UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

赤い屋根ではなく緑の屋根だけど、つい思い出してしまう・・・

2015-09-12 01:30:34 | 日記

わが庵の近くに洋館というのでせうか、洋風のなかなか色彩豊かな民家があります、緑の屋根に淡い赤レンガの壁、青空に映えるなかなかステキな建物です

 今日の写真は昨日、台風一過の紺碧の空を背景にこの建物を撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ、

 どうです、なかなか鮮やかなコントラストではありませんか

 天気の良い日にこの建物を目にしますと、GGIはつい、かつて幼少のみぎりによく耳にした「鐘のなる岡」(とんがり帽子)という歌を思いだしてしまいます

 戦後すぐに(昭和22年~25年)放送されていた「鐘の鳴る丘」というラジオをドラマの主題歌です

鐘の鳴る丘  (作詞:菊田 一夫 作曲:古関 裕而 )

緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
鐘が鳴ります キンコンカン
メーメー子山羊も啼いてます
風がそよそよ丘の家
黄色いお窓は俺らの家よ

緑の丘の麦畑
俺らが一人でいる時に
鐘が鳴ります キンコンカン
鳴る鳴る鐘は父母の
元気でいろよ言う声よ
口笛吹いて俺らは元気

(以下、省略)
ああ、なつかしいと思われる方は以下のサイトで聞くことができますhttps://www.youtube.com/watch?v=j6DczqtMTMw

写真の家は赤い屋根ではないのですけれど、何となくイメージが合うような気がしてGGIはこの歌を思いだしてしまうのです

このドラマ、記憶が定かではありませんのでウィキペディアさんの助けを借りますと

「《鐘の鳴る丘》とは、共同生活の施設が丘の上にあり、とがった屋根の時計台に鐘を備えているというドラマの設定による。空襲により家も親も失った戦災孤児たちが街にあふれていた時代、復員してきた主人公が孤児たちと知り合い、やがて信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描く。日本全体が苦しかった時代、大人子供を問わず多くの人の共感を呼び、大ヒットとなった。」とされています

 そうです、あのころはまだ戦災孤児たちが街にいたのです、GGIもそのころ、戦災孤児ではありませんでしたが、まだまだ戦災の跡が残っている東京の街を近所のガキどもとぶらついたものでありました、このような時代でありましたから、GGIはときおり三人の兄たちから「オマエは橋の下から拾ってきたんや」とからかわれたものでありました・・・

 今は昔、遠い日の思い出であります

 グッドナイト・グッドラック!