旧開智学校は昭和38年から現在地への移転修理工事を行い、昭和40年に教育博物館として公開開始しています。
各窓に舶来の当時としては高価なギヤマン(ガラス)が取り付けられています。
校舎の裏側も、お洒落な建築です。
正面の門は天皇陛下と皇太子閣下が御訪問される時にだけ開門されるそうです。
中央には東西南北の風見を配した八角塔が高くそびえ立っています。
明治9年に新築された校舎の工事費はとても高価で、当時の県知事の月給が20円のときに1万1千円の巨額がかかったそうです。
工事費の7割は松本市民からの寄付で、残り3割は特殊寄附金及び廃寺をとりこわした古材受払金などで調達したそうです。
校舎内を見学することにします。
中にも校名の額を掲げたキューピッドがありました。
廊下もきれいに整備されています。
教室の学童用の机や椅子を見た時、トッポパパの小学校時代も多少の違いはあっても、同じような雰囲気だったように思います。
鬼瓦が展示されています。
1887年(明治20)頃に取りつけられたもののようですが、現在は新築当時の銅板飾りに復元されています。
続く............................................................。
各窓に舶来の当時としては高価なギヤマン(ガラス)が取り付けられています。
校舎の裏側も、お洒落な建築です。
正面の門は天皇陛下と皇太子閣下が御訪問される時にだけ開門されるそうです。
中央には東西南北の風見を配した八角塔が高くそびえ立っています。
明治9年に新築された校舎の工事費はとても高価で、当時の県知事の月給が20円のときに1万1千円の巨額がかかったそうです。
工事費の7割は松本市民からの寄付で、残り3割は特殊寄附金及び廃寺をとりこわした古材受払金などで調達したそうです。
校舎内を見学することにします。
中にも校名の額を掲げたキューピッドがありました。
廊下もきれいに整備されています。
教室の学童用の机や椅子を見た時、トッポパパの小学校時代も多少の違いはあっても、同じような雰囲気だったように思います。
鬼瓦が展示されています。
1887年(明治20)頃に取りつけられたもののようですが、現在は新築当時の銅板飾りに復元されています。
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