日本が南米への大豆技術協力プロジェクトを開始したのは,1973年(昭和48)の「大豆ショック」(今から40年ほど前になるが,ニクソン大統領が「大豆輸出禁止」を宣言して,世界中を大豆ショックが襲った)がきっかけである。
1977年(昭和52)アルゼンチンに対する「大豆育種技術協力」が開始され,1979年(昭和54)にはブラジルに対する「セラード開発事業」とパラグアイに対する「農業開発技術協力」が開始された。それぞれの事業は長期間にわたって推進され,多大な成果を残して終結した。終結年次は,それぞれ1984年(昭和59),2001年(平成13),2002年(平成14)である。
付表:南米に対する技術協力,Inicio de la cooperación técnica de soja en Sudamérica
日本の投資は,対象国の経済発展及び技術力向上に寄与した。一例として,大豆生産量の増大を指標にとってみよう。
FAOの統計データによれば,1973年(昭和48)世界の大豆総生産量は5,900万トンで,USAと中国で85%を占めていた。この時ブラジル500万トン,アルゼンチン27万トン,パラグアイ12万トンに過ぎず,三国あわせてもUSAの10%に至らなかった。しかし,2010年(平成22)には世界の大豆総生産量が26,100万トン(4.4倍)の中で,ブラジル6,800万トン(14倍),アルゼンチン5,200万トン(194倍),パラグアイ750万トン(62倍)に達した。これら三国で世界の49%を占め,ウルグアイとボリビアを加えれば世界の過半に達する。
(付表:世界大豆生産量の推移,Producción de soja)
食糧事情が逼迫する状況の中で,食糧基地として南米の立場は強くなっている。南米諸国が日本を友好国として接してくれるのは,日系移住者の努力もさることながら,長年の経済協力(技術協力)によって培われた人間関係が大きいと思われる。
日本の投資による南米諸国の経済向上は,結果として,日本車や電気製品など工業製品の輸出増加にもつながり,外交政策面でも日本に友好的な対応を示し,わが国にとって利するところ大である。2011年3月の東北大震災に寄せられた支援も一つの証左でなかろうか。