UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

三度目の正直、スズメ君たち熱弁す・・・

2016-02-24 02:08:04 | 日記

昨日の朝、と申しましてもお昼に近い今でありますが、庵の中からなんとなくわがサザーンガーデンに目をやりましたら、スズメ君たちが何羽も舞い降りておりていました

 今日の写真はそのスズメ君たちを撮ったものです。今度は確かに写っております。三度目の正直です。写真中央やや下方に二羽、頭を枯草の間からのぞかせています。右下のほうにも一羽はっきり写っております、判然とはしませぬが、もっとたくさん写っているはずです。どうかクリックして、思いっきり大きくして、尽力のうえ、ご覧くださいませ

 ようやくスズメ君たちの群れに遭遇することができましたので、いろいろ話を聞いてみることにしました

 スズメ君たちよ、君たちヒトの気配をちょっと感じただけで、どうして一斉に飛び立って逃げていくのや?

誰かと思ったらGGIか、ボクたちに何かイチャモンつけるわけ?

いや、そういうわけやない、ほかの鳥は君たちみたいに素早く逃げたりしないから、何が訳があるんじゃないかと思ったのや

GGIはヒマですねえ、もっとマシなこと考えたらどうですか。でもせっかくのご質問ですので誠意をもって答えることにします、ボクたちがさっさといっせいに逃げることにしているのは、まあ最近の流行語で言えば、集団的自衛権の行使ということなのです

集団的自衛権だと?それ、どういう意味や

GGIはオツム悪いなあ、新聞読んでいればわかるはず。あのねえ、人間というのはこの地球でいちばん危険な生き物ということがGGIは分かってないんじゃない?人間がいなかったら、この地球は平和に満ち満ちた地上の楽園なのに、GGIなどアホな人間のおかげで台無し。このような危険な敵にたいしては一致団結して、集団的自衛権の下に、われわれの身を守らなければないのです

それはちょっと誇大妄想や、それなら他の鳥だってサッサと逃げてもおかしくないのに、君たちみたいにサッサと逃げたりはしないやないか、それでは答にならんぞ

じゃあ、ボクたちスズメが人間を見たらすぐに逃げ出すことにしている本当の理由をはっきりGGIに教えてあげます。その理由は、あの強欲なバアさんです

強欲なバアさん?いったい何のことや

GGIはモノを知らんなあ、あの悪魔のようなバアさんですよ、むかし強欲のバアさんありけり、善良なスズメの舌を切りけりというわけや

何や、舌切りスズメの話か、あんなもの作り話やないか

いや、作り話なんかではありません、あの話は史的事実に基づいたものです

史的事実やなんて、スズメのくせに偉そうな口きくなあ

あのバアさんに舌を切られてしまってからは、舌が短くなってしまったので、ボクたちスズメは「チュンチュン」としか鳴くことができなくなってしまったのです、舌を切られる前はもっともっと美声で鳴くことができたのです

へえ~、ほんとかあ?君たち、舌を切られる前はチュンチュなんかという鳴き声ではなかったというのか、これは初耳も初耳や、それならどんな声でそれまで鳴いていたのや?

そんな昔のことに答える必要はありません。とにかくです、あの「舌切り事件」がボクたちスズメにとって大きなトラウマになっているのです。ですから、舌切り事件以後、人間が近寄ってきたらサッサと逃げるというDNAがボクたちの遺伝子に深く入り込み今日に至っているのです。

ふ~ん、でもなあ、あの話では、最後は、君たちはあのオバアさんに復讐してことになっているやないか、それにオバアさん、最後はお爺さんに諭されているやないか、それでも君たちはオバアさんを許さないというわけか

いや許してはいるのですよ、ボクたちスズメは寛大です。だから私たちスズメは許す、しかし忘れない、切り取られた舌は戻ってこない、ボクたちはもはやチュンチュンなんていう情けない鳴き声しか発することができない・・・だから、危険きわまる生き物、人間との不可逆的な最終合意に達するということは現状では考えられません

