田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

救世主〜二級酒②

2020-07-05 17:03:48 | 田園ものがたり
今日は、日本酒の歴史の続きを。
戦後から昭和30〜40代、がむしゃらに働き続けた日本人。
             
東京タワーを造り、オリンピックを開催した後の40年代になると、
高度経済の時代に入ります。
         
すると、微妙に格差が広がります。
サラリーマンたちは、有名ブランド酒を求める。
テレビにCMが出るような、一級酒や特級酒をありがたがります。
その一方では、「 二級酒なんて安酒は、ニコヨンの呑むモノだ。 」 と。
こうした時代背景に、CMの大手メーカーは、酒の製造が忙しくなります。
そうなると前に話たように、酒を醸し出すことより、酒を買い漁ることに
血道を上げ始めるように。
桶買いですね。
更に、それを戦時中の技術で加工して、三倍増醸酒を造り始めた。
こうして、当時のほとんどの日本人は、添加物にまみれた酒を飲まされる
羽目になったのです。

熊本でも、大半の小売り酒店は、この灘・伏見の三増酒を当たり前みたいに
販売していました。
例えば大関・黄桜などのCM酒を並べれば、日本酒棚は事足りたのです。
もちろん、そんな酒屋さんが、日本酒の純米や本醸造・吟醸酒なる
カテゴライズされた世界を、知っているハズはありません。
 「 純米酒ってえ〜 それは何スカー? 」
 「 日本酒って 米から作られているんですか? 」

しかし、やがて買い叩きされっぱなしの地方蔵から、反撃ののろしが上がった。
先ずは、地元の人たちの為に、気安く飲んで貰おうと二級酒を用意した。
もちろん、地元の人たちも呼応して、その地酒を楽しんだのです。
そんな地元の人たちの宴に混じって参加した都会の人が、その地酒に驚くのです。
いつも飲んでいるベタ甘の灘・伏見の酒とは、まるで違う辛口で個性的な
日本酒が在ったからです。
              
その酒に魅せられた都会人達は、東京に帰ってから、土産話を披露します。
「 地方の酒に、“ 鬼ごろし ” とか云うおどろおどろしい名前の酒が
  在ってサア。
  CMを賑やかしている酒とは、まるで違うんだ!
  そしてさ、コレがさぁ~ 安いんだけど辛口で旨いんダヨ。 」
こうして、地酒ブームの芽が萌芽したのです。
            

   人気ブログランキングへ 
 http://blog.with2.net/link.php?1046790  
         ↑ 参加中です。クリックしてもらえたら嬉しいです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする