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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

マーラー さすらう若者の歌/ミラー,ワルター&コロンビアSO

2007年02月22日 21時19分48秒 | マーラー+新ウィーン
マーラーの歌曲集でももっとも親しみ易いのといったら、個人的には「子供の不思議な角笛」より圧倒的にこっち。交響曲第1番との密接に関連する主題といい、全体に覆うナイーブな情感、ある種ののびやかな牧歌性といった点で、すんなりと「さすらう若人の歌」という世界に入っていけるのが良いですね。昨日も書いた通り、私はクラシックの声楽系の曲というのは、あんまり得意でないので、好きになるにはかなり入念に聴き込むか、予備知識を沢山詰め込んで、「良いに違いない」という暗示効果を狙って聴くかしないと(笑)、なかなか馴染めなかったりするのですが、この曲についてはそうした馴染むための努力や苦労をした記憶がなく、すんなりと好きになれたような気がします。

 さて、昨日も書いたとおり、この数日、何故かマーラーの歌曲を良く聴いているのですが、「さすらう若人の歌」については、ミルドレッド・ミラーが歌い、ワルターとコロンビア響が伴奏した60年の録音を聴いています。この曲はアナログ時代は、フィッシャーディスカウとフルトヴェングラーが組んだ有名な演奏とか、クリスタ・ルードウィッヒがステレオ初期に入れたEMI盤とか聴いていた記憶がありますが、この曲の場合、あまり厳格な歌われたものより、叙情性を全面に出したようなパフォーマンスを聴きかったので、この演奏を取り出してきたのですが、大当たりでした。ミラーの声はナチュラルな流麗さと透明感のようなものがあって、私自信の持つこの曲のイメージにぴったりでした。もちろん、伴奏は最晩年とはいえ、同じ頃第1番の名演を残したワルターですから、悪ろうはずがなく初期型マーラー特有の牧歌的なムードとちょっと鄙びたムードを良く再現していると思いました。

 ちなみに、この曲で他の演奏を探してみたら、シノーポリの全集に入ってました。あと、フィッシャーディスカウとフルトヴェングラーのモノラル盤は既に購入済で、ジャネット・ベイカーがバルビローリ組んだEMI盤も実は購入してきたので、この曲だけでもけっこういろいろ楽しめそうです。まぁ、聴き比べをするなら、この曲より「亡き子をしのぶ歌」の方が種類も沢山ありそうだし、おもしろそうだとは思いますが....。
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マーラー 歌曲集「子供の不思議な角笛」/ポップ,ヴァイクル,テンシュテット&LPO

2007年02月22日 00時10分57秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラーの5番の聴き比べが終わったら、次は6番ということなろうかと思いますが、さすがに5番を聴き過ぎたのか、中期マーラーはごちそうさまというという感じではあるのですが、5番とは違うタイプのマーラーなら聴いてみたいという気持ちはあり、日曜日の夜半、もう寝る前ちらっと3番を聴いてみたところ、意外に耳に馴染んだもので、そうだと思い立って、昨夜は「さすらう若人の歌」だとか「亡き子をしのぶ歌」などを聴いてみたら、これがとてもしっくりと来たので、本日、長年の宿題のようになっていた「子供の不思議な角笛」を聴くべく、ポップとヴァイクルが歌い、そしてテンシュテットとLPOが伴奏したアルバムを購入してきました。

 私はオペラを含め、歌曲というのはあまり得意ではないのですが、マーラーやブラームスについては最低限のものは聴いておきたいと思って、アナログ時代にいくつかのアルバムを購入してそれなりに聴きこんだりもしたものですが、本来得意なジャンルではないためか、CD時代になっても結局新しいメディアで買い直していない作品も多いのが実情です(アナログを持っていても、既に聴く環境がないですし)。私のマーラーの場合、「子供の不思議な角笛」がその典型で、「さすらう若人の歌」や「亡き子をしのぶ歌」とかいうのであれば、交響曲の余白に入っていることも多いので、特に聴く気がなくとも自然に集まったりもしてしまいすが、昔から「子供の不思議な角笛」については、全12曲、ほぼそれだけでアルバム1枚を使い切ってしまう分量があるため、単発アルバムになっていることが多く、これまでつい買いそびれてきたというところなんですね。

 ちなみにこの歌曲集はアナログ時代は、シュヴァルツコップとフィッシャー・ディースカウがジョージ・セル指揮のロンドン響と組んだアルバムを持っていました。おそらくこの曲自体、聴くのはそれ以来ですから、四半世紀ぶりくらい久しぶりのこととなるんでしょうね。今さっそく聴いているところですが、頭の中の記憶と、実際聴こえてくる音楽がずいぶん違うので少々驚いています。記憶だともっとファンタジックで軽やかな音楽ってイメージあったのですが、今聴くとシニカルな諧謔味みたいなものが強い印象ですし、マーラーの子供の頃の記憶と連結しているらしい、軍隊ラッパとか同じく行進曲調のムードが随所に登場するのも、「こんなに沢山出てきたけっな?」って感じ。

 もっとも、聴いた演奏がアナログ時代はセルで、今回はテンシュテットという違いもあるのもしれません。確かにセルのちょっと腰高なところはこういう音楽のファンタジー性みたいなものを際だたせるんじゃないと推測できますので、テンシュテットはこの曲でも良くも悪しくもドイツ的に重厚さが先のような印象をあたえているのでは....という気もします。ともあれ。セルの「子供の不思議な角笛」も実はこれとと一緒に購入してきたので、テンシュテットはを多少聴きこんだら、聴きくらべをしてみたいと思っているのですが....。
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マーラー 交響曲第5番(まとめ)

