透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

豊田市美術館

2008-02-17 | B 繰り返しの美学


 このところ建築トランプモード全開です。

私が最初に観た谷口吉生さんの作品は「土門拳記念館」か「資生堂アートミュージアム」のどちらかだと思います。

今回のカードは豊田市美術館、ここを見学に訪れたのはもう5、6年位前?のことです。端整なデザインが谷口さんの建築の特徴ですがこの美術館も例外ではなく知的でシャープな姿が印象的でした。

人工的に造られた「水庭」のエッジに沿って薄い壁が等間隔に何枚も並んでいます。そう、「繰り返しの美学」。水庭と壁の連なりが外観を特徴付けています。



谷口さんはMoMA ニューヨーク近代美術館の増改築計画のコンペで当選しています。その応募案の展覧会が東京でありました。もう10年位前のことだろうと思いますが。応募案のプレゼン用図面が実に美しかったことを今でも覚えています。

この作品集はその展覧会会場で買い求めたものです。谷口さんの作品の写真集。欲しい本は少し無理をしても買い求める、基本です。

どうしてこんなに美しいんだろう・・・、そのポイントはどこにあるんだろう・・・。谷口さんの建築デザインの特徴を一言で、ということになると「端整」だと私は思います。少し遊んでもいいのではないかとも思いますが、隅々までとにかくビシっとおさめています。余分なもののない簡潔なディテール、魅了的です。

この作品集に載っているのは豊田市美術館に併設されている茶室だと思いますが、写真を観るとシャープな線で構成されていることが分かります。真、行、草、茶室もこのようにスタイルを分けることが出来るのですが、真以上にカチっとした茶室、谷口さんが設計すると茶室もこうなるのだな、と納得します。

http://www.tnm.jp/jp/guide/map/horyujiHomotsukan.html

上野の法隆寺宝物館も谷口さんの作品、やはり水庭を配し「和」を感じさせる美しい建築です。もう一度訪ねたい建築です。

白の家

2008-02-17 | A あれこれ



 友人からのプレゼント、南洋堂のトランプ「シャッフル!日本建築」にはジョーカーが2枚あるが、幸か不幸か未だ引いていない。今回引いたのは「白の家」だった。設計者は篠原一男さん。

10m×10mの正方形に方形の屋根を掛けたシンプルプランの住宅。カードの右上にプランが描かれている。このカードを引いたとき、直ちにこの作品が掲載されているこの本が浮かんだ。『新建築詳細図集 住宅編』新建築社。手元のものは1976年発行。1960年代に設計施工された住宅の詳細図が掲載されていて、「白の家」も載っている。

この「白の家」、床はぶなフローリング、壁と天井は石膏ボードペンキ仕上げ。現代民家風とでも評すればよいか。白の家のようなシンプルな住宅での簡素な暮らし、あこがれ。

この本には同じ設計者による「から傘の家」も掲載されている。「から傘の家」はその名の通り、から傘の骨のように扇状に掛けられた垂木が室内に表しになっている。篠原さんは後年かなり作風が前衛的になったが、私はこの2作が好きだ。

因みに松本の浮世絵博物館を設計したのも篠原一男さん。


法隆寺

2008-02-16 | A 読書日記



 最古の木造建築、法隆寺。自室の書棚から法隆寺に関する本を取り出した。

『法隆寺の謎を解く』武澤秀一/ちくま新書については既に書いた(060618)。

以下その改稿。


創建当時の法隆寺は塔や金堂などの伽藍配置が縦一列だったことが発掘調査で分かっているとのこと。ところが再建されて今日に残る法隆寺は金堂と、塔が横に並んでいる。縦から横へ配置を変えたのは一体何故か。そこには一体どんな意図があったのか・・・。

朝鮮半島、中国、インドでは縦一列のシンメトリックな伽藍配置。金堂と塔を横に配置するのはこの国独自。伽藍配置の変更の謎について著者は独自の視点からその謎解きを試みている。

