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ウィントン・マルサリス/ブルー・インターリュード

2010年03月09日 21時22分22秒 | JAZZ
 ウィントン・マルサリスが92年に発表した作品である。私がマルサリスのアルバムをリアルタイムで追いかけたのは、実はこの作品までであった。この作品のニューオリンズ風な音楽の肌触りの強さ、そしてこの種の音楽の気楽さとは相反するような非常にコンセプチュアルで、ガッチガッチに組み立てられた音楽の様相に「もういい加減、勘弁してくれよ」と辟易して、彼に見切りをつけてしまったのだ。今から思えば、作りたい音楽は全てレコード会社が金を出してくれるという、あまりに恵まれ過ぎていたせいもあったのだろうが、この前のブルース3部作といい、ジャズという音楽ジャンルのアカデミズムを確立させたいと意欲と「自分探し」的な自己膠着感が妙にスパークしてしまい、ちとこの種のアルバムを作りすぎたのも事実だと思う。

 さて、本作だが「ブルー・インターリュード」という37分の大作(モノローグを入れれば43分)をメインに据えたアルバムで、メンバーは前作の6人に更にトロンボーンのウィクリフ・ゴードンを加えた七重奏団で収録されている。この大作はマルサリス自身がピアノを弾きつつ、音楽のあらすじを開設したモノローグがついていて、そこから切れ目なく本編に繋がるという趣向になっているが、音楽で語られる物語は神話の世界で繰り広げられる2人の恋人同士の紆余曲折といったもので、特に目を引くようなものではない。音楽的には主人公ふたりのテーマがライト・モチーフのように繰り返し現れつつ、進んでいくのだが、その音楽はニューオリンズ風なものベースに、時にデューク・エリントン風だったり、ジョージ・ガーシュウィンのようであったりするのが特徴なのだろう。ただし、ストーリーにイマイチ訴求力がないの加え、それに付随する音楽の起承転結があまり明確ではないためか、単にだらだらと音楽が続いていくような感が、どうしようもなくつきまとってしまうのも事実である。

 マルサリスは解説によれば、物語が始まってしばらくすると、主人公シュガーケインがスイティー・パイに恋愛感情を抱く、この部分は様々な楽器によりスウィンギーに音楽が進んでいくという。これなどおおよそ4分半過ぎから約7分間くらいところの音楽をさしているのだろう。確かに音楽はにわかにスウィンギーなものに転じて、各種ソロをフィーチャーして華やいだムードを醸しだし、なかなか魅力的な部分である。ただし、それがなんらかの物語性を感じさせるかといったら、残念ながらあまり感じられないというしかない。その後のニューオリンズ風な音楽でもって、ふたりの語らいを描写しているあたりで、更に音楽と物語は遊離してしまい、しまいには「この音楽は一体何を語っているのだ?」とイライラしてきてしまうのである。20分過ぎあたりになると、曲は再びミディアム・テンポでスウィンギーなものに転じ、更にアップテンポに発展していくが、このあたりは音楽的にはかなり魅力的だが(おそらくハイライトになるのだろう)、ストーリー性と音楽が噛み合っていない感はぬぐえない。

 そんな訳で、昨年末あたりからかなり繰り返し、しつこくこの作品を聴いているのだが、やはり印象としては芳しくない。良く分からないが、こういうストーリー、音楽的起伏はひっょとすると黒人文化圏の人にとっては、非常に馴染みやすいのかな?とも思ったりもするのだが、少なくとも私には「良く分からない」としかいいようがない。試しに本作のライナーを読んでみたところ、筆者である小川孝夫という人も、この作品の実像を掴みあぐねて、途方にくれているのが良く分かる。「楽しいばかりがジャズじゃない、時には真剣に演奏に対峙する必要もあるだろう」と書いているが、これなど裏を返せば、「本作はつまらない」といっているようなものではないか。まぁ、そういうアルバムなのだろうと思う。まぁ、ライブなどで聴いたら、また違った感興があるのもしれないが。

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