2007年02月20日 01時22分36秒 | マーラー+新ウィーン
 という訳で、約10日くらいかけて、我が家にあるマーラーの5番の総ざらえをしてみた訳ですが、これを機会に購入したものも含めて全部で17種類、他のマーラーやブラームスなどもかなりの数、同曲異演のCDを持っているはずですが、自宅ではこの曲がおそらく最多でしょう。さすがに聴き過ぎてげんなりしているところもあります(笑)。で、今回聴いた17種のちりあえずまとめを少々。

 個人的にマーラーの音楽として説得力あったのは、カラヤンとベルリン・フィルのすべるように美しい響きとシリアスなオケの緊張感。次いでショルティとシカゴ響の豪快なドライブ感と推進力、更に自分でリマスターしてアナログ時代の音に近づけたバーンスタインとニューヨーク・フィルの炸裂するダイナミズムといったあたりでしょうか。やはり、どれも昔から聴いてきた演奏で、これでマーラー像を形成した....つまり「慣れ親しんだ」というファクターはやはり重要でした。

 あと、今回改めて注目した演奏としては、マゼールとウィーン・フィルのものが筆頭格ですかね。なにしろウィーン・フィルの美しさを満喫させる演奏で、聴いていて「こんなに素晴らしかったっけ?」と自分でも驚いたくらでした。同じようにシャイーとアムスもオケの美麗なサウンドを堪能できる演奏で、こちらはマゼール盤を上回る超優秀録音なのがポイント。あと、同様に優秀録音で捉えた美麗なオーケストラ・サウンドという意味では、アバドとシカゴ響、ハイティンクとベルリン・フィルも甲乙つけがたい仕上がりだと思いました。これに比べるとインパルとフランクフルトの演奏は、録音は優秀ですが、オケの瀟洒な響きという点では、こちらのブランド崇拝的先入観もあるでしょうが、今一歩世界の超一流オケと比べると見劣りする気もしました。

 一方、録音で損しているのはテンシュテットとロンドン・フィル。何回も聴きましたのでそれなりに慣れてもきましたが、やはり音像が遠目でやや混濁気味な音質は違和感があります。一方、録音の良いシノーポリは私にとって、これといって特徴のない演奏に聴こえてしまい、印象は地味なままですし、アバドの新盤はやや細部に仕上げが雑なところが災いして旧盤を超えられなかった印象。

 多少古目の演奏としては、レヴァインとフィラデルフィアはショルティとシカゴの演奏をカラフルで柔軟にしたような演奏でなかなかいけました。また、クーベリックとバイエルンはマーラーの叙情に焦点をあて上品な演奏で、これは個人的にはこれもなかなかのお気に入り。懐かしのノイマンとゲヴァントハウスはクーベリックをもう少しドイツ的にしたような演奏でこれはこれで味わいがありそう。メータとハイティンクの旧盤は今となって、いささか古びてしまったかなという感じがします。
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マーラー 交響曲第5番/ハイティンク&ベルリンPO

2007年02月20日 00時42分19秒 | マーラー+新ウィーン
 ハイティンクがアムスを退任後、80年代中盤からベルリン・フィルと開始したマーラー・チクルスの一枚です。発売当初は非常に高い評価を得ていたように記憶していますが、結局、このコンビによるマーラーは8,9番を残したまま、全集は完成しませんでした。完成していれば、フィリップスのふたつめのマーラー全集ということで、それなりに価値も高いものだったろうに、こうして一枚1000円の廉価盤に組み込まれてバラ売りされているのは、ひとえに全集にならなかったからなんでしょうね。喜んでいいのか、残念に思うべきなのか複雑な心境になります。

 内容ですが、旧録のプレーンでさらっとした演奏に比べ、非常に重厚かつねばり強い雄渾なマーラーとなっています。どの楽章はテンポも遅く、雄大なスケール感とある種の克明さのようなものが同居した、これ以上ないくらいに安定度の高い、石橋を叩いても....的な演奏になっています。これは良い意味でいうのですが、時にブルックナーを聴いているような気にさえなる演奏とでもいったらいいかもしれません。
 あと、オケもアバドの時のような機能集団という感じではなくて、いかにもドイツ的な響きを発散していて、なにか久々にベルリンらしい音を聴いたという感じがします。このあたりはスケールの大きな巨匠となったハイティンクとベルリンの相性が良い方向に作用した結果なんでしょうね。とにかく、この演奏に漂う並々ならぬ平衡感と重厚さはただ者ではありません。同じ「遅い演奏」でも、ちょっと指揮者のキャラが強烈過ぎてエキセントリックな印象もあったバルビローリに比べ、個人的にはこちらの方が遙かに説得力があるような気もしました(13分もかけて演奏した第4楽章など全く遅い感じがしないのが「演奏の妙」というべきでしょう)。

 録音は最新のフィリップス・パターンというべきもので、適度なホールトーンで形成された遠近感、これ見よがしではないが十分に確保された解像度となめらかな高域のシルクのような感触は、昔からこのレーベルの特徴でしたけれど、この録音もそれをそのまま受け継いで、高域や低域の物理特性をぐっと上げたという感じの音になっています。デッカの録音されたようなシャイーのマーラーのような派手さはないものの、十分に素晴らしい優秀録音です(しかもこれライブ録音だとか)。
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マーラー 交響曲第5番/バルビローリ&ニュー・フィルハーモニアO