著者は法隆寺の中門の中央に柱があることにも注目して、(確かに手元にある『日本名建築写真選集4 法隆寺』に載っている他の寺、例えば飛鳥寺、川原寺、山田寺などは中門の柱は一列4本だが、法隆寺は5本で中央に柱がある。)その謎に迫っている。何故法隆寺の中門だけが、中央に柱があるのか・・・。梅原猛や伊東忠太ら、多くの人たちが唱えるいくつかの説も紹介しているが、著者の説はなかなか興味深いものだった。

『日本名建築写真選集4 法隆寺』に載っている法隆寺伽藍略年表を見ると、講堂・北室が焼失、西室が落雷のため焼失、南大門が焼失、金光院・律学院が焼失、金堂より出火し壁画を焼損(昭和24年)と何回か火災に遭ってその都度再建していることが分かる。

奈良には桜よりも梅の花がよく似合うというイメージがある。春先の奈良、寺巡り・・・、いいだろうな。



 先日ソウルの南大門が焼失した。放火とのこと。韓国の人たちはさぞかし落胆していることだろう。ソウルの街に独特の景観を創出していた南大門、既に再建に向けての動きがあるという。見事な再建を願う


 


ハートのA  F.L.ライト

2008-02-14 | A あれこれ



ハートのAが出てこな~い やめられない このままじゃ~ ということでハートのAを予定通り引きました。 近代建築の巨匠 F.L.WRIGHT。

手元にライトの写真の載った資料など無いだろうと思っていましたが、ありました(『F.L.ライトの世界』淀川製鋼所迎賓館修復記念という本です)。ライトの息子も孫も建築家ということをこの本で知りました。

落水荘(カウフマン邸)、グッゲンハイム美術館、そして日本の帝国ホテルと自由学園、あと・・・きのこのようなユニークな柱が並ぶ事務所?名前が思い出せません、左右対称のファサードのウインズロー邸(有名な住宅ですがやはり名前を思い出せなくてカンニング)・・・ ライトの作品を挙げよと言われてもこのくらいしか出てきません。何とも情けない。

ライトが建築主の奥さんと恋仲になってヨーロッパまで逃避行したとか、帰国後に彼女が殺されてしまったとか、設計工房が火災で焼失してしまったとか、小説よりも数奇なライトの人生も先の本には書かれています(ライトの研究家として知られる谷川正巳さん執筆)。

ライトが不倫してアメリカを脱出してヨーロッパまで逃避行!なんて、バレンタインデーな話題?(じゃないですね)、はこのくらいにして、建築について書こうにも・・・。

ライトの描いたパースには日本の浮世絵の影響がうかがえるとのことで、彼は東洋とりわけ日本文化に強い関心を抱いていたそうです。確かに落水荘などを見ると自然に見事に溶け込んでいて、そこに日本建築の発想、構成を見ることが出来ます。などとにわか知識を書き出しても仕方がないですね。

オリジナルな視点で何か書けないものか・・・。

ここで例えばニューヨークにあるグッゲンハイム美術館の写真でも載せればカッコいいのですが、田舎の貧乏人には海外旅行の機会などありません。

グッゲンハイム美術館はライトの代表作のひとつ、スパイラルな壁面に展示されている作品を鑑賞しながら降りてくる・・・、吹き抜け空間の頂部にはトップライトがあって・・・、とくれば基本的な空間構成はここと同じではないかということで安藤さんの表参道ヒルズの内観写真で代用しておきます。って、やっぱり無理がありそう。



巻貝か蝸牛(かたつむり)をモデルにしたような独創的な外観のグッゲンハイム美術館と安藤さんらしくない没個性的な外観の表参道ヒルズとはやはり違いますね。ただし、そのことで直ちに優劣を決めることは出来ないでしょうね。



 いまさら本命などということはあろうはずもなく・・・。A、ありがとう。手作りチョコ、うまかった。


「パンの耳の丸かじり」

2008-02-13 | A 読書日記



 東海林さだおさんは才能のある人だと思う。昨年『もっとコロッケな日本語を』を読んだ時もそう思ったが、この本を一昨日読んでやはりそう思った。

食べ物をテーマに書いたエッセイをまとめた1冊。

「苺と大福」にはこんなくだりがある。**そしてなんだかなまめかしい。全体がポッテリしていて、グンニャリしていて、カラダがゆるんでいて、手に持つとそのゆるんだカラダをあずけられたような、もてあましたカラダをゆだねられたような、ぐったりとしなだれかかられたような、いずれにしても(わるい気はしないな)というまことに結構な錯覚にかられる。**大福を若い女性に喩えての描写だが大福の特徴を的確に捉えている、上手い!

