今日の日記は前回の日記の続きでございます。
前回の日記で後期高齢者尼僧さんの突然の湖都市議会議員選挙出馬宣言というまたしても想定外の事態の出現に、GGIは驚愕して気が動転してしまったと書きました。
動転しつつ、この未だ正体不明とも言うべき尼僧さんにさらに聞いてみました。
ところで、あなたはいつごろ出家なさったのですか・・・
出家ですか・・・五十五歳のときのことでございます。
ははあ・・・そうかあ、五十五かあ、出家するにしては遅すぎるくらいだなあ・・・若いころから仏門にあったわけではないんだ・・・人生も後半、晩年近くになってからの出家・・・何か感ずるところがあって出家したということかなあ・・・
GGI、この尼僧さんを応援してあげたいなあという気持ちにまったくならなかったわけではないのですが、何しろ過去に4回も知人の選挙を応援していずれも落選ということが重い重いトラウマとなっておりますから、ただでも優柔不断名人のGGIの気持ちは揺らぎます・・・
そこでとりあえず尼僧さんの名刺をGGIのインチキ名詞と交換して申しました
・・・まあ、とにかくですね、事務所が決まったら教えてください・・・とにかく・・・
そうしまたらお付きの夫人がバッグから三つ折りのリーフレット数部を取り出し、どうかよろしくとGGIにさし出しました。後援会のリーフレットです。ありがたく頂戴いたしました。
夜も若干更けつつありましたので、やがてこの三人組は席を立ちました・・・三人組が姿を消したあと尼僧さんの名刺をよく見てみましら、「○○寺 副執事」という肩書、京都の名の通ったお寺の名前が書いてありました・・・
う~ん、そういうことかあ・・・
三人組が姿を消してから、あまりの想定外の連続、このバーに案内してくれた知人も少々混乱の模様、そこですこし気分を変えて飲み直そうと、またカティサークを注文しましたら知人とGGIが飲んでしまったのでもう残っておりません。そこで知人が別のウィスキーを注文いたしました。
そうしましたら、知人が注文したウィスキーの瓶は棚の高いところに置かれているため、腰が少し曲がったオールドマダム、背を伸ばしても手がなかなか届かず、危なっかしい限りです。取り損なって落っことしたりしたらタイヘン、知人はその様子を見ていてあわてて申しました
マダム、その高いところにある瓶、取るの危ないからそれでなくていいです、一番下の棚にあるウィスキーでいいです、そう、それでいいです、オールドで・・・
でも、このオールドマダム、カクテルを作るときのシェーカーを振る手つきはまことにあざやかでありました、軽やかに流れるように8の字を描いてシェーカーを振る姿、さすがに年季が入っていると申しますか、まさにプロの手つきそのものであり、知人もGGIも感心してしまいました。
尼僧さんらの三人組が去り、しばらくするともう一組の二人連れの客も帰り、店はGGIら二人とオールドマダムだけとなりました。
しばらく、知人相手にGGIは知ったかぶりしてウンチクを傾けました
「かつて《死刑台のエレベータ》という映画があったのを君は知ってるか、1960年ごろのフランス映画」とエラソーに十歳ほど年下の知人に申しましたら
「知ってますよ、マイルス・ディビスの名演奏で有名だったじゃないですか」
「そのとおり、全編に流れるジャズはまさに絶品やった、でも、全曲いずれもマイルス・ディビスの即興によるものなんや、彼が仕事でパリに立ち寄ったときにスタジオで演奏したのだけれど、演奏するまえに彼は条件を出したんや、演奏するにあたっては録音は一回きり、録り直しは絶対しない、という条件や、すごい自信・・・どうやって曲を編み出したのかなあ、おそらく、はじめに一回か二回、フィルムをバンドの仲間たちといっしょに見て、曲想について大筋だけ打ち合わせてから、もう一度フィルムを見ながら、場面に合わせて一気に演奏したのやないかなあ・・・まさに天才。この映画、ルイ・マㇽ監督のデビュー作としても有名・・・
(ゴメンナサイ、最初に書いた以下の記載は間違い、ルイ・マルとアラン・レネとを取り違えていました
「それにこの映画、後にヌーベルバーグを代表する名画《ヒロシマ・モナムール》(邦題:二十四時間の情事)を作ったルイ・マル監督のデビュー作」と書きましたが、これはアラン・ネレのまちがい。正確にはアラン・ネレの初の長編劇映画です。
「死刑台のエレベーター」のサウンドラック版のレコード、かつて持っていたのでだけれど、誰かに取られてしもうた・・・
などなど知人相手にグラスだけではなくウンチクも傾けておりましたら、時計の針は早や午後十時を少し回ってしいます。
六時半ごろこのバーに来たのだから、さあ、もうそろそろお開きにするかと思いながらオールドマダムに話しかけました
さっきの尼僧さん、すごいなあ、75歳、後期高齢者で選挙に出るんだって・・
でも、あなたはさっき「オレ77歳、勝った」なんておっしゃってましたね、77歳といえば生まれは昭和16年でしょう?
