UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

従順な、あまりにも従順な・・・・

2019-01-06 00:56:20 | 日記
今年の年明けはGGIにとりましては若干ヘンな想定外のものでありました。

GGIは初詣などという結構な趣味は持ち合わせておりませぬ。ところが、どういう風の吹きまわし化、大晦日には知人といっしょにわざわざ三井寺に初詣というかタダ甘酒を飲みに行き、さらに1月2日は神社にお参りなんかしてしまったのです。

神社というのは、湖都の市役所の近くにある「近江神宮」、某人物とその家族が近江神宮近辺は思い出の地でもあるので行きたいとのたまいましたので付きあったのです。神宮の近くに別の知人が住んでいますので、その知人宅に行くときは近道するために神宮の杜を横切ることはありますが、神社にお参りするのはかなり久方ぶりのことであります

どのくらい久方ぶりであるかと申しますと、おそらく今を去ること三十年前のことです。すなわち1989年の冬、お参りというか様子を偵察するために参詣するふりをして訪れたことをよく覚えています。昭和天皇崩御、大喪の礼なる葬儀が行われてしばらく後のことです。

1989年2月24日、大喪の礼の当日、首都は大厳戒とのことでありました。京都の御所も当日は大厳戒であり中に入ることはできないかもしれないという噂でありました。しかし、前日であれば大厳戒なんかではなかろうと思い、GGIは良識あるヤジウマとして、天皇制の今を目撃すべく、オンワードのなかなか色合いのグッドな上等だけれどヤケに重いコートを身にまとい、前日、ひとり御所見物に出かけたのでありました・・・

今出川寄りの入口の門では、警官が一人、トランシーバーを鳴らしっぱなしにして長い警棒を手に突っ立っておりました。別に誰何されるわけでもありません。でも、大厳戒の噂のせいで善良なる市民のみなさんこの日の御所散策を敬遠したのでせうか、御所の中に足を踏み入れますと広い砂利道には人影はほとんどありませぬ。なんだ、厳戒なんかではないじゃないか、平穏そのものだなあと思って何となく周りを見回しましたら、ジャ~ン・・・周囲の木々の茂みの陰、あっちこっちに何台もパトカーや護送車などが・・・・

これは若干容易ならざる状況だなあ、ヘタに難癖をつけられないようにしなくてはと思いながら、御所の中をできる限り緩慢にあるいておりますと、5分おきぐらいにパトカーが砂利道をギシギシ音をたてながら低速でやってきるの出会います。御所内を警邏するつもちでグルグル回っているのです。GGIは挙動不審で逮捕されたりしないよう、パトカーとつかず離れず、俺は危ないモノなんか何も持っていないよと両方のお手々をポケットから出してノロノロ前進に努めるなど、とても苦労致しました。梅の花が咲いていました。このときのことはどこかこの日記か別の日記にもっと詳しく書いたことがあるのですが、見つかりませんので以下省略。

この大喪の礼からしばらく経ってから、記憶は定かでないのですが、何やら葬儀に関連した後の祭りのような儀式が行われました。そのときは、近江神宮は昭和天皇と縁の深い神社でありますので、今度は近江神宮を厳戒しているかもしれないなあと気になり、GGIは参詣のふりをしてこの神社に偵察に出かけたのでありました。「むかし、おとこありけり。そのおとこ、身をえうなき物に思なして、湖畔の庵にはあらじ、何かよいことはないか」と近江神宮の方にお参りに行きけりというわけです

山門の前の砂利が敷き詰められた広場には人っ子一人おりませぬ。厳戒の様子はまるで感じられませぬ。なんだ何ともないじゃないかとやや拍子抜けいたしました。山門をくぐり、ここまで来たのだから賽銭のひとつでも喜捨するかと感心なことを思いつき、拝殿の前でポケットに手をいれコインを探しておりました。

そうしましたら、いつのまにかGパン姿の青年がGGIの背後から音もなく近づきつつあったのです。どこから姿を現したのでありませうか・・・でも、やはり警戒はしていて、どこからかGGIの姿を見ていたのでありませう、当局が派遣した私服の関係者か何かでありませう・・・当然ながらここでもGGIは良識あるヤジウマとして振る舞い、難グセをつけられないよう注意いたしました。Gパン青年は賽銭なんか上げずに、GGIの近くをしばらくウロウロしてからいずこかへ去って行きました

近江神宮、最近は百人一首の大会などでとみに有名であり、天地天皇が云々と言われたりしますので古い神社かと思われるかもしれませんが、そうではありませぬ。神社としてはたいして歴史はないと言ってもいいのです。皇紀2600年を記念して、GGI御生誕の一年前、すなわち1940年(昭和15年)、昭和天皇の御聴許により御創建されたものであります。

