豆の育種のマメな話

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南米に対する技術協力はニクソンの大豆禁輸措置から始まった

2012-02-25 14:32:52 | 海外技術協力<アルゼンチン・パラグアイ大豆育種>

日本が南米への大豆技術協力プロジェクトを開始したのは1973年(昭和48)の「大豆ショック」(今から40年ほど前になるが,ニクソン大統領が「大豆輸出禁止」を宣言して,世界中を大豆ショックが襲った)がきっかけである。

 

1977年(昭和52)アルゼンチンに対する「大豆育種技術協力」が開始され,1979年(昭和54)にはブラジルに対する「セラード開発事業」とパラグアイに対する「農業開発技術協力」が開始された。それぞれの事業は長期間にわたって推進され,多大な成果を残して終結した。終結年次は,それぞれ1984年(昭和59),2001年(平成13),2002年(平成14)である


付表:南米に対する技術協力,Inicio de la cooperación técnica de soja en Sudamérica

 

 

 

日本の投資は,対象国の経済発展及び技術力向上に寄与した。一例として,大豆生産量の増大を指標にとってみよう。

 

FAOの統計データによれば,1973年(昭和48)世界の大豆総生産量は5,900万トンで,USAと中国で85%を占めていた。この時ブラジル500万トン,アルゼンチン27万トン,パラグアイ12万トンに過ぎず,三国あわせてもUSA10%に至らなかった。しかし,2010年(平成22)には世界の大豆総生産量が26,100万トン(4.4倍)の中で,ブラジル6,800万トン(14倍),アルゼンチン5,200万トン(194倍),パラグアイ750万トン(62倍)に達した。これら三国で世界の49%を占め,ウルグアイとボリビアを加えれば世界の過半に達する。

(付表:世界大豆生産量の推移,Producción de soja

 

 

 

 

食糧事情が逼迫する状況の中で,食糧基地として南米の立場は強くなっている。南米諸国が日本を友好国として接してくれるのは,日系移住者の努力もさることながら,長年の経済協力(技術協力)によって培われた人間関係が大きいと思われる。

 

日本の投資による南米諸国の経済向上は,結果として,日本車や電気製品など工業製品の輸出増加にもつながり,外交政策面でも日本に友好的な対応を示し,わが国にとって利するところ大である。20113月の東北大震災に寄せられた支援も一つの証左でなかろうか。

 

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1 コメント

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大豆の育種に関して、かなり熱帯産の大豆の特徴が... (澤田一郎)
2014-06-04 02:50:57
大豆の育種に関して、かなり熱帯産の大豆の特徴が加えられたと聞きますが、とにかく現在ブラジルで栽培されている大豆はいわゆる日本の夏大豆・秋大豆区分で言われる有限生育型とは異なり、日長の影響を受けずに無限生育する(生育と開花が同時に進行する)タイプの大豆に改良されたようですね。
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