2007年02月18日 17時30分29秒 | マーラー+新ウィーン
 これまた昨日届いたもの....16種類目のマーラーの5番です。CD買いすぎて、破産しちゃいそうという個人的事情はさておくとしても、こうも毎日同じ曲を聴いていたんでは、いくらマーラーの5番とここ数年ご無沙汰だったとはいえ、さすがに食傷気味になってきました(実はもう一枚あるんだよなぁ-笑)。さて、この第9番の名演でお馴染みバルビローリが9番を振った翌年、つまり70年に本国イギリスのニュー・フィルハーモニア管弦楽団と組んで録音したものです。昔から「バルビローリのマーラーは9番だけよくて、あとのは弛緩してダメ」みたいな評価が多かったものですから、私としてはほとんど眼中になかった演奏だったのですが、HMVウェッブサイトでは『数多く録音されているマーラーの交響曲第5番のなかでも最も偉大な演奏と評価されている1枚です。』と、宣伝されいたこともあり、物は試しと購入してみました。

 実際、聴いてみると確かにかなり遅く感じますね。バルビローリはウィーンを振ったブラームスなんでもそうでしたけど、とにかく旋律をしっりと、時に涙を誘うほどに情感豊かに歌い、それがなんともいえずバルビローリ節を感じさせたりした訳ですけど、そういう特徴はここでも濃厚で、とにかく第1楽章のトリオや第2楽章の第2主題など、このカンタービレを聴いたら、クーベリックの叙情ですらザッハリッヒに聴こえるんじゃないかと思うほどに、哀愁たっぷりに歌っていて、その味わいは独特なものがありますが、その分、マーラー特有のデュオニソス的な荒れ場でもそういった指揮者のキャラクターが浸透してしまい、第3楽章はスケルツォ的あるいはウィンナ・ワルツ的なリズミカルさはあまり感じませんし、第5楽章なんかいくらなんでも遅すぎるんじゃないのと思うようなテンポで、正直ちょっと異様です。まぁ、この遅さのおかげてある種の克明さのようなものが結果的に出ていて、そのあたりはおもしろところかもしれませんけど、ある種の求心力不足を感じてしまうのもまた事実です。

 一方、絵に描いたようにバルビローリ向けな第4楽章では、曲が曲だけに逆に自分があれこれ手をかける必要もないと判断したのか、演奏時間も10分弱と短く、けっこうあっさりとしたプレーンな演奏をしていますが、さすがにバルビローリ、この曲の持つ薄明の美しさ、官能美のようなものを絶妙に表現しています。その美しさはさすしずめカラヤンと双璧といったところで、この楽章に限ってはそれまで感じた違和感のようなものはほとんどなく陶然と聴き惚れてしまいした。
 ちなみに音質ですが、リマスターのせいかもしれませんが、EMI流の神経質な音質だった9番やウィーンとのブラームスとはずいぶん違っていて、腰の据わった低音ががほどよく収録された、ホールトーン豊かなものになっています。そういえば、カラヤンがおなじ頃、EMIに録音したチャイコもこんな音でしたね。
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マーラー 交響曲第5番/ノイマン&ライプツィッヒ・ゲヴァントハウスO

2007年02月18日 16時18分41秒 | マーラー+新ウィーン
 これも昨日届いたもので、ご存じライセンス音源を使って超低価格のボックス・セットを連打するブリリアントのマーラー全集の一枚です。ブリリアントのマーラー全集としては先日レビュウしたインバルのものがありますが、こちらは指揮者やオケ、収録年代65年から94年ともまちまちで、まるで福袋のような組み合わせになっていますが、3600円というあまりといえばあまりな価格設定につられて購入してしました。この5番のヴァーツラフ・ノイマン指揮のライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による65年の演奏で、個人的にはこの全集の「お目当て」のひとつでした。何故かといえば、この演奏はそもそも私がクラシックを聴く導入となったレコードに入っていたものだからです。

 以前にも書いたことがあり、繰り返しになりますが、私がクラシックを聴くきっかけは、そもそも「ベニスに死す」という映画に5番の第4楽章が流れていたからです。当時私はルキノ・ヴィスコンティ監督の作品の大ファンでサントラも「家族の肖像」「イノセント」「ルードウィッヒ」など大抵は購入していましたが、この「ベニスに死す」はサントラが発売されていなくて、その代用品としてフォノグラムの廉価盤シリーズ、グロリアの一枚として発売されていた、今でもよくある「映画に使われたクラシック」みたいなタイトルのアルバムを購入してきたのです。そこに収録されていたのが、このコンビの演奏だったんですね(確か一緒に購入してきたのは、シューリヒト&ハーグ・フィルのブルックナーの7番で、これは「夏の嵐」にちなんでのものでした、もっともこの映画は未だに観たことありませんが....)。

 で、このアルバム収録されていたこの第4楽章はもちろんですが、他の曲、例えばブラームスの弦楽六重奏曲だとか、モーツァルトのピアノ協奏曲の21番などもおしなべて楽しめたものだから、「こりゃ、クラシックいけるな」ということで、私は自分の音楽嗜好をそれまで聴いていたロックからかなり意図的にというか、無理矢理にクラシックの方に大きく舵をきったんですね。確か20歳くらいの時だったとでしょうか。それからはもうクラシック耽溺の日々で、ハイドンから現代音楽まで実に数年かけて、まるでお勉強といったノリでクロノジカルに聴きこんだりして、それが糧となって今もブログで堂々とクラシック愛好家のようなフリができる訳ですが(笑)、ともあれそのきっかけになったのがこの演奏だったという訳です。