1冊丸ごとこんな楽しいエッセイが詰まっている。休日にはこんなエッセイをのんびり読むのがいい。そう大福でも食べながら・・・。


スカイハウス

2008-02-13 | A あれこれ



■ 今回は「スカイハウス」、建築家菊竹清訓さんの自邸(1958年竣工)。急斜面に建っていることがカードでも右の写真でも分かる(1979年撮影のサービスサイズの写真を拙者が接写なんちゃって、オヤジギャグ)。私の写真には外周に巡らせた縁側の板戸が閉められた状態が写っている。

結論を先に書いてしまうスカイハウス」は日本の戦後住宅史において間違いなくベスト3に入る。

急な斜面に建つこの住宅、4間4方の正方形の上に方形の屋根を載せた大空間を4枚の壁柱によって空中に浮かべている。「スカイハウス」というネーミングは少し大袈裟かなとも思うが、竣工当時の一般住宅の大半が木造の在来工法だったということと屋内からの眺めを想像すれば頷ける。

意匠と構造との理想的な融合、このスカイハウスには「ウソ」のない美がある。土木的な造形美と言ってもいい。他に同様の実例を挙げるとすれば丹下さんの代々木体育館くらいしか直ちには浮かばない。

前回取り上げた手塚さんの中庭のある回廊住宅(正式な作品名を知らないので適当に書いておく)もこのスカイハウスと同様に室内には柱が1本も無かった。共に無柱空間というわけだがそれを可能にしている構造が手塚さんの作品では完全に裏方であって、意匠に反映されていない。ふたつの作品は構造の扱いが全く異なっている。先に書いた意匠と構造との融合というのはこの意味においてである。

竣工当時の平面図を見ると実にシンプルな空間だ。その後増改築が繰り返されているが、必要な部屋を全くためらうことなく何部屋も造ったように思われる。それは竣工時、家族にストイックな生活を強いたことの反動なのかもしれない。

所在地は文京区と記憶している。今「スカイハウス」はどんな姿を見せているのだろう・・・。機会があれば30年ぶりの対面をしてみたい。

さて、ここで話を逸らす。

先週かな、BS日本の歌というテレビ番組で黛ジュンが「天使の誘惑」を歌った。昔々私がまだ若かりしころの歌を、「今年還暦です」と自己紹介してから歌い始めた・・・。昔と同じように衣裳はミニスカートだった。彼女には他にもヒット曲が何曲かあるが、私は ♪恋の意味さえ知らずにいたの~、この1曲だけで彼女を優れた歌手として認める。

黛ジュンが「天使の誘惑」1曲で十分なら、菊竹さんはこの「スカイハウス」1作で十分だろうと思う。この作品だけで菊竹さんを優れた建築家だと認めることにためらいはない。

写真を撮った当時は「スカイハウス」のデザインにメタボリズム(代謝建築)という思想的なバックボーンがあることなど知らずにいたと思う。

♪ごめんなさいね あの日のことは 「代謝」の意味さえ知らずにいたの~


「中村屋のボース」を読んでみたい 

2008-02-11 | A 読書日記

 もう一昨年のことかも知れません。『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』という本が話題になりました。神田の老舗書店東京堂ではベストセラーになったと記憶しています。尤もこの書店は一般書店とは少しベストセラーの傾向が違うのですが。

中村屋というのは、そう新宿の中村屋のことです。穂高出身の相馬夫妻が創業したこの店は臼井吉見の『安曇野』に登場しますね。

『中村屋のボース』を読んでみたいと思っていましたが、先月13日(日)の週刊ブックレビューにこの本の著者がゲスト出演しました。テレビ番組で取り上げられた『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』について司会者の質問に中島さんは理路整然と回答していました。私はただ感心するばかりでした。

