このお正月にシェーンベルクの「グレの歌」をウィグルスワース指揮ベルギー王立歌劇場管弦楽団その他で演奏した映像を観て以来、実はあれこれとCDを聴いているところなのだけれど、単独でよく聴くのがこれだ。「山鳩の歌」というのは「グレの歌」の第1部の最後に置かれた山鳩に扮したメゾ・ソプラノによって、現世での主人公のふたりの悲劇的顛末が歌われる曲のことだが、シェーンベルクはこの悲しみ湛えた曲を気に入ったのか、後年、大規模な管弦楽を簡素な室内管弦楽に縮小し、単独の楽曲として編曲している。実際にこれを単独演奏したCDはあまり沢山はないようだが、ジェシー・ノーマンの歌にブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランが伴奏を付けたこの演奏は、その少ない演奏例のようである(少なくとも、自宅にはアサートンが振った演奏があるくらいか?)。
「山鳩の歌」は「グレの歌」の1パートとしても魅力的だが、こうして単独で聴いてもなかなか素晴らしいものがある。オリジナルはあまり派手ではないが、芳醇としかいいようがない絶妙な色合いの管弦楽がバックについている訳だけれど、こちらは伴奏を小規模な室内楽に編曲しているだけあって、全体としてはリートみたいな落ち着いた風情とこれを編曲した時のシェーンベルクの音楽的嗜好と無縁ではなさそうな、新古典主義的なある種の乾いた感触を持ち、かつクリアな響きを持ったオーケストレーション(木管の響きがいかにもそれ的、ブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏の威力も大だろうが)が独特の効果を上げている。オリジナル版が間近に起きた出来事を生々しく伝えていたような風情だったとすると、こちらは悲痛な回顧録を聞くようなモノクロ的な雰囲気があるとでもいったらいいか。
ジェシー・ノーマンはこれかなり力強い凛々しい声で歌っている。大管弦楽が伴奏ならもう少しリリカルな声の方が雰囲気があると思うが(実際、そういう例が多いのではないか)、こういう伴奏なら彼女の豊かな声が実に合っている。後半転調してから終盤の絶叫的な部分などは、素晴らしい緊張感とドラマチックさがあり、すっかり聴き惚れてしまった。さて、なにしろ「グレの歌」というのは長い曲なので、聴き比べをしたいと思いつつ、それをするとかなると、けっこうな大作業となってしまいそうなのだが、とりあえず「山鳩の歌」の部分だけなら、10数分なのでけっこう敷居が低そうだ。うーむ、今度、やってみようかな。
「山鳩の歌」は「グレの歌」の1パートとしても魅力的だが、こうして単独で聴いてもなかなか素晴らしいものがある。オリジナルはあまり派手ではないが、芳醇としかいいようがない絶妙な色合いの管弦楽がバックについている訳だけれど、こちらは伴奏を小規模な室内楽に編曲しているだけあって、全体としてはリートみたいな落ち着いた風情とこれを編曲した時のシェーンベルクの音楽的嗜好と無縁ではなさそうな、新古典主義的なある種の乾いた感触を持ち、かつクリアな響きを持ったオーケストレーション(木管の響きがいかにもそれ的、ブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏の威力も大だろうが)が独特の効果を上げている。オリジナル版が間近に起きた出来事を生々しく伝えていたような風情だったとすると、こちらは悲痛な回顧録を聞くようなモノクロ的な雰囲気があるとでもいったらいいか。
ジェシー・ノーマンはこれかなり力強い凛々しい声で歌っている。大管弦楽が伴奏ならもう少しリリカルな声の方が雰囲気があると思うが(実際、そういう例が多いのではないか)、こういう伴奏なら彼女の豊かな声が実に合っている。後半転調してから終盤の絶叫的な部分などは、素晴らしい緊張感とドラマチックさがあり、すっかり聴き惚れてしまった。さて、なにしろ「グレの歌」というのは長い曲なので、聴き比べをしたいと思いつつ、それをするとかなると、けっこうな大作業となってしまいそうなのだが、とりあえず「山鳩の歌」の部分だけなら、10数分なのでけっこう敷居が低そうだ。うーむ、今度、やってみようかな。
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