 さて、演奏ですが、全体的としてはゲヴァントハウスの重厚で安定感あるサウンドが印象的で、ちょっともっさりとしてくすんだような響きは、いかにも東欧のオーケストラを聴いてるなという感じがします。ノイマンの指揮はほとんど初めて聴くようなものですが、やや早めのテンポで旋律を素直に歌い(実に久々に聴いた第4楽章はこんなにあっさり演奏していたけっけと思ったほどです)、かつ荒れ場でもあまり羽目を外さないジェントルな指揮という感じがしました。ある意味クーベリックと似たようなところもありますが、オーケストラのサウンドは、テンシュテットが振ったロンドン・フィルに似たところもあります。ちなみに音質ですが、くだんのLPに収録された第4楽章は、実に冴えない古色蒼然とした音に聴こえたもので、CDでの音はどうかと心配していましたが、リマスターが効を呈したのか、65年とは思えない音圧、クリアさがあります。
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マーラー 交響曲第5番/シャイー&ACCO

2007年02月17日 22時51分23秒 | マーラー+新ウィーン
 こちらは数年前に購入したもので、97年収録のリッカルド・シャイーとアムステルダム・コンセルトヘボウによる演奏です。購入当初はやけに遅いテンポが気に入らず、早々とお蔵入りしていましたが、今回の特集を機会に久しぶり聴いてみたのですが、97年の収録ということで、これまで聴いた第5の中では一番録音が新しいせいか(とはいっても、もう10年前ですが)、とにかく録音の良さに驚きました。このコンビはこの演奏も含めたマーラー全集を先頃デッカで完成させましたが、これは同レーベルではショルティに次ぐ一大事業であり、録音の良さで名を売ったショルティ盤を超えるクウォリティが自らに律したのはまず間違いないところで、その意気込みを感じさせる音になっています。

 基本的には、アムステルダム・コンセルトヘボウというオーケストラのもつ極上のサウンドを、ホールの響きをたっぷりと取り入れた、やや遠目に音像が定位させた今風な音でCDというメディアにほとんど完璧な形で収録したものといえるでしょう。広大なステージを余すところなく表現したホールトーンの美しさ、多少丸みを帯びてはいるもののずしり重い低音の量感、神経質にならないぎりぎり線でとられた解像度などなど、70年代のデッカとは対照的な感触もありますが、とにかく高水準でまとあげていて、それらの要素を上手に束ねて、全体としてはクッションのいい弾力あるサウンドに仕上げているあたりは、やはりデッカ的としかいいようがハイファイ感があります。ともあれ、この音はもはや耳の悦楽でしょう。なにしろ、このCDを聴く限り「世界最高のオケはウィーンじゃくて、アムスなんじゃないか」と思うほどですから。

 演奏ですが、前述の通り遅めのテンポでゆったりと演奏しています。ただし、遅いけれども決して重くはなっていないのは、朗々を旋律を歌い、かつリズムのキレも不足しないからでしょう。そこにはある種の軽快感のようなものすら感じられます。このあたりが「シャイーのマーラー解釈」なのかもしれませんね。ちなみに録音とも関係がありそうですが、アバドの演奏と同様、この演奏ではメインの旋律の背後で鳴っている対旋律がオヤっと思うほど聴こえてきますが、バロック音楽の国イタリア出身の指揮者特有の感覚なんですかね。そういえばシノーポリにもそういうところありましたし....。
 という訳で、この演奏は録音の素晴らしさとオケの極上の響きがとにかく印象的でした、オケの美しい響きと録音の良さという点ではマゼールとウィーンの演奏を超えるかもしれませんね。
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マーラー 交響曲第5番/レヴァイン&フィラデルフィアO

2007年02月17日 19時58分13秒 | マーラー+新ウィーン
 先ほど届いたばかりのCDです。レヴァインのマーラーといえば、かの柴田南雄をして『レヴァインとテンシュテットはマーラー交響曲の演奏に関する従来の観念をすっかり変えてしまった。これは驚くべきことだ。交響曲の演奏史の上でも滅多にないイベントだと思う』といわしめたほどに高い評価と得た演奏だった訳ですが、私自身「どんな演奏なのだろう?」と気にはなっていたものの、BMGというレーベルのマイナー性が仇になったのか、次々に登場する話題性の高い演奏に目がくらんだのか、ともかく、これまで彼のマーラーをほとんど聴いたことがなくて、最近ではもうほとんど忘れたも同然になっていたのですが、1000円を切る廉価盤ということもあって、あれから四半世紀もたった今頃になってようやく聴くことができました。

 レヴァインの演奏の何が評価されたのかといえば、要するにマーラーの諸曲を「完全に古典化した交響曲」として割り切って演奏したということに尽きるんでしょう。なにしろ、70年代あまりまでのマーラーといえば、まだまだ海の物とも山の物ともつかないやたらと規模のでかい意味不明な交響曲というイメージが強く、それをワルターやバーンスタインが半ば啓蒙を兼ね、マーラーに殉じる十字軍のような気概で、必死に振っていたという構図でしたから、レヴァインのように若く、しかも独欧の伝統から完全に切り離された若い指揮者が、マーラーの音楽の持つ前衛性、同時代性のようなものを完全解決済みの問題として、マーラーを軽々と演奏したというのは、今になってみれば理解しがたいですが(なにしろ、現在では完全に古典化してしまいましたから)、やはり当時としては衝撃的なことだったんですね。もっとも、レヴァインという人の持つ、実にあっけらかんとした音楽的パーソナリティーというのも無視できない要素だとは思いますが。