こんなに若い人が書いたのか・・・。その番組で初めて『中村屋のボース』の著者を知りました。この本は残念ながら未だ読む機会がありません。



今日の朝刊(信濃毎日新聞)の文化欄に中島さんへのインタビュー記事が掲載されていました。現在の憲法をめぐる状況についてのインタビューです。中島岳志さんは1975年大阪生まれ、現在北大大学院准教授。専門は南アジア地域研究とプロフィールが紹介されています。全く馴染みのない分野の専門家ですが、『中村屋のボース』はやはり読んでみたいと思います。

(注)中村屋のHPでボースのことが詳しく紹介されています。
 http://www.nakamuraya.co.jp/curry_room/room_01.html

伊勢神宮

2008-02-10 | A あれこれ


 トランプを繰り返し切ってから1枚引いた。伊勢神宮だった。

お伊勢参りといえば「赤福」。創業300年の老舗の賞味期限、じゃなかった消費期限か、改ざんが発覚。営業を中止していたが先日再開したとのこと。そのことを報じる新聞記事を読んだが再開日には午後1時頃までに全て売り切れたそうだ。他にお土産無いからな~。

さて本題、伊勢神宮といえば式年遷宮。20年毎に建てかえることを、ず~っと昔から繰り返している。

障子や襖の貼り替え、畳替えや屋根の葺き替えなど、この国の建築は更新することで機能や美しさを保ってきた。そう、新陳代謝を前提とした建築。普通、壁や柱などは新陳代謝できないので古くなるが、それを「わび」だとか「さび」だとか言って美しいと見なす独自の美学で是としてきた。

伊勢神宮は新陳代謝建築、建築全体で完璧に実践している。で、何故20年毎なのか、その位で使われている材料が古くなるからだという説があると聞く。また技術・文化伝承のためにはこの位の間隔で行なう必要があるとも聞くが、これは人の寿命を考慮してのことだろう。今より寿命が短かったのだから、この位の間隔が次世代に引き継ぎ可能なギリギリのところだったのだろう。今なら職人はこの仕事に3回位関わることができる。

カードのイラスト観察。

妻面の破風板を交叉させているが、ここ長野県内では諏訪地方の民家にも見ることができる(以前取り上げた)。棟には鰹木が載っている。民家では屋根棟の千木や針目覆いなどの数は奇数だ。イラストでは鰹木は10、偶数だ。偶数にすることに意味があるのだろう。柱は確か直接地面に立てる掘立柱。この建築形式は弥生時代の高床式倉庫にまで遡ることができるらしい。

前回の式年遷宮の総費用は約327億円!(テレビのクイズ番組で伊勢神宮を取り上げていたとき情報をメモしておいた、伊勢神宮のカードを引いたとき役に立つだろうと思って)だったそうだ。毎回この巨費の大半を寄付金で賄っているというからすごい。

伝統的な技術、文化を継承していくのには費用がかかる。それにしても327億円とは・・・。伊勢神宮は特別なところだからな~。でも遷宮ってず~っと続けることが出来るんだろうか、材料の調達などは大丈夫?

「ときどき意味もなくずんずん歩く」

2008-02-09 | A 読書日記


『ときどき意味もなくずんずん歩く』宮田珠己/幻冬舎文庫

**二一世紀だ!二一世紀がやってきた。よくわからないが、うれしいことにする。**

**飛行機なんかやめて、全部ジェットコースターで世界を繋いだらどんなに安心かと思った私である。**

**途中ラブホテルの脇に出て、あの窓の内側では今頃素晴らしい何かが行なわれているのではないか、それなのになぜ私はその横を大仏めがけて歩いているのか、(後略)**

面白い文章を書く人がいるものだ。こんなエッセイ集が幻冬舎文庫にあることは知らなかった。旅行のこと、趣味のこと、日常生活のことなどについて書いているが、どれも笑ってしまう。

この本は友人からのプレゼント。今までに『クラウド・コレクター』や『羊男のクリスマス』『ザ・ホテル』など何冊か紹介してもらった。自分では手にしそうにない本ばかりだが、どれも面白かった。相当の本読みでないと本を薦めるのは難しい。

