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「核持ち込み」密約認めた元外務次官証言

2009年06月19日 | 国際・政治

4人の元外務次官が、「核持ち込み」に関する日米の密約があったと共同通信に証言していたことが、2009年6月1日付け「東京新聞」などが報道しました。

すでに密約の存在とその内容は、国際問題研究者の新原昭治氏により米政府の解禁文書などで判明していますが、元外務省トップが匿名とはいえ「密約」を認めたということは重大です。

これは、1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する「密約」が存在したということ。外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが5月31日に分かったというもので、4人の次官経験者が共同通信に明らかにしたものです。
これまで日本政府は一貫して「『密約』はない」と主張しており、「密約」が組織的に管理され、一部の首相、外相も認識していたと当事者の次官経験者が初めて認めたことは、政府の長年の説明を覆す事実であり重大問題です。

これら次官経験者によると、核の「持ち込み」について、米側は安保改定時、陸上配備のみに該当し、核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は、日米間の「事前協議」が必要な「持ち込み」に相当しないとの解釈を採用。当時の岸信介政権中枢もこれを黙認したというもの。しかし改定後に登場した池田勇人内閣は核搭載艦船の寄港も「持ち込み」に当たり、条約で定めた「事前協議」の対象になると国会で答弁していました。
「密約」がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は1963年4月、大平正芳外相(当時、後に首相)と会談し「核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは『持ち込み』でない」との解釈の確認を要求し、大平氏は初めて「密約」の存在を知り、了承したといいます。こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきたということです。
この内部文書を見たという次官経験者は「次官引き継ぎ時に『核に関しては日米間で(非公開の)了解がある』と前任者から聞いて、次の次官に引き継いでいた。これは大秘密だった」と述べています。また、別の次官経験者は、橋本、小渕両氏ら外務省が信用した政治家だけに「密約」内容を知らせていたと語り、さらに別の次官経験者は「(密約内容を話していい首相、外相かどうか)役人が選別していた」と述べ、国家機密の取り扱いを大臣でなく官僚が決めていたという実態も明かにしています。
また、「密約」はないと国会で答弁し続けてきたことに「何かはずかしいなという思いがあった」などとも述べています。

「『核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず』の非核三原則を蹂躙(じゅうりん)する「密約」の闇を日本政府は白日のもとにさらすべき」、それが「従属関係にある日米関係を根本から変えていく切実な課題として問われている」とは、新原氏の指摘です。

【参考】2009年6月1日付け「東京新聞」、6月14日付け「しんぶん赤旗日曜版」

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