と前置きだけが長すぎてしまいましたが、1月2日は知人の家族といっしょにこの近江神宮に参ったのでございます。正月に来たのは初めて、大変な人出、ふだんは神社なんかに見向きをしない若い人たちが意外に多いのに世間知らずのGGIは驚きました。ところが山門の前の広場は大屋台村と化しております。カネ儲けの時代かもしれませんが日ごろは静まり返っている神社の境内に突然大屋台村出現、神さまもあきれておられることでありませう

山門をくぐって拝殿へとお参りすることを希望する人たちはちゃん行列してまたなければなりませぬ、行列は広場を横断して文字通り長蛇の列でありますが、わが民はさんざめきながら文句ひとつたれることなく行儀よく並んでおります

GGIらはうんざりして、行列につくのは止めにして、一金100円也のおみくじを引いてご利益をお願いいたしました、あ~、この人混み、これじゃあやってられんなあ、それよりどこかでメシでも喰おうと衆議一決、わがホームグランドの西武さん、その食堂街というほどではない食堂街に赴き、ふだんはめったにGGIは口にしないお好み焼きなんかを食べたのですが、日頃閑散としているこの食堂街も人だらけ・・・かようなしだいで、GGIはすっかり疲れてしまい、すこし早めに知人の家族と別れ庵に帰還いたしました。

翌1月3日、昨日のことを思いだして、やれやれ日本人は世界一宗教心がないのに初詣、新年に神さまに勝手なムシのよいお願いすることだけは大好きなんだなあと呆れながら新聞を開きましたら、一枚の写真が目に飛び込んできました。あまりに勢いよく目に飛び込んできましたのでGGIの目はテンになってしまいました。

昨日、皇居一般参賀に訪れた人たちを撮った航空写真です。正確には、参賀のために、厚い防弾ガラスに守られた天皇一家をひと目見ようと、行列をなして順番をまっている人たちの写真です。今日の写真はこの航空写真を勝手に借用したものです。よろしければクリックしてご覧になり、しかとご観察なさってください。

記事によれば平成参賀の一般参賀、15万4800人もが天皇一族を見に訪れ、過去最高ということされています。

GGI、この写真を目にした瞬間、この細長い四角い形をした黒い塊は何だ!と思ってしまいました・・・

GGIとしましては、まず驚きますのは参賀に訪れた人々の数です。これだけの数の市民がいっせいに一つの場所に押し寄せるようなことは皇居の一般参賀を除いてはないのではないか・・・若い人気絶頂の歌手による野外コンサートでも、せいぜい数万、これだけ押し寄せることはないでありませう。また共謀罪反対、安保法制反対、原発反対、米軍基地反対などのいわゆる政治的デモや集会でも、あるいはサッカーなどの大スポーツイベントであっても、いかなる集まりであっても(社寺仏閣への初詣などは別として)、少なくとも平成の世のこの日本では、とてもこの皇居の大群衆には遠くおよびませぬ・・・天皇の人気はあきらかに断トツであるということがこの写真から読み取ることができます・・・

しかしながら、GGIとしましては集まった人々の数以上に驚きましたのは、天皇一家を一目見ようと行列して辛抱強く待っている人々の様子です。写真で分りますように、みなさん実に整然と並んでおります。警察官か宮内庁の係員に指示されたとおりに、指定された場所で、はみ出すことなく、列を乱すことなく、辛抱強く並んで順番を待っております。こんな数多くの人たちがこんなに整然とおとなしく並んでいる様子をGGIはいままで目にしたことがありません。

普通は人が集まれば集まるほど、人は勝手に動き回り、それにつれエントロピーがあがり活気を呈するというか無秩序の度合いを強めるのが自然現象でありますが、この写真からはそのような気配や雰囲気はまったく感じ取れません・・・

これだけの数の人がこれだけ整然と静かにならんでいるなんで・・・GGIは写真を見ていているうちに、なんだか頭がクラクラ、目まいがしてきて、気分が悪くなってしまいました、これは一体どうなっているのだ・・・

誰かから強制されたのではなく自発的にやってきた、このおとなしき大群衆、羊の群れよりも従順なわが民・・・防弾ガラスに守られた彼方の天皇一家を何とかひと目見ようと、列を乱すことなく整然とひたすら従順に待っている無数の人々・・・何やら不気味にさえ感じられる、と言っては言葉が過ぎるでせうか・・・

「純良なる」民の群れ・・・

近未来の管理国家の世界を描いた有名な小説「1984年」を著したジョージ・オゥエルさんがこの皇居の大群衆の様子を目にしたならば、何と言うでありませうか・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドラック・グッドナイト・・・・