でもなあ、そんなこと言うれど、親切な人間もいるのや、たとえばなあ、小林一茶さんという俳人はこんな句を残してはるんや
我れと来て遊べや親のない雀

この句の意味は「親のない子すずめよ、私も親のないさびしさは、おまえと同じだ。こっちへ来て、さあいっしょに遊ぼうじゃないか」という意味や。

GGIは何をアホなこと言っているのですか。この句は一茶さんと言う人の勝手な都合で作ったものですよ、何にもスズメの立場に配慮していません。

スズメの立場ってどういうことや?

あのねえ、まずおかしいのはスズメの立場から言えば人間と遊ばなくてはならない理由なんてどことにもありません。親のないスズメはゴマンといますが誰も人間と遊びたいなどと思ってはいません。それに、スズメのなかには親のないスズメのことを想って遊んでやるスズメはいくらでもいるのです。

ふ~ん、君はなかなか屁理屈こねるのが上手やなあ・・・

ヘリクツなんかではありません。それに、それに遊ぶとしてもいったい何をして遊ぶというのですか!麻雀でもするというのですか、冗談じゃないですよ、一茶さんというヒト、自分が寂しいものだからか、舌切スズメの話を忘れて、スズメに相手にてもらって自分が癒されたいだけじゃないですか

君はボロクソいうなあ・・・

いや悪口をいっているのではありません。でも、この一茶さんの句、自分の都合であることを隠して、自分はヒューマニズムあふれる人間であり、スズメにまで情をかけてやる心優しき人間であるということを言いたいに過ぎないのです、

そうかあ・・・じゃあ一茶さんの句に「雀の子そこのけそこにけお馬が通る」といのがあるけど、この句はどう思うのや

論外です、よけいなお世話ですよ!お馬さんは人間よりずっと賢いですから、ボクたちを踏んづけたりしませんよ。お馬さんのお目め見たらわかるでしょう、GGIの目ん玉なんかよりずっと澄み切った知的は目をしているのが・・・

スズメ君たちとの対話は終わりそうもありませんので、今日はこのへんで失礼させえていただきます

グッドナイト・グッドラック!


サンダースさんに花束を!

2016-02-23 01:38:02 | 日記

米民主党の大統領選予備選で、彗星の如く登場したサンダースさん、大健闘していますね。

 彼は米国の政界で「社会主義者」を堂々と名乗るまことに稀中の稀ともいうべき政治家ですが、彼の目指すところは分りやすく言えば、要するに北欧諸国のような市民のだれもが公正に扱われる、人間性が尊重される社会を築くことであろうとGGIは理解していますす

 このためサンダース氏自身もまた今どき数少ない公正に徹することを信条とする政治家です。彼の人となりを的確に報じる記事が昨年12月のニューズウィーク(日本語版)に掲載されているのを目にしましたので、今日は手抜きであり申し訳ありませんがは、この記事の最後の部分を引用いたします。昨年12月半ば過ぎに行われた民主党の予備選における候補者5人による討論会についての記事です。

《ヒラリーと民主党を救った社会主義者サンダース》
ニューズウィーク日本語版:2015年10月27日(火)
ミシェル・ゴールドバーグ

 サンダースが最も注目されたのは、クリントンへの攻撃をそそのかすクーパー(注:討論会の司会者)の挑発に乗らなかったことだ。国務長官時代に公務に私用メールを使用した問題で質問を浴びるクリントンに、サンダースは助け舟を出した。「政治的な発言ではないかもしれないが、私は(前)国務長官は正しいと思う。くだらない電子メール騒動に、アメリカ人はうんざりしている」

 これはまさに政治的な発言だった。サンダースが原則を重んじる高潔な人物であると印象付けることになり、討論会は共和党のときのような個人攻撃に陥ることなく、驚くほど実質的な議論が続いたのだ。