 さて、実際に聴いてみた印象ですが、70年代にこれを聴いたら、そりゃ驚くよなぁ....というくらいにモダンな演奏で、現在聴いてもほとんど遜色ない、よく歌うけれど過渡に情緒的にはならない、前衛的な音響はおしなべて音楽的に処理.....という今風なマーラーとなっています。というか、これが「今風なマーラー演奏」の出発点なんでしょうが(笑)。とにかく徹頭徹尾、屈託のない乾いた明るさを持ったマーラーで、世紀末だとか表現主義だとかいう要素は薬にしたくともないといったところです。おまけにオケがフィラデルフィアですから、あのオーケストラ特有な原色系のオーケストラ・サウンドがその傾向を一層強めているという感じがします。なにしろこの時期のフィラデルフィアはまだまだオーマンディのご威光がたっぷり残っていたでしょうから、この演奏の持つちょっと金ぴかなブリリアントさ、ゴージャスさのようものは、ひょっとするとフィラデルフィアというよりは、オーマンディ・トーンだったのかもしれませんが。

 ちなみに音質ですが、楽器近接のマルチマイク・スタイルで録られた音のようですが、ややざらつくところはありますが、なかなかクリアな音質です。BMGの廉価盤はノイズリダクションをかけすぎて、とんでもなくぼやけた音になっていたものに過去であったことがあるので(小沢のストラヴィンスキーとか)、このアルバムも心配していましたが、どうやら新しいリマスターをしたらしく、鮮度感、音圧とも全く不足がありませんでした。こうなると他の曲の演奏も聴きたくなりますね。
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マーラー 交響曲第5番/アバド&ペルリンPO

2007年02月16日 23時06分44秒 | マーラー+新ウィーン
 先にとりあげたシカゴ響との80年の録音から13年後、当時芸術監督の立場にあったベルリン・フィルとライブにて再録されたものです。これを録音した時、アバドは60歳、ということは現在73,4歳ということになるんでしょうけど、なんかこの人、風貌が若いせいか、いつまでたっても「グラムフォンの若きスター指揮者」みたいなイメージあるんですよね。1933年生まれといえば、あの高度成長期の象徴、ジャイアンツの長島茂雄より更に年上ってことになる訳ですが、世相とクラシック界は流れてる時間が違うのか、そういう世代の人だったというのはにわかに信じがたい気がします。

 閑話休題、シカゴ響との演奏との比較ですが、シカゴとの演奏は録音にせよ、演奏にせよスタジオ録音らしく細部まで磨きこまれた非常に完成度の高い演奏だったとすると、こちらは生演奏っぽいラフな....といっては語弊がありますが、良くも悪しくもライブ特有な即興的なノリが特徴という気がします。うまく表現できないですが、シカゴのそれが40代のアバドがマーラーの第5という作品に対峙した総決算的なものだったとすると、こちら90年代のアバドが同曲でみせる解釈のひとつ....みたいな感じがするんですね。第4楽章なんて、今回はわずか9分たらず演奏していますが、聴いていて、何故だか演奏会によってはもっと遅かったりするだろうななんて思ってしまうんですね。ともあれ、そういう即興的な感興がこの演奏から感じとれます。まぁ、ライブ収録という先入観でそう感じているだけなのかもしれませんが....。
 あと、旋律の歌い回しという点では、さすがに13年という歳月の賜物なのか、コクがあり、ある意味巨匠的な風格を感じせます。一方、リズムのキレ、壮麗さという点ではやや枯れてしまったなという感じあって、このあたりは一長一短という気がしますが、個人的にはシカゴの演奏の方が好きかな。

 ちなみに音質は非常に良好です。シカゴとの演奏は比較的ホールトーンが豊かな録音スタイルでしたが、こちらはそれに比べると楽器に近接したデッドな音で、ある意味生々しいと形容したい音質です。今はライブでここまで鮮度の高い、いかにも物理特性の高そうな音が録れてしまうんですね。最近のメジャー・レーベルの新譜はライブが非常に多いようですが、経済的な理由の他にも、こういう背景もあるんでしょうね。
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マーラー 交響曲第5番/アバド&シカゴSO

2007年02月16日 00時20分01秒 | マーラー+新ウィーン
 こちらは今回のマーラー第5特集(?)に合わせて購入したものです。80年の録音ですからアバドがシカゴの主席客演指揮者をやっていた頃の録音で、当時のアバドは中堅から巨匠をなりかける飛躍期にあたり、シカゴとの相性は抜群、録音も優秀とあって発売直後からとても評価の高かった演奏のように記憶しています。当時はCD2枚組で購入すると五千円以上という価格に手がでず(既にカラヤンの演奏をCDで購入してしまったいたから....)、指をくわえて、レコ芸等の評価だけ読んでいたというアルバムでもありました。当時はそういうの実に多かったです、貧乏だったんですね、いや今でも貧乏ですが(笑)。

