「とだ九条の会」は、設立1周年を記念して「講演と映画の夕べ」を下記のように開催することを決定しました。
「とだ九条の会」設立1周年記念「講演と映画の夕べ」
日時●8月4日(金)午後6時30分開場、7時開会
場所●戸田市文化会館304号室
会費●1,000円《資料代》
内容●<講演>「中国における日本軍による遺棄毒ガス等の
兵器被害の実態と戦争責任」
大江 京子弁護士(遺棄毒ガス被害弁護団)
<映画>『にがい涙の大地から』海南友子監督作品
主催●「とだ九条の会」・「憲法改悪反対戸田共同センター」
【お申し込み】埼玉土建蕨・戸田支部(舟山)444-7171
■ドキュメンタリー映画『にがい涙の大地から』をチラシなど関係資料から抜粋してご紹介します。
《解説》
2003年夏 私は中国のハルピンでリウミンという女の子に会いました。彼女は父親を1995年に日本軍の遺棄した砲弾でなくしていて、それ以来、父の治療にかかった莫大な借金を返すために8年間、ほとんど休みなく働いていました。彼女の表情は何とも言えず暗く、口元が笑っていても眼の奥は全く笑わない女性でした。
戦争は一度始まると長いこと人々を傷つけることは、これまでに出会った様々な被害者との出会いの中から知って居るつもりでした。けれど60年近く前の戦争が原因で、今、27歳の女の子が苦しめられているという現実は、私に戦争に対するあらたな怒りと持って行き場のない憤りにおそわれました。
その後、10ヵ月かけて彼女と同じような被害者およそ60人に取材を続けました。日本軍が遺棄した砲弾や化学兵器でおびただしい数の中国の人々が傷つけられていました。ある者は失明し、ある者は生殖機能を奪われ、ある者は下半身が吹き飛んで殺されていました。その誰もが平和な時代に突然、未来を奪われていました。
戦争が終わって60年。中国の大地には今も日本が棄てた兵器が眠り続けています。かつての戦争の置き土産で、平和な時代に傷つけられ、命を落とす人々。彼らの声に耳を傾けてください。
笑顔を奪われた娘 リュウ・ミン 未来のない人生「父親は本当に優しい人でした。休日に庭で一緒にご飯を食べるのが家族の楽しみでした。父が生きていた頃、私たちがどれほど幸せだったか。もう、あの日々は二度と戻らないんです。」それまで気丈に振まっていたリュウ・ミン(27歳)の涙は止まらなくなった。彼女の瞳は重く沈んでいて、表情はなんともいえず暗い。口元が笑っていても、瞳の奥は笑っていない。父親は1995年に、旧日本軍の遺棄した砲弾の事故にあった。手足が吹き飛び18日間苦しんで死んだ。彼女が19歳の時だった。父の死後、治療費は莫大な借金になり、家も全て売った彼女たちは、一生働いても消せない借金を背負ってしまった。「楽しいことなんて何もありません。働くのが精一杯で考える暇もないんです。」一家を支えるため休みなく働いてきた8年が彼女から笑顔を奪ってしまったのだ。
よみがえる悪魔毒ガスに塗り替えられた人生李臣(59歳)は29歳の時、河の浚渫作業中に旧日本軍の毒ガスの事故にあった。毒ガスの入れ物に触った両手は水泡が沢山できて、ぶどうの房のように膨れ上がった。涙が止まらなくなり、手の指と指の間はくっついて水かきのようになった。体中から膿がでて、口や性器は腐ってひどい匂いがした。当時20歳だった妻は、「変わり果てた夫の姿を見て、自分の人生の幸せはなんと短いのかと毎日泣きました。後遺症は治る当てがない。働けなくなった夫と、生まれたばかりの子供を抱えて途方に暮れました。」毒ガスの後遺症で極貧生活に転落した李臣一家は追いつめられて2回、自殺未遂をはかっている
繰り返される悲劇2003年8月には、中国東北部のチチハル市で、新たな遺棄毒ガス兵器の事故が起きた。1名が死亡、子供を含む43名が深刻な後遺症を負った。戦争が終わって60年。中国の大地には今も、日本が棄ててきた兵器が人知れず眠っている。かつての戦争の置き土産で、平和な時代に傷つけられ、命を落とす人々。彼らの声に耳を傾けてください。
<中国メディア取材殺到の話題作>
遺棄兵器に関心の高い中国では、撮影中から監督に同行取材する新聞やテレビが殺到。完成後は、中国最大手のテレビ・中央電視台に監督本人が招聘されて、ゴールデンタイムの全国放送でこの映画に関する特集番組も放送された。
<プロフィール>
監督・撮影・編集
海南 友子(かな・ともこ)
大学卒業後、NHKの報道ディレクターとして7年勤務。2000年に独立。
2001年インドネシアの元「慰安婦」を取材したドキュメンタリー映画『マルディエム彼女の人生に起きたこと』を監督。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2001で上映されたのを皮切りに全国各地で上映会が相次ぎ、2003年には劇場公開でも公開された。
2004年には新作『にがい涙の大地から』では、過去の戦争で遺棄された化学兵器に苦しめられる人々の姿を追った。
10代の頃から旅行が大好きで、学生時代にはのべ1年近く各地を旅してまわった。
香港で水上ホームステイしたり、インドで井戸を掘ったり、国連の会議に参加したり、バリ舞踊を踊ったり。
中でも大好きなアジアを旅する旅に、どこかで「日本人と戦争」に出会い、よりよい未来のためにも過去を見据えることがたいせつだという問題意識から戦後補償の問題に取り組んでいる。
また、2001年の9・11以降は、全ての戦争に反対するという気持ちから様々なピースアクションにも参加している。
《著書》
『地球が危ない』(幻冬舎・共著)
『未来創造としての戦後補償』(現代人文社・共著)
<遺棄毒ガス・砲弾問題とは?>
日本はかつてアジア各地を侵略し、1932年に中国東北部に「満州」という傀儡国家を建国した。軍人や民間人が多数移住して1945年まで占領、その間に1000万人の中国人が殺された。当時、国際条約で禁止されていた大量破壊兵器の毒ガス(化学)や細菌兵器などによって殺された人々も含まれている。
敗戦時、日本軍は所有していた毒ガスを隠すために組織的に投棄して逃げた。いまも、中国には毒ガス弾だけで70万~200万発眠っているといわれている。
戦後に、それらの兵器で死傷した中国人およそ2000人。2000年代に入ってからも毒ガスや砲弾が工事現場などから見つかって死傷者が出ている。
■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~toda9jo/
「とだ九条の会」設立1周年記念「講演と映画の夕べ」
日時●8月4日(金)午後6時30分開場、7時開会
場所●戸田市文化会館304号室
会費●1,000円《資料代》
内容●<講演>「中国における日本軍による遺棄毒ガス等の
兵器被害の実態と戦争責任」
大江 京子弁護士(遺棄毒ガス被害弁護団)
<映画>『にがい涙の大地から』海南友子監督作品
主催●「とだ九条の会」・「憲法改悪反対戸田共同センター」
【お申し込み】埼玉土建蕨・戸田支部(舟山)444-7171
■ドキュメンタリー映画『にがい涙の大地から』をチラシなど関係資料から抜粋してご紹介します。
《解説》
2003年夏 私は中国のハルピンでリウミンという女の子に会いました。彼女は父親を1995年に日本軍の遺棄した砲弾でなくしていて、それ以来、父の治療にかかった莫大な借金を返すために8年間、ほとんど休みなく働いていました。彼女の表情は何とも言えず暗く、口元が笑っていても眼の奥は全く笑わない女性でした。
戦争は一度始まると長いこと人々を傷つけることは、これまでに出会った様々な被害者との出会いの中から知って居るつもりでした。けれど60年近く前の戦争が原因で、今、27歳の女の子が苦しめられているという現実は、私に戦争に対するあらたな怒りと持って行き場のない憤りにおそわれました。
その後、10ヵ月かけて彼女と同じような被害者およそ60人に取材を続けました。日本軍が遺棄した砲弾や化学兵器でおびただしい数の中国の人々が傷つけられていました。ある者は失明し、ある者は生殖機能を奪われ、ある者は下半身が吹き飛んで殺されていました。その誰もが平和な時代に突然、未来を奪われていました。
戦争が終わって60年。中国の大地には今も日本が棄てた兵器が眠り続けています。かつての戦争の置き土産で、平和な時代に傷つけられ、命を落とす人々。彼らの声に耳を傾けてください。
笑顔を奪われた娘 リュウ・ミン 未来のない人生「父親は本当に優しい人でした。休日に庭で一緒にご飯を食べるのが家族の楽しみでした。父が生きていた頃、私たちがどれほど幸せだったか。もう、あの日々は二度と戻らないんです。」それまで気丈に振まっていたリュウ・ミン(27歳)の涙は止まらなくなった。彼女の瞳は重く沈んでいて、表情はなんともいえず暗い。口元が笑っていても、瞳の奥は笑っていない。父親は1995年に、旧日本軍の遺棄した砲弾の事故にあった。手足が吹き飛び18日間苦しんで死んだ。彼女が19歳の時だった。父の死後、治療費は莫大な借金になり、家も全て売った彼女たちは、一生働いても消せない借金を背負ってしまった。「楽しいことなんて何もありません。働くのが精一杯で考える暇もないんです。」一家を支えるため休みなく働いてきた8年が彼女から笑顔を奪ってしまったのだ。
よみがえる悪魔毒ガスに塗り替えられた人生李臣(59歳)は29歳の時、河の浚渫作業中に旧日本軍の毒ガスの事故にあった。毒ガスの入れ物に触った両手は水泡が沢山できて、ぶどうの房のように膨れ上がった。涙が止まらなくなり、手の指と指の間はくっついて水かきのようになった。体中から膿がでて、口や性器は腐ってひどい匂いがした。当時20歳だった妻は、「変わり果てた夫の姿を見て、自分の人生の幸せはなんと短いのかと毎日泣きました。後遺症は治る当てがない。働けなくなった夫と、生まれたばかりの子供を抱えて途方に暮れました。」毒ガスの後遺症で極貧生活に転落した李臣一家は追いつめられて2回、自殺未遂をはかっている
繰り返される悲劇2003年8月には、中国東北部のチチハル市で、新たな遺棄毒ガス兵器の事故が起きた。1名が死亡、子供を含む43名が深刻な後遺症を負った。戦争が終わって60年。中国の大地には今も、日本が棄ててきた兵器が人知れず眠っている。かつての戦争の置き土産で、平和な時代に傷つけられ、命を落とす人々。彼らの声に耳を傾けてください。
<中国メディア取材殺到の話題作>
遺棄兵器に関心の高い中国では、撮影中から監督に同行取材する新聞やテレビが殺到。完成後は、中国最大手のテレビ・中央電視台に監督本人が招聘されて、ゴールデンタイムの全国放送でこの映画に関する特集番組も放送された。
<プロフィール>
監督・撮影・編集
海南 友子(かな・ともこ)
大学卒業後、NHKの報道ディレクターとして7年勤務。2000年に独立。
2001年インドネシアの元「慰安婦」を取材したドキュメンタリー映画『マルディエム彼女の人生に起きたこと』を監督。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2001で上映されたのを皮切りに全国各地で上映会が相次ぎ、2003年には劇場公開でも公開された。
2004年には新作『にがい涙の大地から』では、過去の戦争で遺棄された化学兵器に苦しめられる人々の姿を追った。
10代の頃から旅行が大好きで、学生時代にはのべ1年近く各地を旅してまわった。
香港で水上ホームステイしたり、インドで井戸を掘ったり、国連の会議に参加したり、バリ舞踊を踊ったり。
中でも大好きなアジアを旅する旅に、どこかで「日本人と戦争」に出会い、よりよい未来のためにも過去を見据えることがたいせつだという問題意識から戦後補償の問題に取り組んでいる。
また、2001年の9・11以降は、全ての戦争に反対するという気持ちから様々なピースアクションにも参加している。
《著書》
『地球が危ない』(幻冬舎・共著)
『未来創造としての戦後補償』(現代人文社・共著)
<遺棄毒ガス・砲弾問題とは?>
日本はかつてアジア各地を侵略し、1932年に中国東北部に「満州」という傀儡国家を建国した。軍人や民間人が多数移住して1945年まで占領、その間に1000万人の中国人が殺された。当時、国際条約で禁止されていた大量破壊兵器の毒ガス(化学)や細菌兵器などによって殺された人々も含まれている。
敗戦時、日本軍は所有していた毒ガスを隠すために組織的に投棄して逃げた。いまも、中国には毒ガス弾だけで70万~200万発眠っているといわれている。
戦後に、それらの兵器で死傷した中国人およそ2000人。2000年代に入ってからも毒ガスや砲弾が工事現場などから見つかって死傷者が出ている。
■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~toda9jo/
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