アタリです。すぐに分るなんてマダム、アタマいいですね、ところでマダムはおいくつですか?
私?・・・私は昭和・・・15年・・・
ガア~ン・・・
えっ!昭和15年、それならいま78歳!?・・・ほんと?
またしても想定外の事態の出現でありました
マダムも後期高齢者かあ・・・さっきは勝ったけれど今度は負けたなあ、などと話しておりましたら、マダムは遠慮がちに申しわけなさそうに申します。
あの~、このお店、十時までということにしてるんです、ですからそろそろ・・・
あっ、そうなんですか・・・ゴメンゴメン、これは気が付かなくて、ではすぐに退散しますから
かようなしだいで後期高齢者バーの夜は午後十時にはもう十分に更けているのでありました・・・
マダム、また来るから・・・次はいつごろ店開く予定ですか?
またしてもマダムは申しわけなさそうに申しました
あの~・・・二月と三月はお休みする予定なので・・・
かくして後期高齢者バーの想定外続きの夜は終わりを告げたのでありました、外に出ましたら風は身を切るよう、街に人影はまったくありませぬ。知人は想定外の連続ですっかりできあがってしまっており、近くのお地蔵さんに向かって何かしきりに吠えておりました。
今日の写真は尼僧さんにいただいて名刺の裏面を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
(この日記、まだ続くかもしれません)
グッドナイト・グッドラック!
前回の日記で後期高齢者尼僧さんの突然の湖都市議会議員選挙出馬宣言というまたしても想定外の事態の出現に、GGIは驚愕して気が動転してしまったと書きました。
動転しつつ、この未だ正体不明とも言うべき尼僧さんにさらに聞いてみました。
ところで、あなたはいつごろ出家なさったのですか・・・
出家ですか・・・五十五歳のときのことでございます。
ははあ・・・そうかあ、五十五かあ、出家するにしては遅すぎるくらいだなあ・・・若いころから仏門にあったわけではないんだ・・・人生も後半、晩年近くになってからの出家・・・何か感ずるところがあって出家したということかなあ・・・
GGI、この尼僧さんを応援してあげたいなあという気持ちにまったくならなかったわけではないのですが、何しろ過去に4回も知人の選挙を応援していずれも落選ということが重い重いトラウマとなっておりますから、ただでも優柔不断名人のGGIの気持ちは揺らぎます・・・
そこでとりあえず尼僧さんの名刺をGGIのインチキ名詞と交換して申しました
・・・まあ、とにかくですね、事務所が決まったら教えてください・・・とにかく・・・
そうしまたらお付きの夫人がバッグから三つ折りのリーフレット数部を取り出し、どうかよろしくとGGIにさし出しました。後援会のリーフレットです。ありがたく頂戴いたしました。
夜も若干更けつつありましたので、やがてこの三人組は席を立ちました・・・三人組が姿を消したあと尼僧さんの名刺をよく見てみましら、「○○寺 副執事」という肩書、京都の名の通ったお寺の名前が書いてありました・・・
う~ん、そういうことかあ・・・
三人組が姿を消してから、あまりの想定外の連続、このバーに案内してくれた知人も少々混乱の模様、そこですこし気分を変えて飲み直そうと、またカティサークを注文しましたら知人とGGIが飲んでしまったのでもう残っておりません。そこで知人が別のウィスキーを注文いたしました。
そうしましたら、知人が注文したウィスキーの瓶は棚の高いところに置かれているため、腰が少し曲がったオールドマダム、背を伸ばしても手がなかなか届かず、危なっかしい限りです。取り損なって落っことしたりしたらタイヘン、知人はその様子を見ていてあわてて申しました
マダム、その高いところにある瓶、取るの危ないからそれでなくていいです、一番下の棚にあるウィスキーでいいです、そう、それでいいです、オールドで・・・
