透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

1204 塩尻市上西条の火の見櫓

2019-07-16 | A 火の見櫓っておもしろい


1204(再 始めてではないが番号を付けてなかった)塩尻市上西条 3脚66型 撮影日190715



 昨日(15日)、行きは県道14号を岡谷市から南下、帰りは辰野町から国道153号を北上した。善知鳥(うとう)峠を下ったところで脇道に入り、西条地区の火の見櫓を再訪した。集落内の生活道路沿いに立つ火の見櫓。見張り台の高さ約10.5メートル、総高約13.5(=10.5+3)メートルと推測する。





 

この火の見櫓は3つのユニットに分けて製作されたようで、櫓に接合部が上下2ヶ所ある。左は櫓の下側の接合部、上下の柱材を重ね、ボルトで接合している。右は上側の接合部、添え板を使って接合している。



外付け梯子を架けてある面にだけ、脚部に円弧状の部材を付けてある。正面であることを示すことを意図したサインのようなものか。



外付け梯子の上端部 等辺山形鋼を曲げてボルトで踊り場の床の部材と接合している。


 


― 短い脚

2019-07-16 | A 火の見櫓っておもしろい

岡谷市川岸中の火の見櫓


(再)岡谷市川岸中 4脚44型 撮影日190715

 2012年7月以来7年ぶりの再訪。脚が短いことにすぐ気がつく。背の高い火の見櫓だ。見張り台の高さは約12メートル、3メートル加えて総高は約15メートル。脚間は2.5メートル。12年に見た時はこのようなことには一切触れていなかった(過去ログ)。



見張り台直下にある簡易な踊り場、消火ホースを掛けるフックが並んでいることから、ホースを掛けるための作業床であることが分かる。



つるりんちょな半鐘には半鐘シールが貼ってある。


踊り場に吊り下げてある半鐘は乳や帯付き


ごつくて短い脚



部材の接合部。リベット接合とボルト接合併用、丸鋼のブレースはひっかけ接合(勝手につけた名前)。ボルトとリベットはどのように使い分けていたのだろう・・・。櫓を複数のユニットに分けて鉄工所で組み立てて現地に運搬し、現地で一体化して建て起こしただろうから、鉄工所でリベットもボルトも使っていたことになるが。


 * 一部改稿した(ボルトとリベット併用について記述を修正した)。


― 「倉庫またぎ」

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい

辰野町平出の火の見櫓


(再) 辰野町平出 4脚44(倉庫またぎ)型 撮影日190715

倉庫をまたいで立つ火の見櫓。見張り台の高さは約9メートル、総高は約12.5メートル。脚のスパンは3メートル。火の用心の看板がついている。





この開口と手すりから、梯子は建設当初正面に設置されていたことが分かる。



倉庫の正面側にはブレースが設置できない。替わりに方杖を入れて補強している。


倉庫またぎの様子

付け替えられた梯子、ブレースが邪魔で何とも不自然だ。



 


1202 かわいい!

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい

岡谷市川岸東の火の見櫓



1202 岡谷市川岸東 撮影日190715

 この火の見櫓には「かわいい」という形容が相応しい。かわいいと思わせるのは櫓にちょこんとくっ付いている見張り台(と言っていいのか判断に迷うが)。こんなかわいい火の見櫓、初めて見た。高さはおよそ6メートル、見張り台の高さはおよそ3.3メートル。



下から見上げて見る。ホームベース型の床を方杖が支えている。

こんなのがあるから、火の見櫓巡りはやめられない。火の見櫓の世界に出口なし。



 


1201 岡谷市川岸西の火の見櫓

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1201 岡谷市川岸西 4脚4(1面持出し)4型 撮影日190715

 岡谷市から辰野町に至る長野県道14号沿いの岡谷市川岸の集落にも火の見櫓が何基か立っている。この辺りの集落は天竜川(天龍川は旧表記)沿いの斜面に形成されているから、火の見櫓の見張り台からは地区全体が俯瞰できるだろう。ということは、逆にこの火の見櫓は遠くからでも良く見えるということだ。



勘を頼りに狭い道を登って行き、一度引き返すなどしてこの火の見櫓に行きついた。まず、見張り台の形に目が行った。櫓の周りに持ち出すのではなく、1面だけ持ち出している。鋼板製の床面の先を突いている方杖が目立っている。これがこの火の見櫓の特徴と言ってよいだろう。

