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石柱の森のメスキータ,宗教に共存はあるか?(スペインの旅-4)

2011-12-11 14:21:35 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

回教王国の首都コルドバ

イベリア半島に侵攻したイスラム教徒が築いた回教王国の首都コルドバ(Cordoba)。この町では今,歴史に翻弄された巨大なメスキータ(Mesquita,イスラム教のモスクを意味するが,単にメスキータといえばこの元モスクである大聖堂をさす)に当時の栄華を偲ぶことができる。世界中から多くの旅人を迎えてやまないメスキータとは何なのか,疑問を抱いたままコルドバに立ち寄った。

コルドバは,アンダルシア州を流れるグアダルキビル川(o Guadalquivir,アラビア語で大きな川)の中ほどの川岸にある。当時は内陸のカステージャとジブラルタルを繋ぐ中間点にあり,交通の要所でもあった。

グアダルキビル川の対岸からメスキータを眺める。対岸からみるメスキータは,回教寺院の華やかさはなく(現在は大聖堂であるが,その面影もなく),崩れかけた古い城壁か大きな塊のような建造物に見える。メスキータに向かって,大きな石橋(ローマ橋Puente Romano)がかかっている。この石橋は,ローマ時代に建設され,その後部分改修はなされているが二千年を経た石橋である。その歴史を味わいながら,石橋をゆっくり踏みしめてみる。

戯曲「カルメン」では,作者の「私」がこの川辺を夕方散歩していたところ,水浴びから上がってきたカルメンと知り合うという設定になっている。当時の女性は,聖アンヘラスの鐘を合図に川で水浴する風習があったのだそうだ(中丸 明,「スペイン5つの旅」)。

メスキータ見学は,免罪の門からオレンジの中庭を抜け,シュロの門から礼拝堂へ入る。中は薄暗いが(教会に改造するとき,入り口をふさぎ仕切りの壁を作った)目が慣れてくると,大理石の石柱と楔形の煉瓦を組み合わせたアーチが広がり圧倒される。イスラムのミフラーブ(Mihrãb,メッカの方角を示す聖がん),キリスト教会の祭壇が混在している様子に,あなたは「何だ,これは?」と思うだろう。この異様さは,歴史をひもとけば理解できる。

この場所は,まずローマの神殿が建てられ,侵入してきた西ゴート族がサン・ビセンテ教会を建て,さらにイスラム教徒がモスクを建て,最後に国土を回復したキリスト教徒が教会を・・・と歴史的変遷を経ている。

少し詳細に述べよう8世紀に占領したモーロ人は最初教会の半分だけをモスクとして利用していた。初期のイスラム教徒は,キリスト教徒を同じ啓示の民として尊重し合い,金曜日にはイスラム教徒が,日曜日にはキリスト教徒が礼拝した,共存の時代があったのだという。ただ,当時の教会はもともとキブラ(メッカの方向を示す壁)と無関係な方向に建てられていたため礼拝に不便なことから,教会を壊しモスクに改築することにし,その後三次にわたる増築を重ね,間口137m,奥行き174mを完成させた。このモスクは990年の頃,メッカに次ぐ二番目の大きさだったという。礼拝堂には18列の石柱が並び,総数は1,012本に及んだ。「石柱の森」と呼ばれるにふさわしい光景であったろう。中庭と礼拝堂を合わせると6万人が礼拝できたという。石柱の上には二段のアーチが乗せられ,安定性と荘厳さを見せている。

そして,レコンキスタ(キリスト教徒の国土回復運動)でメスキータを大聖堂に転用しようとする。当初は,現在のビジャビシオサ礼拝堂のように,従来の建築美を壊さない配慮がなされていたが,16世紀になって行われた大改造では石柱多数を取り除き,中心部に祭壇や聖歌隊席などからなる大聖堂を作った。

国王カルロス一世は,後にこの聖堂を訪れ,「どこにでも作れる建物のために,世界に一つしかない建物を壊してしまった」と,現場を見ずに工事許可を与えたことを嘆いたという。それでも,大改造で建築主任を務めたエルナン・ルイス親子がメスキータの価値を認識し,設計施工に苦心したおかげで,被害は最小限に抑えられ,現在の姿をとどめているのだと伝えられている。

929年に即位したアツラーフマン三世の時代にコルドバは最盛期を迎え,人口は50万人,300ものモスクを抱え,東ローマ帝国の首都であるコンスタンテイノーブルと繁栄を競った。この頃,40万冊の蔵書を誇る大学が建てられ,諸外国から学生を集め,教授陣はアラビア人が担い,ギリシア古典がアラビア語に,さらにラテン語に翻訳されて西欧諸国に広まったといわれる。ウマイヤ朝の首都であるコルドバで、イスラム文化が花開いたのである。

歴史の生き証人コルドバ大聖堂に,あなたは何を思いますか。宗教に共存はあるのでしょうか

メスキータを出てユダヤ人街を歩く。迷路のように入り組んだ道,白い壁に花の小鉢が飾られ,この街は旅人の心を癒してくれるだろう。ただ,王国の経済を支えてくれると歴代カリフに厚遇されたユダヤ人も,レコンキスタ終了後のユダヤ人追放令で追われている。

 

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