Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

モーツァルト交響曲全集/テイト&イギリス室内管

2005年06月08日 15時18分44秒 | クラシック(一般)
 昨日に続く箱シリーズ第2弾。こちらはモーツァルトの交響曲全集。ハイドンの交響曲全集のついでにこっちも注文してあったものです。もっとも箱といっても、モーツァルトの場合交響曲は40曲前後すから、CD12枚組ということでコンパクトそのもの。EMIが近年出しているバジェット・プライス・ボックスに共通するあのデザインで、ヨッフムのブルックナーやテンシュテットのマーラーよりちょいと厚いくらいですか。

 さて、これもとっ始めですから、まずは一番から聴いてます。幸いにもこの曲は数種類の演奏が自宅にあって、曲にもある程度馴染みがありますが、昨日のハイドンと続けて聴くと、「みんな似たように聴こえる古典派の曲」でも、やはりキャラクターの違いは歴然としてますね。こんなこと書くと「モーツァルトとハイドンが違うなんて当たり前だろ」と叱られるかもしれませんけど、個人的にはどうもそれを体感できないところがあったのも事実。こうしてふっと気がつくみたいな瞬間って、けっこう感激します。私が音楽を聴く醍醐味みたいなもののひとつです。

 昨日使ったハイドンに対する私の形容は「大らかで快活、シャープな推進力」でしたが、モーツァルトの方はといえば、さしずめ「青空みたいに澄み切った明朗さと奔放で淀みない流れ」みたいな感じになるでしょうか。この一番でも、こうしたモーツァルト的な刻印はもうしっかり刻み込まれていて、第1楽章の第2主題後半のいたずらっぽいく、ちょこまか動くあたりの様はモーツァルト的としかいいようがないものですし、展開部でふと哀しげな表情をみせるあたりも「あぁ、モーツァルトだな」と思うことしきりです。

 あっ、そうそう演奏はジェフリー・テイトとイギリス室内管弦楽団という純英国コンビです。このコンビが20年前くらいからモーツァルトを次々に録音しているということは知ってましたが(内田とのピアノ協奏曲もやってましたし)、全集まで到達していたとは意外でした。
 演奏ですが、近年の潮流ともなったバロック寄りの解釈でも、大昔のロマン的な大仰な演奏でもなく、やや早めのテンポで古典派をあくまでも古典派らしく演奏したという感じがしました。表情もきわめてあっさりしていて、リズムも穏健、ややくすんだ響きをもった演奏は、まさにイギリス的な中庸の美徳に満ち満ちている....といったところでしょうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする