今日は、日本酒の歴史の続きを。
戦後から昭和30〜40代、がむしゃらに働き続けた日本人。

東京タワーを造り、オリンピックを開催した後の40年代になると、
高度経済の時代に入ります。

すると、微妙に格差が広がります。
サラリーマンたちは、有名ブランド酒を求める。
テレビにCMが出るような、一級酒や特級酒をありがたがります。
その一方では、「 二級酒なんて安酒は、ニコヨンの呑むモノだ。 」 と。
こうした時代背景に、CMの大手メーカーは、酒の製造が忙しくなります。
そうなると前に話たように、酒を醸し出すことより、酒を買い漁ることに
血道を上げ始めるように。
桶買いですね。
更に、それを戦時中の技術で加工して、三倍増醸酒を造り始めた。
こうして、当時のほとんどの日本人は、添加物にまみれた酒を飲まされる
羽目になったのです。
熊本でも、大半の小売り酒店は、この灘・伏見の三増酒を当たり前みたいに
販売していました。
例えば大関・黄桜などのCM酒を並べれば、日本酒棚は事足りたのです。
もちろん、そんな酒屋さんが、日本酒の純米や本醸造・吟醸酒なる
カテゴライズされた世界を、知っているハズはありません。
「 純米酒ってえ〜 それは何スカー? 」
「 日本酒って 米から作られているんですか? 」
しかし、やがて買い叩きされっぱなしの地方蔵から、反撃ののろしが上がった。
先ずは、地元の人たちの為に、気安く飲んで貰おうと二級酒を用意した。
もちろん、地元の人たちも呼応して、その地酒を楽しんだのです。
そんな地元の人たちの宴に混じって参加した都会の人が、その地酒に驚くのです。
いつも飲んでいるベタ甘の灘・伏見の酒とは、まるで違う辛口で個性的な
日本酒が在ったからです。

その酒に魅せられた都会人達は、東京に帰ってから、土産話を披露します。
「 地方の酒に、“ 鬼ごろし ” とか云うおどろおどろしい名前の酒が
在ってサア。
CMを賑やかしている酒とは、まるで違うんだ!
そしてさ、コレがさぁ~ 安いんだけど辛口で旨いんダヨ。 」
こうして、地酒ブームの芽が萌芽したのです。

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戦後から昭和30〜40代、がむしゃらに働き続けた日本人。

東京タワーを造り、オリンピックを開催した後の40年代になると、
高度経済の時代に入ります。

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サラリーマンたちは、有名ブランド酒を求める。
テレビにCMが出るような、一級酒や特級酒をありがたがります。
その一方では、「 二級酒なんて安酒は、ニコヨンの呑むモノだ。 」 と。
こうした時代背景に、CMの大手メーカーは、酒の製造が忙しくなります。
そうなると前に話たように、酒を醸し出すことより、酒を買い漁ることに
血道を上げ始めるように。
桶買いですね。
更に、それを戦時中の技術で加工して、三倍増醸酒を造り始めた。
こうして、当時のほとんどの日本人は、添加物にまみれた酒を飲まされる
羽目になったのです。
熊本でも、大半の小売り酒店は、この灘・伏見の三増酒を当たり前みたいに
販売していました。
例えば大関・黄桜などのCM酒を並べれば、日本酒棚は事足りたのです。
もちろん、そんな酒屋さんが、日本酒の純米や本醸造・吟醸酒なる
カテゴライズされた世界を、知っているハズはありません。
「 純米酒ってえ〜 それは何スカー? 」
「 日本酒って 米から作られているんですか? 」
しかし、やがて買い叩きされっぱなしの地方蔵から、反撃ののろしが上がった。
先ずは、地元の人たちの為に、気安く飲んで貰おうと二級酒を用意した。
もちろん、地元の人たちも呼応して、その地酒を楽しんだのです。
そんな地元の人たちの宴に混じって参加した都会の人が、その地酒に驚くのです。
いつも飲んでいるベタ甘の灘・伏見の酒とは、まるで違う辛口で個性的な
日本酒が在ったからです。

その酒に魅せられた都会人達は、東京に帰ってから、土産話を披露します。
「 地方の酒に、“ 鬼ごろし ” とか云うおどろおどろしい名前の酒が
在ってサア。
CMを賑やかしている酒とは、まるで違うんだ!
そしてさ、コレがさぁ~ 安いんだけど辛口で旨いんダヨ。 」
こうして、地酒ブームの芽が萌芽したのです。



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