 演奏ですが、オケがシカゴで録音が80年ということで、もう少し鋭角的でシャープな演奏を予想していましたが、思いの外柔軟な演奏という印象でした。録音のせいもあるでしょうが、売り出し中だった70年代前半の頃とやや腰高なイメージと比較すると、全体に腰が据わった響きでもって、音楽の核心を骨太に表現していく表現スタイルになっているような気がします。それにしても見事なのは、全編に渡ってもう的確としかいいようがないテンポとリズムです。とにかく全編に渡って、妙な違和感や気を衒ったエキセントリックさが皆無で、とにかくスムースというのはちょっと違うと思いますが、とにかく感覚的に気持ちいい運動性のようなものが全編を貫いているのがいいです。これが古典派のモーツァルトなんかだと、妙な生硬さを感じさせりする訳ですけど、マーラーだとそういうところを一切感じないのはなどうしてなんでしょうかね。ちょっと不思議です。

 また、メインの旋律とその背後で鳴っている様々な要素との絶妙なバランスですね。これまた録音スタイルに大きく関わってくることなのかもしれませんが、アバドの演奏は細部が実に良く聴き取れます。つまり「おや、ここでこんな音なっていたんだ」と思わせるところが随所に出てくる訳ですけど、そういう部分が単に高解像度と音の良さを感心させるのではなく、すぐれて音楽的な響きほさせて、日頃聴こえない音を聴こえてくる必然性のようなものを感じさせてくれる点が素晴らしいと思います。例えば、一見ばらばらな音を際限なく繰り出してきているようなイメージのある第3楽章など、ある意味、構成する音を解体しつつね、なぜか程よくまとまってもいるという、そのあたりのバランス感覚はやはりさすがというべきでしょう。

 そんな訳で、とても聴き応えのある充実した演奏と感じました。実はアバドによるマーラー第5はこの後のベルリンとの再録盤を数年前に購入しているのですが、あちらは聴いていてほとんど印象に残らない演奏だったので、あまりの印象の違いにちょっと驚いているところです(こちらも近日中に聴き返してみる予定ですが....)。
 なお、録音は全体としてはホールトーンをかなり取り入れてマスの響きを重視した今風なものですが、一面70年代のマルチマイク風な解像度至上主義みたいな音づくりも残っていて、一種の過渡期を感じさせます。これが83年の「幻想」なんかになると、もう完全に今風なほとんどワンポイントといいたいような響きになるんですけどね。
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マーラー 交響曲第5番/シノーポリ&フィルハーモニアO

2007年02月15日 12時43分38秒 | マーラー+新ウィーン
 これも初めて聴く演奏です。シノーポリのマーラーはほぼリアルタイムで第2番を聴いたことがあるのですが、当時、新進気鋭だった彼の演奏は、なにかにつけ「精神医出身」というキーワードで評価される場合が多く、私もそうした先入観に毒されていたのかもしれません。この第2番にも怜悧で透徹した趣の演奏を期待し過ぎたのか、実際聴いてみると演奏にせよ、音質にせよ、「別に普通じゃん」という感じで、むしろモノトーンといいたいような演奏や録音が冴えねぇな...などと、思ったほどでした。以降、彼のマーラーはとんとごぶさたになっていたのですが、近年、インバルやテンシュテットと同様、格安のボックスセットが出たおかげで、この全集も2,3年前に購入し、さきほどようやく封を切ったという訳です。

 さて、この5番を聴いてみた印象ですが、ある種の克明さと熱気のようなものが妙な具合で混在しているところが他の演奏と違う点かなと思わないでもないですが、全般的な印象としては第2番の時と同様で、とりたてて凄いとか特筆すべきユニークさだとかはあまり感じられませんでした。全般に水準の高い演奏だとは思いますし、ダレたり退屈するようなところがある訳ではないのですが、世に言われているような特徴は、私の凡庸な耳(笑)では感じとれない....といったところでしょうか。前述の「精神医出身の指揮者」的な先入観などもはやありませんし、かなり白紙の状態で聴いたつもりなんだけどなぁ。そんな訳で、正直な印象としては、解釈のユニークさ故にセカンド・チョイスにするような演奏というより、むしろファースト・チョイス向きなごくごくまっとうなマーラーといった感じすらします。まぁ、まだ一回聴いただけなので、即断は早計ですが(笑)。

 ちなみに録音ですが、なかなか優秀です。正統派のDGサウンドとでもいうべき音で、調度60~70年代のカラヤンに代表されるような、ちょいとばかり平板だけど、そびえ立つオケの量感や質感のようなものをよく伝えるあのサウンドを、80年代中盤のデジタル技術でもってそのままリファインした音という感じですかね。
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マーラー 交響曲第5番/インバル&フランクフルトRSO

2007年02月15日 00時03分45秒 | マーラー+新ウィーン
 ここから初めて聴く演奏がけっこう出てきます。まずはインバルとフランクフルト放送響による国内のメーカー、デンオンで制作されたマーラー全集からの一枚。確かこれが第1作だったはずで(86年収録)、デンオン独自のデジタル&ワンポイント録音の優秀さがオーディオ・ファンを瞠目させ、演奏そのものの評価も高く国内の賞を軒並かっさらうという、かなりの話題盤だったよう記憶があります。もっとも、当時の私はデンオン・レーベルの出すインバルの新譜は高すぎて手が出ず、巷の評を読んではよだれを垂らしていただけったのですが、現在は超廉価ボックスセットで人気を博しているブリリアントに全集ごと組み込まれたおかげて、昨年だったかこのインバルによるマーラー全集をわずか5000円足らずでゲット、いゃぁ、いい時代なったものです。