 サンダースは最有力候補を引きずり降ろすことよりも、自身の考えを突き詰めることに関心があるようだ。政治家として、実に稀有な心構えだ。より進歩主義的なアメリカを求めるクリントンの支持者は、彼女の挑戦者に感謝するべきかもしれない。

(この記事の全文をお読みになりたい方は以下のサイトをご覧ください)

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-4033_2.php

 サンダース氏が米国大統領になる可能性は大きいとは言い難いかもしれませんが、もし大統領になったならば、日本の政治も変わらざるを得ないでありませう。なぜなら彼が大統領になれば米国の外交、安全保障政策、米国が関わっている戦争に関する方針、人権問題や経済格差問題に関する姿勢も大きく変わる可能性が考えられるからです、もしそうなれば、世界も大きく変わるでありませう

 たとえ大統領になれなくても、大統領選の予備選でこのまま善戦を続けることができたならば、彼は米国の市民だけではなく様々な国の市民にとっても大きな希望の星となることでありませう

 かようなわけで、今日はGGI、まじめに「サンダースさんに花束を!」と叫び、勝手に日本サンダーズクラブをここに結成する所存であります

 今日の写真はサンダース氏の姿です。クリックしてご覧くださいませ

 グッドナイト・グッドラック!


氷雨降る冬の午後、ドイツ歌曲「冬の旅」を聴きに行くなんて慣れないことをしてしまった・・・

2016-02-22 02:38:53 | 日記

昨日の日記に、冷たい雨が降るなか、やんごとなき用事のために外出したと記しましたが、実はクラシック音楽などにはほとんど縁無き衆生であるGGI、湖都の郊外にある教会で行われた小さな音楽会に赴いたのでありました。

ドイツ歌曲(リート)「冬の旅」、これはヴィルヘルム・ミュラーの詩による連作歌曲集であり、全24曲をドイツの女性歌手が歌うのであります。ピアノの伴奏もドイツ人。GGIはドイツ歌曲なる高尚なるものにとりたてて関心があるわけではないのですが、若干の義理があったからであります、まあ表敬訪問というところであります

この音楽会の一週間ほど前、ドイツ語に堪能、クラシックにも強い某知人に、「ちょっとなあ、あの《冬の旅》、GGIは苦手なんですよ、カクカクシカジカで」と申しましたら、その知人曰く「あのねえ、このコンサート、全24曲を歌うとプログラムに書いてあるぞ!これはたいへん、ただ聞いているだけでもGGIには難行苦行まちがいなし、でも義理があるのだから行かないといけません」・・・

 まったくアッチャ―であります、かようなしだいでGGI、「途中」までしか行かないという言うヘンなバスに見切りをつけ、雨に降られながら、かのヴォーリズ氏の手になる、音楽界の会場である古い教会へと向かいました。

 教会につきましたら義理の相手である某牧師がのたまいました。「GGIさん、いいところへ来ました、受付をやってください、予約制ですから、誰か来たら予約者の一覧表と照らし合わせて名前をちゃんと確認してから入場料一金2500円なりを間違いなく確保すること。次いで、全曲の歌詞が書かれているプログラムを手渡し、ここにズラリと並べてある7種類のCDを一枚でも多くみなさんに売りつけてること、CDは休憩時間と終了後にしっかし売ってください。CDは一枚3000円、取りはぐれないようにすること。CDの売り上げは全部出演者に渡します。一部はシリア難民のために寄付するそうですからせっせと売りつけるように!」

GGIはこのようなおカネなる面妖なるものを扱う仕事は大の苦手であります。ドイツ語堪能の知人に手つだってもらったのですが、この知人もこの類の作業はまったく苦手、というわけでいささか混乱気味でありましたが、なんとか任務を果たしたことにたいしました、おカネの計算、少々合わなかったみたいだけれど、まあいいか・・・

聴衆は狭い会堂にぎっしり、約60人、GGI、この雨の降りしきる寒い午後、よくこんなに集まったものだと感心いたしました、しかも、いらっしゃったみなさんの平均年齢、かなり高いようでありました

コンサートの感想?GGIは感想を述べるようなキョーヨーは持ち合わせておりませんので、まあ結構であったと申しあげておきませう・・・・

ただ、アイリカ・クリカシャ-ルとおっしゃる、体格のよいこの女性の歌姫、声量タップリ、受け取ったおカネのお守り役をしておりましたGGI、礼拝室の外の応接間で聞いていたのですが、それでも礼拝堂と応接間を仕切っているガラスの窓越しにビンビン声が響いてまいりました。感心しましたのは、歌っているときの姿勢がとても良いことでありました。それに近ごろのタレント的の歌い手さんとは異なり、大げさな身振り手振をしたり、大げさな表情をすることは一切なく、淡々と歌い継いでいく様子はとてもグッドでありました。

今日の写真は「冬の旅」を独唱するドイツの歌姫を撮ったものです。いつもながらピンボケでありますがよろしければクリックしてご覧くださいませ。

この「冬の旅」、そのなか一曲「菩提樹」は日本でも良く知られており、みなさんの中にも学校で習ったことがあるとおっしゃる方も少なくないでありませう。でも他の曲となると、GGIと同様、ほとんど知らないよとおっしゃる方もおられることでありませう

GGI、ほとんどの曲を知らないのに、最初にあの「冬の旅」は苦手である云々と書きましたのには若干の訳があるのでございます。

実は半世紀ほど前に亡くなりましたGGIのファザー、生前こよなく「冬の旅」を愛しており、座敷などでひとりでよく歌っていたのです。当然ながら、わがファザーの声がまだガキでありましたGGIの耳に届くのであります。今でも耳にするとすぐに「あっ、冬の旅」だと思いだしてしまうのは最初の曲です。

「おやすみ」(Gute Nacht)と題された曲です。何とも物悲しい、ウツウツとするような曲でありました(当時ガキであったGGIはそう感じたのでありました)。ですから、わがファザーが歌っているのを耳にいたしますと、ガキンチョGGIはそのたびに「あんな暗いだけの歌、どこがいいんだ・・・それを繰り返し歌ったして、気が知れんなあ・・・」と思ったものでありました。それ以来、「冬の旅」に由来する若干のトラウマがGGIの心のうちに生じたのでありました。

この「おやすみ」の歌詞の冒頭部分は、会場で配れらた資料に記されていた日本語訳によれあば次のようなものであります

僕はよそ者としてやって来て
またよそ者とし去っていく
五月はたくさん花束で
僕をもてなしてくれたものだった
あの子は愛していると言ってくれたし
母親が結婚話まで持ちだした
今ではあたりは物悲しく
道は雪で覆われてしまっている・・・

要するにであります、GGIは恥ずかしながら今まで知らなかったのでありますが、「冬の旅」というのは別れてしまった女性のことを歌ったものなのであります。道理で物悲しくて暗いはずであります

ドイツ語堪能の某知人、二階の席で聴いていたのですが、コンサートが終わってからGGIに申しました

「あのねえ、GGIよ、《冬の旅》は別れてしまった女性のことを想う男性の気持ちをうたったもの,だからふつうは男性の歌い手が歌うものなのです。ところが今日は女性が歌っていたのでしょう。だからこの歌姫の声に耳を傾けているうちに、なんだか別れてしまった女性、その女性がこの歌を歌っているような気がしてきて、若干鬼気迫るというか、こわ~いというか・・・」

知人の言葉を聞きまして、まことに音楽の感じ方は人様々であることよなあとGGIは感じいったのでありました・・・GGIなんか、曲の合間、みなさんが静かに次の曲をまっているあいだに窓の外から響いてくる雨音も悪くないなあ、などと思ったしていたのでありました。

グッドナイト・グッドラック!


