マルサリスのスタンダード・タイム・シリーズ、第3弾。前2作は第2期マルサリス・バンドによるパフォーマンスだったが、こちらは第3期マルサリス・バンドのレジナルド・ヴィール、ハーリン・ライリーのリズム・セクションに、ウィントン・マルサリスの父親でピアニストのエリス・マルサリス(ついでにプロデュースはデルフィーヨ・マルサリス)という布陣になっている。こう考えると第2期マルサリス・バンドはけっこう短命だったことが分かる。1990年に出たこのアルバムの時点で、マルサリスは既に次のセクテットの構想に入ってたことを伺わせる。だからといって、このアルバムその後のブルースに入れ込んだ作品群を予見させるようなところもあまりない。スタンダードを扱っているシリーズの一枚だから、当然といえば、当然だかもしれないが、それにしても先行した2枚のアルバムに比較しても、マルサリスらしい音楽主義的、技術至上主義的な点は影を潜め、スタンダード・ナンバーをスタンダードらしく、ある意味イージー・リスニング的というか、ごくまっとうな形で取り上げている点がおもしろいというか、このアルバムのワン・アンド・オンリー的特徴かと思う。
これはやはり父親のエリス・マルサリスの影響と見るべきだろう。エリス・マルサリスという人がどんなジャズ・ピアニストだったのか、私は歴史的にはよく知らないが、このアルバムを聴く限り、レッド・ガーランド的なカクテル風なところ、ケニー・ドリュー的な洗練を持ったピアニストのようで、そのあたりをマルサリスは慮って、つまり親父の音楽性に合わせて作られたのだろうと思う。曲はどれも2分から5分程度、アップテンポで豪快のドライブするような作品はほぼ皆無で、「スリーピング・ビー」や「波止場にたたずみ」のようなミドル・テンポで快適にスウィングするもの、あるいは「いつかどこかで」、「スカイラーク」、「イッツ・イージー・トゥ・リメンバー」といったバラード・タイプのもので絞められている。もっとも、こういうアルバムなのに親子揃って、どことなく楷書体な演奏に終始しているのは、たぶんに血筋を感じさせて微笑ましいが、今聴くとそれはそれで悪くない。以前はマルサリスのアルバムというと、新主流派風のドライブする演奏ばかりをマルサリスに期待してしまって、こういう作品には全くピンとこなかったものだが、こちらも歳をとったのだろう。久しぶりに聴いたら、特にバラード系の作品での、端正な美しさな聴き惚れてしまった。
これはやはり父親のエリス・マルサリスの影響と見るべきだろう。エリス・マルサリスという人がどんなジャズ・ピアニストだったのか、私は歴史的にはよく知らないが、このアルバムを聴く限り、レッド・ガーランド的なカクテル風なところ、ケニー・ドリュー的な洗練を持ったピアニストのようで、そのあたりをマルサリスは慮って、つまり親父の音楽性に合わせて作られたのだろうと思う。曲はどれも2分から5分程度、アップテンポで豪快のドライブするような作品はほぼ皆無で、「スリーピング・ビー」や「波止場にたたずみ」のようなミドル・テンポで快適にスウィングするもの、あるいは「いつかどこかで」、「スカイラーク」、「イッツ・イージー・トゥ・リメンバー」といったバラード・タイプのもので絞められている。もっとも、こういうアルバムなのに親子揃って、どことなく楷書体な演奏に終始しているのは、たぶんに血筋を感じさせて微笑ましいが、今聴くとそれはそれで悪くない。以前はマルサリスのアルバムというと、新主流派風のドライブする演奏ばかりをマルサリスに期待してしまって、こういう作品には全くピンとこなかったものだが、こちらも歳をとったのだろう。久しぶりに聴いたら、特にバラード系の作品での、端正な美しさな聴き惚れてしまった。
そうなんですよ。自分の場合は第1集とかライブ・アット・マーレイ…なんかは凄さはわかりつつも、愛して止まぬ程にはなれないのが、案外、ほのぼのムードの漂うこっちはかなりの回数聴いてます。
けっして1曲目のタイトルが"In The Court Of King …"という理由からではありません。
久々に聴いたら、けっこうよかったですね。かといって愛聴盤になるほどでもない....ってのが、すべからくマルサリスの音楽につきまとう弱点かな(笑)。自分の場合、最近の愛聴盤に近いノリで聴いているのは、むしろその後のブルース・シリーズ、昔は全くおもしろくなくて、何度売り飛ばそうかか考えた作品群ですけど、年取ったせいか、これがけっこういい。お休みのBGMとしてここ10日くらい頻繁に聴いてますです。