読む本にはその人の内面が表れる。だから本を人に薦めることは自分の内面を明かすことにもなる。他人に書棚を見せることは裸を見せることより恥かしい、という人もいるくらいだ。

今、この友人に薦めるとしたら一体どんな本を挙げればいいだろう・・・。

開智学校

2008-02-09 | A あれこれ



 今回引いたカードは松本の開智学校だった。この学校については設計・施工したオジさんが立石清重(せいじゅう)という松本の大工棟梁ということくらいしか知らない。先日の新聞にこのオジさんが手掛けた松本市内の「建築(確か1階が茶室付きの和室で2階が洋室だったと思うが記憶が曖昧)」を市が買い上げて中町に移築再生するという記事が載っていた。

今回は手元にある資料をカンニングしながら書く。

建築探偵藤森照信さんの『日本の近代建築』岩波新書によると明治4年に筑摩県に赴任した永山盛輝というオジさんはとにかく教育熱心で教育環境の充実に尽くし、警察力を使って未就学児を学校に通わせることまでして、日本一の就学率を達成したという。

永山さんはどこにも負けない小学校の建設を決めて棟梁として立石さんを指名したという。指名を受けた立石さんは明治8年、はるばる東京まで徒歩で出かけて西洋館探訪を行なったそうだ。それも少なくとも2回。

当時約1万1千円にも達した建設費、その約7割を松本町民の寄付で賄ったと案内看板にある。松本の人達のこの学校に託した想いが伝わるエピソードだ。

開智学校というとこの写真、唐破風の下でふたりのエンジェルが開智学校という看板を持っている。



このエンジェルにはちっちゃな凸が付いている。『建築探偵雨天決行』藤森照信+増田彰久/朝日新聞社によると竣工当時はツルリンチョだったということだが、戦後の修理の時、文化庁のお役人さんがそれではマズイと凸をくっつけさせたそうだ(このことは以前書いたと思う)。 何故凹がまずくて凸ならOKなんだろう・・・。



新築当時の模型が教室に展示されている。このように正面右後方に長い校舎があったのだ。正直に書く、このことを私は知らなかった。最初から現在のようなコンパクトな校舎だったと思っていた。



市内を流れる女鳥羽川沿いにあったこの学校はたびたび水害を受けたようで、明治29年の7月の大雨による被害の様子を写した写真が展示されている。



廊下の天井照明。ヨーロッパなら当然鋳鉄で作られたであろう飾り、これはよく見ると木製、職人の心意気を感じる。

この開智学校のように明治初期に日本の職人達によって見よう見真似でつくられた洋風の建築を擬洋風建築というが、擬とは似せる、まねるという意味で、あまりイメージが良くない。

在来の技術を駆使して造られたこのような建築には和と洋とを共存させる、という明確な「意図」を感じる。ただ単に洋を似せて造ったのではない、と思う。黒川紀章さん流に言えば開智学校は立石さんが和と洋の共生を試みた結果生まれた建築なのだ。

『職人たちの西洋建築』ちくま学芸文庫で著者の初田亨さんはこのことについて触れ、**擬洋風建築という用語をもちいずに、和洋折衷の建築ということにする。**と書いている。

重要文化財旧開智学校校舎 昭和36年3月23日指定
規模・構造 木造二階建 寄棟造 桟瓦葺 中央部八角塔屋付 建築面積517㎡(建設当初の教室棟を含めると2653㎡ 児童収容数1300人)


景観シミュレーションについて考えるの巻

2008-02-07 | A あれこれ

 中国製餃子による中毒事件は一体どのように収束する(させる)んでしょうか。成り行き、注目です。

日本の食は実に多様ですが食材の大半を輸入に頼っている現状を考えると、そのことを素直に喜ぶ気持ちにはなれません。中国製餃子で中毒事件が起こったからといって中国からの「食」の輸入を禁止することができないこの国の「食」の供給事情を憂えるべきでしょう。