GGIはもっと先まで行きたいんだあ・・・なんとかならない?

2016-02-21 01:55:12 | 日記

昨日は一日冷たい雨でありましたが、GGIはやんごとなき用事でJRの電車に乗って湖都の郊外へと出かけました。

 JRの某駅に降り立ちましたら、タイミングよくすぐにバスがやってきました。これはグッドと思って乗ろうとしましたら、何と行先に「途中」と書いてあるではありませんか!これはどいうことや、ふざけけるな!途中までしか行かないなんて、ヒトをおちょくるのもいいかげんにしろ!デタラメだらけの世の中とはいえ、こんなデタラメが許されてもよいのか!

GGI、若干り心頭に達しかけたのでありますが、真性ジェントルマンでありますので、運転手さんにていなねいな言葉づかい聞いてみました

「あの~このバス、途中までしか行かないのですか?」

「そうです、途中までしか行きません」

「なにか道がふさがれていたり、道路工事でもやっているのですか?」

「いえ、そういうことではありませんが、途中までしか行かないことになっているのです」

「どうしてなんですか?もっと先までいけるのに、お客さんを乗せておいて途中までしか行かないなんて無責任ではありませんか、どうして途中までしか行かないのですか?」

「そうおっしゃっても、とにかくこのバスは途中までしかいかないことになってるです」

「じゃあ、お客さんを乗せておいて途中でみんな降りさせるのですか」

「もちろんそうです」

「そんなことが許されるのですか、じゃあ、途中で降りたくない人はどうしたらいいのですか、もっと先まで行きたい人はどうすればいいのですか?」

「お客さんがどうお考えになろうとご自由ですが、とにかくこのバスは途中までしかいかないのです。途中が終点なのですよ、途中ではいやだという方は、その先は自分で何とかなさってください。お客さん、どうかご理解ください」

「えっ、途中が終点だなんて、・・・そんなアホな話があるのですか、終点があるから途中というものがあるのでしょう?それを途中と終点が同じだななんで・・・これではご理解もクソもないでしょう」

「お客さん、いいかげんにしてくださいよ。アホであろうがマヌケであろうが途中が終点ということになっているのです、嫌なら乗らないでください」

GGIは納得がいきませんでしたので、雨のなか、徒歩で目的地に向かうことにいたしました

バスのほうを振りかえりましたら、途中まででもいいよというお客さんが何人か乗り込んでおりました・・・GGIは心配になりました。あのお客さんたちは途中までいって、そのあとどうするのだろう・・・

今日の写真は「途中」行きのバスを撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ、あなたも途中まで行ってみませんか!

グッドナイト・グッドラック!


優柔不断日記・・・びわ湖一周だなんて・・・

2016-02-20 01:39:12 | 日記

先日逝去された女優の原節子さんとGGIはほぼ同じ趣味であります。彼女は読書を愛し泣くことが好きでビールが大好きでナマケルことが大好きと言っていたそうですが、泣くことを除いてほぼ同じであります。ただしGGIは読書を愛しますがあまり実行しておりませぬ

ナマケルことは誰にも負けないつもりですが、先日、ナマケモノにはまったく不向きな計画に付き合わざる得ない事態が生じてしまいました。びわ湖をほぼ歩いて一周するイベントをやるので協力しろ、もちろんGGIも一周しろ、と某知人が命じたのであります

つまり原発反対びわ湖一周でもなるものをこの某知人が考えついたのです。

このところ正直申しまして、川内原発に続き関電の高浜原発3号機が再稼働され、2月の末には高浜原発4号機も再稼動と、脱原発から遠ざかる一方の動きが続いています。

そのうえ昨日の新聞では、運転開始から40年が経過した原発は、福島原発事故後の民主党政権下では原則として廃炉、延長は例外的にしか認めないとされていたのですが、40年がすでに経過している高浜原発1号機と2号機に関して新規制基準に基づく原子力規制員会の審査が進んでおり、運転期間を60年にまで延長することが認められる公算が大きくなったと報じられていました。

