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マーラー、ヒンデミット管弦楽曲集/リッケンバッカー&バンベルク響

2005年06月14日 23時02分12秒 | マーラー+新ウィーン
 おもしろい選曲のアルバムだ。2枚組のアルバムで、1枚目がマーラー、2枚目がヒンデミットという組み合わせもおもしろければ、選曲もおもしろい。特にマーラーの方のディスクは「葬送」、「花の章」、「交響曲第10番第一楽章」のという、作者自身によって削除されたり、未完に終わった....つまり死産に終わった作品ばかりを集めていて、どこもかしこも作品発掘がさかんな昨今に相応しい気の利いた選曲といえる。
 一方、2枚目のヒンデミットも計3曲が収録されているが、「歌劇「今日のニュース」序曲」は珍しいものの、「ウェーバー主題による交響的変容」と「交響曲画家マティス」の2曲は、ほとんど再評価が進行しない彼の作品群の中でも、昔から例外的に知られた曲であり、とりてたてて意外性はない。ところが、これらの作品をディスク1のマーラーと続けてきくと、めっぽうおもしろいというか、意外な連続性を発見できたりするのである。
 
 その理由をわかりやすく説明する語彙は私にはないが、要するにこれまでの「マーラー~シェーンベルク~ベルク~ウェーベルン」といった流れでもって、ロマン派から無調を経て、12音に至るドイツ音楽の一大メインストリームとは、違った流れが実は存在していたのだということをこのアルバムは主張しているのだろう。あるいはヒンデミットというどちらかといえば、未だその価値の定まっていない小難しい作曲家を無理矢理にマーラーとの相関で、ロマン派最終ステージの人として確定してしまおうという試みなのかもしれない。

 ともあれ、ヒンデミットという人の作品は、多くの人に「現代音楽の人」というイメージを持たれたているだろうし、私もそうである。ある程度、有名な「交響的変容」や「画家マティス」にしたところで、ガチガチに理知的な現代音楽ではないが、いわゆるロマン派的な音楽と呼ぶにはあまりにモダンな響きや流れが充満した、分かりやすいなどとは到底いえない晦渋な作品であった。ところが、こうした形でマーラーと続けてきくと、それまで感じていた晦渋さやモダンさといった「とっつきにくさ」が、ある種の歴史的な流れの中で消えてしまったというか、フレームにぴたりと収まったというか、ともかくしっくりきた訳である。

 演奏はカール・アントン・リッケンバッカー&バンベルク響というドイツ・コンビ。リッケンバッカーという人は初めて聴く人だが、多分ドイツの若手だろう。相方がバンベルク響ということもあって、それなりにドイツ的、重厚な演奏とはなっているものの、音響やリズムに対するセンスは決して鈍重ではなく、作品の持つモダンさを十全に生かしたものになっている。マーラーの作品で見せる叙情的表情も良く、なかなかセンスの良さを感じさせる。(2002年3月25日)
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