おっと今回はこんなことを書くつもりではありませんでした。一体景観シミュレーションとどういう関係があるというのでしょう。軌道修正しないと・・・。 

日本の食も多様ですが、建材も多様です(と強引に修正)。屋根材も例外ではなく、様々な材料が使われています。

混沌とした景観、その理由として多様な建材の存在を挙げることが出来るでしょう。もちろん建材を選択する者にも無秩序な景観形成の責任があることは言うまでもありませんが。

屋根材料が限られている場合には必然的に景観に秩序が生まれます。白川郷の合掌造りの集落が、どの家も皆同じ屋根材料、同じ屋根形状なのは住民が共同して屋根を葺くための暗黙のルールがあってのことかも知れません。家ごとに使う屋根材料や葺き方が違っていては住民が助け合って屋根を維持管理することが出来ませんから。あるいはそれは地元産の材料を使うことによるのかも知れません。

木曽街道ではかつては柿(こけら)板葺き石置き屋根の民家が連なっていました。古い写真などを見るとそのことが分かります。

随分前置きが長くなりました、本題に入ります。

先日(3日)降った大雪で様々な色の屋根が白一色に統一されました。混沌とした町の景観が雪によって秩序づけられた、と考えることが出来ます。雪によって屋根の色が統一されたときの景観シミュレーションが行なわれたと考えることも出来るでしょう。

景観シミュレーション、CGによって長大な建造物、例えば高層ビルや橋を建設した時景観にどのような影響が及ぶかといったチェックはよく行なわれるようですが、それには費用も時間も掛かります。

雪による景観シミュレーション、費用は掛かりません。白い景色を見ながら例えば屋根を何色で統一するのが好ましいか、検討会でも開催したらいいと思うのです。

雪化粧、それはもっと景観について考えたらどうか、という自然からのメッセージなのかもしれません。


建築トランプ、今回はT-HOUSE

2008-02-06 | A あれこれ



「建築トランプ」今回引いたのはT-HOUSE。設計者は誰?

住宅作品まできちんとチェックしているわけではないので、難しい。カードに描かれているのは内観パースとたぶん平面図だろう。

細胞が分裂を始めたばかりの状態、あるいは脳みそを硬い表現のイラストで描いたような平面は誰の設計だろう・・・。この内観を既に見たような気がして建築関係の雑誌を調べてみた。藤本壮介さんだった。「TOTO通信」の2006年春号に紹介されていた。


「TOTO通信」の2006年春号より

「新建築」の昨年11月号に藤本さん設計の「House O」が掲載されているが、そこに寄稿した藤本さんは**建築というものは「離れていて同時に繋がっている」と言えるような、さまざまな距離感の場であると思う。**と自身の建築観を書いている。

藤本さんはこの解説文を**原始的な場所を未来の住宅の原型にしたい。**と結んでいるが「原始的な場所」というのは分かりにくい。

先に挙げたTOTO通信で藤森さんはこの住宅を「21世紀の縄文住居」と評したが、藤本さんはこの藤森評をあるいは意識したのかもしれない。

縄文住居は円形のワンルームハウスだが、この「T house」はワンルームハウスを極薄い壁でまさに離れていて同時に繋がっている状態にアレンジしたモノ、そして原始的な場所を未来の住宅の原型にしたいという藤本さんの考えを具現化したモノだと言えそうだ。

住宅に限らない、建築は機能と部屋とをきちんと一対一に対応させるべきという考え方がいままで主流であったのでこのようなルーズな平面計画の提案はあまり無かった。

藤本さんはこの住宅で一気に有名になった。この先規模の大きな建築を設計する機会が当然あると思う。一体どんな建築を創るんだろう・・・。

*建築トランプは「南洋堂」と「トランプ」で検索するとヒットして全てのカードを見ることが出来ます。


東京ブルーシートハウス

2008-02-06 | A 読書日記


 東京ブルーシートハウスの住人の創意工夫に満ちた「リアルな生活」。

大学で建築学を専攻し、建築家石山修武さんの世田谷村で研修?修行?した著者の確かな目がブルーシートハウスの建築的構造やそこで生活する住人の暮らしぶりを詳細に捉えている。

