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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その181 『白川郷』 その1

2017年03月03日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
トッポパパ三度目の白川郷訪問です。
白川郷のせせらぎ公園駐車場から『であい橋』を渡ると白川郷の合掌集落とつながっています。



現代社会からタイプスリップする架け橋のような『であい橋』です。
『であい橋』が架かっているのは庄川です。
庄川はよくみると少し白い色をしており、これが白川郷の由来とも言われています。



せせらぎ公園側の集落です。
ここは帰りに見て回りたいと思います。



川を横断する橋は一般的に中央部分を一番高くして、両端へ下っていく設計となっていますが、『であい橋』はそれが逆になっています。
これは吊床板形式で、両岸からPCケーブルを引っ張り、橋を固定しているので中央付近は吊り下がった状態となります。
『であい橋』は全長107m、床版が宙に浮いている部分の長さ実測100mとされ1993年に完成しました。
幅は4m、橋の中央部は1.5mあります。



『合掌造り』は、屋内を有効利用するため、合掌構造の切妻造り屋根とした茅葺きの家屋のことです。
日本の他の地域にはみられない、白川郷と五箇山地方のみに存在する大変特色のある民家の形式です。



周囲と調和した橋です。
庄川のかつての呼び名は「雄神川」とよばれていましたが、河川そのものが「雄神の庄の川」と呼ばれ、「庄川」という名前になりました。



駐車場から『であい橋』を渡ると荻町合掌集落です。
左に曲がり少し進むと最大規模を誇る合掌造りの『和田家』がほぼ中央に観えます。



白川郷の代表的茅葺き合掌造り住宅で、国指定重要文化財として築後約300年が経過した今も生活が営まれ続けています。



以前訪問した時の、雪が残る『和田家』周辺の写真です。
和田家は江戸期に名主や番所役人を務め、白川郷の重要な現金収入源であった焔硝の取引によって栄えました。



白川郷合掌造りの家々は、江戸時代の中期から昭和時代の初期の間に岐阜県の白川村と富山県の五箇山地区に造られました。
豪雪地帯であり、過疎化が進み、火災、ダム計画など度々危機が訪れたようですが、そんな様々な危機を乗り越えた世界遺産・白川郷をもう一度ゆっくり見て回ります。



続く.......................................................。