 まぁ、そういうアルバムなので、こちらの関心もまずは録音ということになってしまうのですが、これは確かに素晴らしい録音ですね。20年も前の録音ですが、現在の感覚で聴いても今風な優秀録音として立派に通用する、豊かなホールトーンとあまり神経質にならない範囲での高解像度をもった、まさにナチュラルとしかいいようがない音質で、聴いていてある種の快感を感じます。私の場合、もともとロック・ファンだったことや、時期的に楽器に近接したマルチマイクで収録したハイファイ録音で育ったもので、ワンポイント(的なもの含む)録音というのは、時に芯のない曖昧な音と感じて欲求不満になってしまうこともあるのですが(リヴィング・プレゼンスは当然除く)、こちらはそのあたりをぎりぎりクリアしているという感じで、弦など多少遠い感じもしますが、確かにホールではこういう鳴り方をしているような気もしますし、テンシュテットのようにあまりに遠いという印象がないのがいいです。またテラークのような「厚いけど鈍い」という音ではなく、やけにさらさらとして透明感が高いのは日本人スタッフによる和風な感覚が反映したというところなのかもしれません。

 演奏ですが、これといってどこにも違和感のない「80年代の古典化した交響曲としてマーラーを振った演奏」の典型だと思います。鋭角的な印象はなくともリズムがしっかりとグルーブしている点、旋律はそれこそたっぷりと歌うが、情緒過多になる一歩手前でスマートに表現している点、昔の指揮者だとグロテスクに演奏しがちだった荒れ場をスポーティーな運動性に還元してしまえる点などなど、70年代のレヴァインあたりから始まったモダンなマーラー解釈の延長線に位置する感じが強いです。まぁ、ひとくちでいえば、テンシュテットほど情念的でもないが、レヴァインほどネアカでもないといったところで、これは良い意味でいうのですが、あらゆる面で過不足のないマーラー演奏といえるでしょう。60年代ハイティンクをモダンのリファインした演奏となどいったら、ハイティンクが好きな方に怒られるかもしれませんが、個人的には全集魔ということでどうもイメージだぶるんですよね(笑)。
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マーラー 交響曲第5番/ショルティ&シカゴSO

2007年02月13日 12時42分02秒 | マーラー+新ウィーン
 こちらも大物、ショルティとシカゴ響による70年の演奏です。全く個人な印象ですがこれはカラヤンとベルリン・フィルと並んでもっとも納得しうるマーラー第5のパフォーマンスです。もっとも、聴こえてくる音響的や歌い回しやテンポなどカラヤンとはかなり対照的なんですが、これはこれで極めてマーラー的な演奏に聴こえるのが、指揮者の解釈、オーケストラ演奏の妙なのでしょう。ともかく力でゴリゴリと押しまくる指揮者に、高性能かつハードボイルドな音色をメルクマールとするオケが一体となって、黒塗りの豪華なアメ車が高速で突っ走っているような、ダイナミックな運動感が特色です。

 マーラーの音楽は、世紀末だとか、表現主義だとか、いわゆる文学的なキーワードで解釈することも重要でしょうが、反面、絢爛たるオーケストレーションでもって構成された音の洪水を楽しむみたいな側面も忘れてはならない訳で、この演奏はそうしたオケにとっては難物の複雑なオーケスレーションを得も言われぬスポーツ的快感で、颯爽の演奏しているだけでも価値があるでしょう。日本人は大衆小説と純文学を比較すると、純文学を無条件で偉いと思いたがる傾向があって、マーラー演奏でも「意味深で重い演奏」を無条件で持ち上げる傾向がありますけど、こうした楽曲につきまとう様々な要素を意図的に排斥したようなこの演奏からも、音楽的高揚感のようなものはきっちりと表現されていることも忘れてはいけないでしょう。つまり、マーラーはその音楽に優れて文学的なメッセージを込めたかから素晴らしいのでなく、単に優秀な音楽を作ったから素晴らしいのだ....ということをこの演奏は教えてくれるとでもいったらいいか。

 ともあれ、非常に活気に満ちた素晴らしい演奏です。ショルティならではダイナミズムといえば、前半の三つの楽章にトドメをさすといえますが、第4楽章のやや早めのテンポで運んだ歌いっぷりも、十分に雰囲気は伝わりますし、高性能なアンサンブルが一瀉千里とばかり突き進む第5楽章の快感もなかなかで、やはり私にとっては非常に納得できる演奏です。ついでにいえば、録音も極めて優秀でシカゴらしいドスの効いたバスに切り込むような弦楽器や木管のクリアさなど、70年代までの演奏という注釈付きですが、あの「指輪」の名録音を一歩進めたほとんどオンリー・ワンともいえるハイファイ録音なのがいいですね。
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マーラー 交響曲第5番/カラヤン&ベルリンPO

2007年02月13日 00時01分04秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラーの5番を巡る聴き比べもいよいよ佳境、ただし、時代は再び遡って70年代の大物が登場します。カラヤンとベルリン・フィルが満を持して発表した73年の演奏です。この時期、70年代中盤といえば、現代音楽と呼ぶにはモダンすぎ、現代音楽というにはあまりにロマン派な情緒が濃厚すぎる音楽といった感の強かったマーラーが、ベートーベン並みの人気作曲家として、いわば古典化するまっただなかという時期だったように思いますが、当代随一の指揮者とオーケストラが取り上げたということで、マーラーの古典化がいよいよ加速したことは想像に難くありません。私はこれをリアルタイムで聴いた訳ではありませんが、いつの時代にもいるカラヤン嫌いは別として(笑)、一般的にも評判は良くもある種画期的な名演と呼ばれていたような気もします。