見張り台床面の高さは約11メートル、総高約14メートル、脚のスパンは1.8メートル。


踊り場の床も鋼板製



上の写真でもガセットプレートと脚の下端に孔が確認できるが、脚部の正面だけ、ブレースを外して(取り付けないで)開口するという大胆な処理。この梯子にも板を当てて登れないようにしてある。



接合部にリベットは使われておらず、すべてボルト。プレートの右下の孔はブレース用。



 


1200 岡谷市川岸東の火の見櫓

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1200 岡谷市川岸東 4脚44型 撮影日190715



 岡谷市川岸東地区の集落内に立つ火の見櫓。狭い生活道路を進んで行きついた。背が高く、見張台床面の高さ約13メートル、総高16.5メートルほど。脚スパン2.7メートル。

火の用心の看板を取り付けてある。岡谷市内の火の見櫓の梯子には板を取り付けて登ることができないようにしてあることが多いようだ。


よく目立つ大きな蕨手


踊り場にも半鐘を吊り下げてある。



接合部はリベットとボルトを併用している。どのように使い分けているのだろう・・・。ガセットプレートと柱材とはリベット接合、ガセットプレートと横架材(水平部材)及びブレースとはボルト接合、ということだろうか。なぜ?



設置してある銘板により昭和43年(1968年)の建設であることが分かった。脚は正面のみで、他の3面はブレースを付けてあり、櫓部分と同じ扱いをしている。


 


1199 岡谷市山下町の火の見櫓

2019-07-15 | A 火の見櫓っておもしろい


1199 岡谷市山下町 間下区民センター 3脚(3柱)〇3(櫓内)型 撮影日190715

 下諏訪町から岡谷市を経て辰野町に至る長野県道14号沿いの地域は自宅からそれ程遠くはない。だが出かける機会はほとんどなかった。3連休の最終日(15日)に出かけてきた。

カーナビ嬢のガイドに素直に従って、塩尻峠を越えて岡谷市入り。長野県道254号を走行していて、右側の脇道にこの火の見櫓が立っているのが見えた。そのまま通過してから引き返す。間下区センター(上の写真に写っている建物)の駐車場に車を停めて、観察した。







簡素なつくりの火の見櫓だ。屋根直下に床面があるが、低過ぎて立つことはできない(高さは1メートルくらいだろう)。どのように使うのだろう。この床に梯子の方を向いて腰かけて半鐘を叩くのだろうか。向きを変えて腰かけるのも結構大変なような気がする。



脚無し


 


1198 なぜ? こんなところに火の見櫓

2019-07-08 | A 火の見櫓っておもしろい


1198 3脚66型 塩尻市北小野(金井との境、北小野地籍だと思われる) 撮影日190707

 私の火の見櫓巡りは2010年の5月に大町市美麻から始まった。今では大変珍しい木造の火の見櫓を見たからだった。それから早くも9年が過ぎ、主に長野県内を、時には隣県にまで足を延ばして、美しい火の見櫓、珍しい火の見櫓、かわいらしい火の見櫓を見てきた。運転好きでない私を遠く福島県や茨城県まで行かせてしまう程の魅力ってなんだろう。火の見櫓の一体どこが好いのだろう、と自問する・・・。

塩尻市の北小野と金井の境にこの火の見櫓は立っている。使われなくなって久しいようで、櫓には蔓状の植物が絡みついて生長している。周りの雑木が大きくなり、やがて火の見櫓を覆ってしまうだろう。

なぜ集落から離れたこの場所に火の見櫓が立っているのだろう。集落を一望できることが火の見櫓の立地条件ではないのか・・・。
この火の見櫓はふたつの地区(集落)の境に立っているが、このことがヒントになりそうだ。この火の見櫓は火災の発生を隣の集落に伝え、応援を求めるために立てられた、と推測できる。半鐘の叩き方は法的に決まっているが、その中に応援信号、応援を求める叩き方もある。

このような目的で立てられた火の見櫓だから、火災予防週間などの際にこの半鐘を叩くことは無かったはず。それでこのような状態になってしまった、と考えるのが妥当だろう。それにしてもこの様子は何とも寂しい・・・。





1197 塩尻市北小野の火の見櫓

2019-07-07 | A 火の見櫓っておもしろい


1197 4脚44型 塩尻市北小野勝弦 撮影日190707




 小野から岡谷に抜ける県道254号沿いに立っている火の見櫓。梯子桟の間隔と数により、総高を約14mと推測した。これからは柱スパンと総高をできるだけ調べるようにしたい。

