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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その182 『松本城』 その6

2017年03月17日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
2階を見て回っています。



曲がった大きな梁があります。
大天守と乾小天守とをつなぎ、自然の木をそのまま使用して梁として使っています。
自然のままの木の使用は、強度の面ですぐれていると言われています。



3連の武者窓/竪格子窓が見え、ここから火縄銃を撃ったのでしょう。



頑丈な太い丸太柱が何本も立っています。
天守内には四角の窓(狭間)が何か所もあり、攻めて来た敵に対して火縄銃を撃つ穴になります。



こちらは内側から見た石落とし用の狭間で、石垣を登ってくる敵を防ぐ工夫です。
石落は狭間と同じように鉄砲を使っての攻撃も可能な武備です。



松本城の往時の様子が描かれています。
城づくりが始まったのは1580年代で、豊臣大名としてこの地に入った石川氏が城郭と城下町一体の都市計画を推進しました。
3重の水堀と塁を巡らして郭の縄張りを行い、本丸と二の丸を内郭とし三の丸を外郭としました。
内郭には天守、御殿、蔵など城主と藩の施設を置き外郭は城主の親衛隊である上級家臣の屋敷地としました。
厳重な城門を構える虎口(桝形と馬出し)だけが城内への通路です。



頑丈で太い梁は表面がきれいで、手作業での加工?がわかります。



鯱真木です。
鯱真木は天守に据えられた鯱を支えるための芯木です。
190cmの真木を棟木に取り付け、先端約80cmが鯱の中に入っていました。
天保14年(1843)取替と墨書きがあり、江戸時代末に取り替えられていたことがわかります。



鬼瓦も展示されています。
鬼瓦とは、屋根の棟の両端に用いる鬼の面にかたどった瓦です。
鬼の面をもたなくても鬼瓦といいます。
日本書紀によると、588年に4人の瓦博士が大陸(中国)より渡来し、飛鳥寺の建立をきっかけに瓦の技術をもたらしたとあります。
瓦の形状は、社寺を中心に発展していきますから、仏教と瓦は密接な関係にあるといえます。



鯱瓦(しゃちがわら)です。
この鯱は大天守につけられていたものです。
鯱は火災の際に水を吐くという想像上の魚で、口が空いているのが雄、閉じているのが雌です。
松本城の鯱は南側が雄、北側が雌で、雌の方が若干小さく作られています。
説明板に、昭和の修理の際に新しい鯱瓦と取り替えられたもので、高さは雄127cm、雌124cmと書かれていました。



続く..........................................................。