなり錯綜した音の流れがここでは実にすっきりと聴こえてきて、オーケストラの演奏からはあまりよく聴こえてこない声部などもくっきりと浮かび上がってきたりもする。ただ、これは復元版の問題なのか、ホワイトによる編曲のせいなのかよくわからないのだけれど、全体に律儀にピアノに置き換えてはいるのものの、ピアノならではのおもしろさが生かし切っていないような印象もうける。。

 第3楽章はほぼ第2楽章と同様な印象だが、原曲そのものが短くコンパクトにまとまっているため、この演奏でもビアノ小品のような感じである。第4楽章はテンポも早く変化に富んだ楽章なので、ピアノもその機動性をいかしてフットワークの軽い音楽に作り替えている。トリオの部分ではふと印象派風な響きがしたりしてカラフルな演奏になっている。
 最後の第5楽章は繋ぎの部分の大太鼓を当然ピアノで代行するため、ちと迫力不足は否めない。また原曲でもこの楽章はかなり完成度の低い、ちと全体をまとめあぐねたような音楽になっているため、それをピアノで敷衍するとなると、更に苦しい感じもなくはなくはないが、2分過ぎあたりからメインの主題が登場して、しばらくしっとりと進んでいくあたりは、ピアノだと非常にモダンな音楽に聴こえるところもあり悪くないと思う。ただ、その後ムードが冒頭に戻り、スケルツォなど楽想があれやこれや交錯し、やがて「復活」を思わせる壮大な部分になると、ちとこぢんまりとしてしまうのは否めないところではあるが。

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