このような状況の下で、サボリ名人のGGIがこんなことを申してはあちこちからお叱りの言葉が飛んでくることとは思いますが、反対運動は事実上手詰まりの状態にあると言ってよいでありませう

そんななかで湖東の町で暮らす、温厚なる元お医者さんであったという老紳士がしきりに上述のGGIの某知人に、一度びわ湖一周デモをやろうという話を持ちかけていたのでありました。

GGIなど足もとに及ばぬ実行力抜群、実務能力極めて優秀なるこの知人、「そうです、毎月GGIらといっしょに湖都の市内でやっている脱原発デモのグループを主催団体にして、いろいろなツテを頼って全国によびかけてびわ湖一周デモをやればいいのです、時期は5月の連休、麗しきびわ湖を見たことがない人は観光を兼ねていらっしゃあ~い、と呼びかけるのです」という企画を打ち上げたのです

エッ、びわ湖一周、歩いてまわるんかあ・・・そんなあ・・・GGIにはとってもムリ・・・などと思ったのではありますが、GGIはこの知人に何かとお世話になっておりますので、優柔不断を維持しつつ、こんな手詰まり状態、びわ湖一周してどれほどの意味があるのか少々自信に欠けるのでありますが、まあ、何にもしないよりいいのは確かであろう、と賛意を表しました

その結果、先日、びわ湖一周に向けての第一回謀議が行われました。参加者は言い出しっぺの元お医者さん、上述のGGIの知人、この知人の協力者、それにやや原理主義的でやや過激なる元大学の先生、それにGGI

知人がたたき台を示しました

《高浜原発・大飯原発再稼動反対!2016びわ湖一周デモ》、サブタイトルは《びわ湖を放射能から守ろう!》

そうしましたらやや過激元大学の先生氏が厳しきことをのたまいました。

《もう川内原発も高浜原発も再稼動されてしまったのだから、こんな生ぬるいタイトルはいかがなものか、もっと強い調子が必要ではないのか》

GGIの知人は若干困惑の様子、GGIはこの種の議論、運動論などというやっかいな事柄が絡むような議論はたいていは不毛な水掛け論のようなものになりがちでありますので、さっさと話を決めるべく一刀両断と申しますか即断いたしまして

《わかりました、そうおっしゃるなら、これではいかがですか、「原発全廃!びわ湖一周デモ2016」》

そうしましたら、元お医者さん氏がすぐに賛意を表明、やや過激元大学先生氏も納得いたしました。

しかしながら、再び元大学先生氏が厳しい口調でのたまいました

《「びわ湖を放射能から守ろう」も、何やら消極的な感じ、積極性に欠ける、何かもっと適切なる表現にすべきである、それに「放射能」という表現は不正確、言うなら「放射性物質」ではないのか?》

そこで、ショモないことでもめるのは時間のムダと感じて、再びGGIが即断しました

《「びわ湖を守ろう」というフレーズにはわが湖国の住民は慣れ親しんでいるので良いと思うのですが、お気に召さないのであればこうしましょう。「関電はびわ湖を汚すな!」ではどうですか?》

元大学先生氏は、このフレースがお気に召したようであり再び納得いたしました。

まあ、言い回しを変えたからと言って、何か事態に変化が生じるわけではないよなあ、とGGIは少しばかり自責の念にかられたのではありますが、かようなしだしいで無事、第一回の謀議は終わりました。

サボリでナマケモノのGGIはたいしたことができるわけではなく、さあ、これからどうなることやらと思うのでありますが、あとは優秀なる実務家の知人やその他の活動に熱心なみなさんに頼るのみであります

今日は、びわ湖の全景の写真が見つかりませんでしたので、かわりに今年のびわ湖毎日マラソン(36)のポスターの写真を載せておきます。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

グッドナイト・グッドラック!