社会規範にとらわれない?生活をする人が本能的に欲する住まいの姿とは・・・。次第に建築することの本質が見えてくる。

ブルーシートハウスの住人のレポートをまとめた本は何冊か読んだが、イラストはこの本がピカ一、アイソメトリック図法で詳細に描かれている。

お薦め本。

「文学と私 戦後と私」 江藤淳

2008-02-05 | A 読書日記

 

 復刊されたエッセイ集『文学と私 戦後と私』江藤淳/新潮文庫をようやく読了。硬軟何篇ものエッセイが収録されている。

『成熟と喪失』講談社文庫が書棚にある。1981年に読んだ。その後江藤さんの著作を読んだ記憶がないから随分ブランクがあった。

このエッセイ集に書かれていることだが、江藤さんは幼少のころ母親を病気で亡くしている。自身病弱で不登校の時期もあったようだ。

印象に残ったのは「迎え火」という一篇のこんなくだり。**地下鉄工事の板張りで目茶々々になってしまった昭和通りに出てふらふらと歩くうちに、気がついてみると私は涙をこぼしていた。何もかも荒れて行く。日本も、東京も、自分も。**

江藤さんは寂寥感、孤独感を常に感じて過ごしたのかもしれない・・・、30歳の頃に書かれたこの文章を読んでそう思った。

他にも山川方夫という友人について**彼は、表面的にはきわめて社交的な男だったが、その実いつもいまにも爆発しそうなさまざまな苦しみをかかえて、懸命に生きていた。その孤独な、孤立無援な耐えかたが私は好きだった。(中略)何か暗い重いものを黙って耐えているという意識を共有してはいたからである。** と書いている。

現在江藤さんの作品がどのくらい文庫に収められているのかは知らないが、今年は少しまとめて読んでみようかなとも思う。


「内と外」について考えるの巻

2008-02-04 | A あれこれ

「福は内、鬼は外」 昨日は節分だったということで今回は「内と外」について。

「内と外」というのは空間的なあるいは社会的な概念だが、それは階層構造を成している。

分かりにくい、具体的に書く。住居の内と外。住居の集合である例えば村の場合の村内と村外。その上位に位置する例えば県では県内と県外。更に国だと国内と国外。そして地球の場合、地球内という概念は馴染みがないが地球外生物は存在するか、と考えるように地球外という概念は馴染みがあるかもしれない。

空間的・社会的な「内と外」という概念が階層構造を成していることを具体例を示して説明すればこのようになるだろう。

さてここから本題。

福は内、鬼は外、この「内と外」はどれに相当するだろう。豆まきが家庭ごとに行なわれていることから、内とは家の内、外とは家の外を指していることは明らかだ。

豆まきは鬼を家の外に追い出したら後は知~らない!というわけだ。これが仮に村の行事として行なれているとすれば、鬼を村外へ追い出したら隣りの村で悪さをしようが知~らない!ということになるだろう・・・。

そして更にこのロジックを国に当て嵌めると、鬼を国外に追放したら後は知~らない!。 台風がこの国を避けて隣の国に行ったら安堵するというのもこれと同様の国民感情だ。

自分の家の前の道路が汚れていてもお構いなし。この国の人たちに公共意識が乏しいというのは「福は内、鬼は外」に表れているように「内と外」という空間的・社会的概念を最も下位の小さいレベルで捉えているからではないのか。

「福は内、鬼は外」 幼少の頃から毎年繰り返していると、「家(うち)から追い出された鬼が隣りのミヨちゃんちで悪さをするかもしれない、そうしたらミヨちゃんがかわいそう・・・。」こういう発想が育たない。

だから「街をきれいにしよう!」などという掛け声は空しく響くだけなのだ。「地球環境に優しい暮らしを!」などというメッセージは地球を「内」と捉えることができなければ無理だ。豆まきを毎年やっているこの国ではそれは「超」難しい・・・、と思うのだが。

「福は地球!鬼は宇宙!」それも困るな。内という概念をいくら広げても困るのだ。鬼は追い出すのではなく自ら退治せよということでないと。
今回はなんとも眉唾な話をでっち上げてしまった・・・。