 さて、今回久しぶりにこの演奏を聴いた印象ですが、テンシュテットとロンドン・フィルの演奏に近いものを感じたのが意外でした。もちろんカラヤンのことですから、テンシュテットとは比べものならないくらいに、ディテールの精緻さ、サウンドの美麗さなどは際だっていますが、どっしりとしたバスを底辺にしっかり配置して基礎をしっかり固めた上に、ピラミッド状に各種楽器群の音響を積み上げて、実に安定度の高い重厚なオーケストラ・サウンドになっているあたり共通点を感じたのです。
 第一楽章の荒れ狂うトリオなど、テンシュテットのようになりふりかまわないようなところはカラヤンにはありませんが、それでも「表現主義とはこういうものだ」的見識で十分にオケを暴れさせていくあたり、結果的に似たような音響になっていますし、テンシュテットがなさそうでしっかりもっていたモダンさようなものと、カラヤンが無理してマーラーを古典的交響曲として演奏した背伸びした感覚は、結局同じ方向を向いていたのではないかと思ったするんですね。違うかな。

 それにしても、カラヤンの第5の演奏はいいです。CDで聴き込んだせいもありますが、テンポも表情、バランスといったところが全編に渡って非常に納得できますし、随所に鏤められた、この時期のカラヤンとベルリン・フィルにしか成し遂げられないような、もはやSF的といってしまってもいいような高度な精緻さに裏打ちされた壮麗さなど、「やっぱ、カラヤンってすげえな」と素直に思ってしまいますね。
 あと、誰もがいうことですが、第4楽章「アダージェット」の薄明の美といった感じの演奏は、筆舌に尽くしがたいものがあります。この楽章に限らず、カラヤンはマーラーの音楽を「魂の告白」として演奏するより、努めて「交響曲の古典」として割り切って演奏していますが、第4楽章もチャイコの「弦楽セレナード」のように演奏するつもりが、なかなかそこまで軽くなれなかったというところがあるようです。これはカラヤンの世代(マーラーの存命中に生まれている)故なんでしょうが、人工美などと一言で切り捨てるには、あまりに切ない演奏になっているあたりが妙であります。

 ちなみにこの演奏はCD最初期に出たアナログ盤と同じ2枚組と、the Originalシリーズの一枚として96年にリマスターしたものを聴いてみましたが、後者の「音が立っている」という感じの整音はなかなかのもので、アナログ末期の情報量豊富だが、やや飽和気味という音を上手に整理していて、納得できるリマスターとなっています。
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マーラー 交響曲第5番/マゼール&ウィーンPO

2007年02月12日 00時04分48秒 | マーラー+新ウィーン
 こちらは82年の収録、デジタル録音によるCDというメディアの黎明期ということで、なにしろ一聴して音質の良さに驚きます。ヒスノイズのない無音状態から、冒頭のトランペットがホールの響きをともなって演奏されるのが実にリアルに聴きとれるのは、やはりデジタル録音のありがたさを感じます。また、荒れ狂う第1~2楽章の音響も実に適度なホールトーンを伴いつつ、十分な解像度を持って収録されているあたり、音源に近接したマルチマイクで解像度ばりばりで収録してきた、60~70年代の録音パターンからの変化も如実に感じとれます。まずはそのあたりが印象的で、身もフタもない言い方をすると、マーラーはやっぱ音質だよなぁ....ということ。

 で、肝心の演奏ですが、これはマゼールというよりは、やはりウィーン・フィルの極上のサウンドを楽しむべきものですね。確かウィーン・フィルのマーラー全集はこれが最初だったように思いますが、マゼールもそのあたりを意識してか、あまり強烈に自己主張しないで(マゼールらしいエクセントリックなところもあるにはありますが....)、このオーケストラの持つエレガントで優美なサウンドをまずは十全に発揮させるということに傾注しているようです。したがって、この曲の持つアグレッシブなところは、ありがちな音響的な処理ではなく、遅めのテンポで極めて音楽的に演奏しているあたりが特徴でしょう。特に異形のスケルツォとして演奏されることが多い第3楽章など、ウィーン風としかいいようがない、まるでウィンナ・ワルツのようなノリで演奏されていて、けだし聴き物です。
 一方、第4楽章は比較的早めのテンポかつあっさりとした歌い回しですが、ここではウィーン・フィルの弦の美しさをいかしつつ、ほとんどオケのノリにまかせているような感じですかね。最終楽章は逆に遅めのゆったりと演奏で、お祭り騒ぎになりがちなこの楽章を格調高くしめくくっていると感じです(ややおっとりし過ぎな感もありますが)。ここでもウィーンのアンサンブルが実にエレガントでグー。

 という訳で、実はこの演奏これまであまりぴんと来たことがない演奏だったのですが、「ウィーン・フィルのサウンド+古典と割り切ったマゼールの解釈+高音質」ということで、今回は非常に楽しめました。いろいろな演奏を順繰りに聴いていくのは、こういうのがあるが楽しいところですね。マゼールとウィーン・フィルのマーラーはこれの他にも3,7番が自宅にありますが、同様にあまり感心した記憶がなかったので、それ以上触手が伸びなかったのですが、これを機に全集でも購入してみようとか思ってます....というか、既に注文してしまったのですが。
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