ガルトネルのブナ林
国道5号線で函館から大沼公園に向かい,七飯町の市街地を過ぎる頃,道路の右側に「ガルトネルのブナ林」と呼ばれる小さなブナ樹林を見ることができる。プロシア(現ドイツ)から箱館にやってきた貿易商 R.ガルトネルが,蝦夷共和国総裁榎本武揚から七重村開墾地約300万坪を99か年借りる条約を結び,蝦夷地の開墾・植民地を夢見て望郷樹として植えた苗木が,140年の樹齢を重ね今にその姿を見せているものである。
この条約は,その翌年に列強諸国による植民地化を恐れた開拓使が多額の賠償金を支払い苦労の末に解約し,事なきを得たが,日本の政治体制変革期における蝦夷地・北海道を舞台にした外交問題,謎が残るガルトネル事件として知られている。ガルトネルから返還された農場の場所は,その後開拓使の開墾場(後の七重官園)となり,北海道開拓の重要な拠点となった。現在,このブナ林を含む一帯は保護林として保存されている。
北海道開拓時に道南の七飯村で繰り広げられたガルトネル事件の経緯を,田辺安一氏は一冊の新書版として世に問うている。田辺安一著「ブナの林が語り伝えること」―プロシア人 R.ガルトネル七飯村開墾顛末記―(北方新書012,北海道出版企画センター発行,定価1,260円)である。著者の田辺安一さんは,北海道立農業試験場・畜産試験場で牧草の育種や草地の研究に従事され,新得畜産試験場長を最後に退官された先輩であるが,退職後はエドウイン・ダンの研究者として知られている。
著者は,10余年の歳月をかけて調べ上げた膨大な資料を駆使し,ガルトネル事件の経緯を読みやすい小説風に執筆している。読み進むにつれ,ガルトネルの胡散くさい印象が薄れ,篤実な農学者の一面が洗い出されてゆく。ガルトネルは,多くの作物品種,果樹,農機具等を導入試作し,いわゆるプロシア農法を北海道で実現しようと試みた。北海道開拓における西欧農法導入の嚆矢として(開拓使がケプロンを招聘したのは,ガルトネルが帰国した年にあたる),ガルトネルの試みは昨今再評価の動きが高まっている。
本書は,北海道農業の発達史に関する手引き書としての価値が高い。読み終えて,ブナ林をもう一度訪れたい気持ちが湧きあがった。なお,本文の一部は本書の「はしがき」から引用している。
参照:土屋武彦 2010「田辺安一著,ブナの林が語り伝えること,プロシア人R・ガルトネル七重村開墾顛末記(書籍紹介)」北農77(4)452
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