「Mさん、黒川紀章って建築家知ってる?」
「ええ、国立新美術館を設計しましたね、奥さんは女優の若尾文子さん」
「そう。よく知ってるね。安藤忠雄は知ってるけど黒川紀章を知らない若い人って多いからね」
「知ってますよ、共生の思想」
「その共生(きょうせい)って仏教思想の共生(ともいき)から来ているらしね。いつか黒川さんの講演で聴いたような気がする。日本の家屋の縁側を内でも外でもない中間体だと捉えたあたりが原点だと思うけど」
「そうですか・・・」
「次第に内と外との共生、人工と自然との共生というような概念として明確になっていった・・・。確かに日本人って自然と共生するというか、ともに在るっていうか、よくそう言うよね」
「そうですね」
「仏教がベースになっているのかどうか分からないけど。とにかく自然をそのまま受け入れようとした・・・。だからそこから先には進まなかった。それに対してヨーロッパの人たちって自然の背後には秩序があるって考えたらしい」
「どうしてでしょう」
「神様は自然を無秩序には創っていないはずだと。**神は秩序そのものだ**ってこの間読んだ『偶然を生きる思想』には出てきた。で、自然を分析的に捉えようとした。これって近代科学のアプローチ」
「そうですか」
「ケプラーが惑星の運動法則を発見できたのも、神様が創りたもうた天体だから、シンプルなルールで出来ているはずだという先入観で天体観測したからだって。これはむかし中央公論社から出た『世界の名著 ガリレオ』あたりに出ていたかもしれない、と思ってざっと見直したけど、見つからなかった。でもズーっと前からある記憶」
「へ~」
「そのような自然観の違いがヨーロッパの秩序・必然と日本の無秩序・偶然に繋がっているのではないかな。自然は数で書かれている、これがヨーロッパの認識。自然は自然、あるがままにある自然ってなんだか変な表現だけど、そういう日本人の認識。ヨーロッパと日本で全く異なる自然観・・・」
「そこまで説明してもらえるとその先、分かります。ヨーロッパの繰り返しと日本の繰り返さないという違いはつまりこの自然観の違いによるってことなんですね。ヨーロッパの幾何学的な造形って、神の規範へのアプローチ・・・」
「神の規範・・・ね、ボクはよく分からないけど。でも、自然観の違いが必然性の美学と偶然性の美学を生んだ。当然建築の世界でもね」
「偶然の美学って例えば陶芸もそうですね。私、お茶を習っているんです」
「そうだったね」
「ところでこの間の写真、イタリアのピサの教会堂と日本の何でしたっけ・・・、呑湖閣?」
「Mさん、呑湖閣知ってるの? でもあれは小堀遠州の聴秋閣、呑湖閣もそうだったかな」
「U1さん、ブログにもっともらしい説をでっち上げる、とかって書いていたような気がしますけど、この説ってまとも、なんて言ったら失礼ですが、説得力あるように思います」
「ハハ、そう? 眉唾な説だよ。ところで、日本がヨーロッパの建築と出合ったことは歴史的な必然だったとは思うけど、それが日本にとって幸福なことだったのかどうか、どう思う?」
20090320 再掲