ピラミッド型(方形)の屋根で蕨手はないが、この形に蕨手は不似合い。避雷針と四角い見張り台の手すりに同じような形の飾りが付いている。手すりの〇とハート形を逆さにしたような飾りの組み合わせはよく見かける。

見張り台床にはU形の開口があるが、それと同形の手すりを見張り台に付けてある。見張り台の四隅に直線部材の方杖を突いている。全体的にカチっとしたデザインだ。




手すり付きの外付け梯子から踊り場に移動する。踊り場には赤い半鐘を下げてある。



脚部もやはりカチっとしている。美脚なのかどうか、判断しかねる。



たまにはこの様な真下から櫓を見上げたアングルも好い。


 


― 松本市内田の火の見櫓

2019-06-28 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市内田 4脚64型 撮影日190627

 所用で松本市内の某所に向かう途中、この火の見櫓の前を通りかかった。時間が少しあったので車を停めて写真を撮った。



6角錘のとんがり屋根を4本の柱で支えるという変則的な構成。てっぺんの「だんご」は松本市内で時々見かける飾り(飾りと断じてよいのかどうか、雨仕舞上あるいは避雷針を設置する上で必要なのかもしれない)。屋根下の半鐘は既に無い。梯子は見張り台の床面止まりで登り降りする時には怖い、と思う(と繰り返し書く)。



中間の踊り場は簡単な設え。これは2ヶ所あるうちの下の踊り場だが、これより上のブレースはリング式ターンバックル付きの丸鋼、下は山形鋼。



梯子の下端が接地していない。着脱式にしてあるのかと思って、周りを見たが、見当たらなかった。火の見櫓に登ることがなくなっている、ということだろう。

柱のジョイント部分を探したが、見つけることができなかった。

*****

撮影意図によっては下のような写真を撮ることにもなる。




撮影日171207


 


― 江戸の火の見櫓

2019-06-27 | A 火の見櫓っておもしろい


国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)より

自身番小屋(自身番屋とも言われるが、上の図には自身番小屋とある。町の事務所、ごく小さな役所のような建物)の屋根の上につくられた枠火の見(左)右のような火の見櫓が作られていないところに作る。

喜田川貞守が幕末までの約30年かけて成した『守貞謾稿』全35巻を閲覧して第3巻に収録されている江戸の火の見櫓を見つけた。図の中は武家地仕様、右は町人地仕様の図。武家地の火の見櫓は町人地の火の見櫓でむき出しになっている櫓を下見板(押縁下見板張り)で包んでいる。


図中の説明文に「下見板ニテ包ム」という表記がある。このことに関する私の本の原稿は間違えていない。


― 気がつかなかった・・・

2019-06-25 | A 火の見櫓っておもしろい

 


 
 2枚の写真は松本市笹賀に立っている火の見櫓で半鐘を叩いているところを撮ったもの。今では珍しい光景だ。ともにほぼ同じ位置から撮ったことが、火の見櫓に引き込んだ電線の様子から確認できる。

屋根の上の風向計の向きが違う、逆だ。このことに今日気がついた。団員の立ち位置の違いに注目していて、風向計の向きが違うことに全く気がつかなかった・・・。風向計だから風向きをきちんと示すように向きを変えて当然だが、錆び付いたりして、向きが変わらないものばかりだと思っていた。この思い込みから風向計の向きに注目することがなかった。

上の2枚の写真はこの火の見櫓の風向計は動くという動かぬ証拠だ。






以前山梨県北杜市で見た動く風向計


 


― 思い込みで判断しないこと

2019-06-23 | A 火の見櫓っておもしろい


 この火の見櫓(岡谷市川岸上)の脚元の黄色い板について、梯子を登れないようにするためで、子どもだけでなく大人でも登れないと書いた。この板が梯子に固定してあるのならこの判断は間違ってはいない。


昨日(22日)、岡谷市内の別の火の見櫓(岡谷市長地)でもこれと同じ板を設置してあるところを目にした。




板を取り付けて梯子を登れないようにしてある。裏側を見ると・・・。


板が着脱式になっていることに気がついた。きちんと確認しないで思い込みで判断してはいけないな、じっくり観察しなければいけないな、と反省した。


追記 「あ、火の見櫓!」では岡谷市川岸上の写真を岡谷市長地の写真に差し替えた。191231