でも、このオールドマダム、カクテルを作るときのシェーカーを振る手つきはまことにあざやかでありました、軽やかに流れるように8の字を描いてシェーカーを振る姿、さすがに年季が入っていると申しますか、まさにプロの手つきそのものであり、知人もGGIも感心してしまいました。
尼僧さんらの三人組が去り、しばらくするともう一組の二人連れの客も帰り、店はGGIら二人とオールドマダムだけとなりました。
しばらく、知人相手にGGIは知ったかぶりしてウンチクを傾けました
「かつて《死刑台のエレベータ》という映画があったのを君は知ってるか、1960年ごろのフランス映画」とエラソーに十歳ほど年下の知人に申しましたら
「知ってますよ、マイルス・ディビスの名演奏で有名だったじゃないですか」
「そのとおり、全編に流れるジャズはまさに絶品やった、でも、全曲いずれもマイルス・ディビスの即興によるものなんや、彼が仕事でパリに立ち寄ったときにスタジオで演奏したのだけれど、演奏するまえに彼は条件を出したんや、演奏するにあたっては録音は一回きり、録り直しは絶対しない、という条件や、すごい自信・・・どうやって曲を編み出したのかなあ、おそらく、はじめに一回か二回、フィルムをバンドの仲間たちといっしょに見て、曲想について大筋だけ打ち合わせてから、もう一度フィルムを見ながら、場面に合わせて一気に演奏したのやないかなあ・・・まさに天才。この映画、ルイ・マㇽ監督のデビュー作としても有名・・・
(ゴメンナサイ、最初に書いた以下の記載は間違い、ルイ・マルとアラン・レネとを取り違えていました
「それにこの映画、後にヌーベルバーグを代表する名画《ヒロシマ・モナムール》(邦題:二十四時間の情事)を作ったルイ・マル監督のデビュー作」と書きましたが、これはアラン・ネレのまちがい。正確にはアラン・ネレの初の長編劇映画です。
「死刑台のエレベーター」のサウンドラック版のレコード、かつて持っていたのでだけれど、誰かに取られてしもうた・・・
などなど知人相手にグラスだけではなくウンチクも傾けておりましたら、時計の針は早や午後十時を少し回ってしいます。
六時半ごろこのバーに来たのだから、さあ、もうそろそろお開きにするかと思いながらオールドマダムに話しかけました
さっきの尼僧さん、すごいなあ、75歳、後期高齢者で選挙に出るんだって・・
でも、あなたはさっき「オレ77歳、勝った」なんておっしゃってましたね、77歳といえば生まれは昭和16年でしょう?
アタリです。すぐに分るなんてマダム、アタマいいですね、ところでマダムはおいくつですか?
私?・・・私は昭和・・・15年・・・
ガア~ン・・・
えっ!昭和15年、それならいま78歳!?・・・ほんと?
またしても想定外の事態の出現でありました
マダムも後期高齢者かあ・・・さっきは勝ったけれど今度は負けたなあ、などと話しておりましたら、マダムは遠慮がちに申しわけなさそうに申します。
あの~、このお店、十時までということにしてるんです、ですからそろそろ・・・
あっ、そうなんですか・・・ゴメンゴメン、これは気が付かなくて、ではすぐに退散しますから
かようなしだいで後期高齢者バーの夜は午後十時にはもう十分に更けているのでありました・・・
マダム、また来るから・・・次はいつごろ店開く予定ですか?
またしてもマダムは申しわけなさそうに申しました
あの~・・・二月と三月はお休みする予定なので・・・
かくして後期高齢者バーの想定外続きの夜は終わりを告げたのでありました、外に出ましたら風は身を切るよう、街に人影はまったくありませぬ。知人は想定外の連続ですっかりできあがってしまっており、近くのお地蔵さんに向かって何かしきりに吠えておりました。
今日の写真は尼僧さんにいただいて名刺の裏面を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
(この日記、まだ続くかもしれません)
グッドナイト・グッドラック!