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ブラームス交響曲第3番/ヨッフム&BPO

2006年05月17日 23時43分19秒 | ブラームス
 ブラームスの3番はたまに「ブラームスの英雄」と呼ばれることがあります。確かハンスリックか誰かがいい始めたことだとように記憶していますが、第1番を「(ベートーベンの第9に続く)第10番」と呼んだり、第2番を「ブラームスの田園」と形容するのはそれほど違和感を抱かないものの、これに限っては「いくらなんでもこれは英雄と呼ぶような作品じゃなかろう」と昔から思ってました。これが「英雄」呼ばわりされるのは、おそらく両端楽章の壮麗さ、勇壮さから来ているんでしょうが、本家「英雄」のように猪突猛進するような趣はなく、例えば第1楽章は壮麗な第一主題の後、まるで子守歌みたいな第2主題が続くし、最終楽章が半ば諦めたようなムードで終わるのは有名なところで、どうも「英雄」という言葉からイメージするムードとは、相反する部分が多すぎるような気がするんですね。

 まぁ、表題の件はともかくとしては、この曲、ブラームスが残した4つの交響曲の中ではもっともロマン派的な作品ではないでしょうか。この曲をマゼールが振った演奏をレビュウした時も書きましたが、第2楽章と第3楽章のロマン派的な情感に充ち満ちた美しさはブラームスが残した音楽の中でも出色のものといえると思います。この2つの楽章をもっとも美しく演奏したのは、カラヤンとウィーンが50年代終盤に収録したデッカのものか、バルビローリが60年代にやはりウィーンを振ったEMIのものだろうと個人的には思っているのですが、このまんなかふたつの楽章を思い切り叙情的に演奏するか、両端をそれこそ壮麗に演奏するかで、ずいぶん印象が違ってくる曲でもあるんですね。

 さて、このヨッフム盤はそういう意味では後者ということになるのかもしれません。他の曲の演奏と同様、フルトヴェングラーばりの主情的なテンポとある種のホットさが特徴で、文字通り「ブラームスの英雄」としてこの曲を振っているという感もあります。いや、まんなかふたつの楽章も悪くないですが、ちと野暮ったく木訥としているところがあるような気がしないでもあるんですよね。
 ちなみに第3番はこの全集の中ではもっとも新しい56年収録ということもあって、さすがに51年の第2番より、レンジ感も広がり、音にも腰がある録音となっています。
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