豆の育種のマメな話

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私の「本づくり」第6話 :「恵庭の記念碑」「恵庭の彫像」「恵庭の神社・仏閣・教会堂」を自費出版する

2021-12-07 09:37:23 | 恵庭散歩<本のまち、私の本づくり>

私の「本づくり」第6話

私の恵庭散歩シリーズを自費出版する(2017)

七十代には恵庭市長寿大学で学びながら市内の記念碑や彫像を調べ歩き、3年かけて私の恵庭散歩シリーズ「恵庭の彫像」(A5版68p)、「恵庭の記念碑」(A5版80p)、「恵庭の神社仏閣教会堂」(A5版90p)を自費出版した。写真と手書きの地図を載せ、平易な文章で解説を加えた。散歩途中に立ち止まり巷の文化財に触れて欲しいと願いを込めた。「郷土の歴史文化を知ることが故郷を愛することに繋がる」との言葉を添えて、教育委員会や学校図書館へも寄贈した。恵庭市にはこの種の資料や冊子が無かったので、「こんな冊子が欲しかった」と恵庭市観光協会が道の駅で販売してくれた。

この出版にはおまけがあって、恵庭・千歳市全戸配布の情報誌「ちゃんと」にコラム「恵庭散歩」を掲載する羽目になり、1年間寄稿を続けた。

こんな出来事もあった。或る小学校の前庭に腕が折れかかった彫像があるのを見つけ、著名な彫刻家(坂 担道)の初期作品であると指摘し、著名な作家の作品が恵庭の地で朽ちるのは忍びない。このままでは、恵庭市民は文化遺産を守ることに冷淡だと言われかねない。子供たちに「芸術作品も自然界においては朽ち果てるものです」と教えるのか、「ものを大切にしましょう」と語り掛けるのか、子供たちは毎日壊れかけた此の像を見ていると書いた。このことが修復計画を後押ししたのか、翌年には同校PTAが費用を捻出し、彫刻家原田ミドーの協力を得て彫像は修復された。台座には全校児童336人がタイルを張り付け修復を祝ったと言う。言い過ぎたかと自省していたが、嬉しい結末だった。

(新聞記事は、ちゃんと2017.6.9、千歳民報2017.7.14)

本誌の内容をご理解いただくために、各号の「目次」と恵庭の彫像の「序文」「あとがき」を引用する。

 

◇私の恵庭散歩(1)「恵庭の彫像」目次

はじめに

(1)恵庭大橋に立つ「季節の乙女像」:鈴木吾郎「こぶし」「もみじ」/本間武男「夏の日」「雪の朝」

(2)恵庭市立図書館にある鈴木吾郎の四作品:「ふえ」「YUKA17」「YUKA」「女・風髪」

(3)恵庭市立図書館にある山名常人と中村矢一の作品:山名常人「進取の像」/中村矢一「望」「はるかぜ」

(4)恵庭開拓記念公園にある竹中敏洋「拓望」の像:竹中敏洋「拓望」/二口大然「二宮尊徳幼時の像」

(5)ユカンボシ川河畔公園彫刻広場の作品:佐藤忠良「えぞ鹿」/渡辺行夫「ドン・コロ」/植松圭二「樹とともに-赤いかたち」/山本正道「時をみつめて」/丸山隆「Cube」/山谷圭司「にぎやかな遡行」

(6)庭市総合体育館の壁画彫刻竹中敏洋「躍動と天然の美」と鈴木吾郎「こぶし」「もみじ」

(7)恵庭駅前の少女像、山本正道「すずらんに寄せて」

(8)恵庭市民会館前庭の「平和の像」:作者不詳「平和の像」

(9)茂漁川のレリーフ「鮭の一生」:作者不詳「鮭の一生」

(10)めぐみの森公園にある本田明二の「道標-けものを背負う男」

(11)大安寺山門に立つ「金剛力士像」:作者不詳「金剛力士像」

(12)恵庭市民会館にある杉村孝の「双体童(わらべ)像YÛKÔ」

(13)坂 坦道の初期作品、島松小学校「よい子・つよい子像」

(14)路傍に祀られるお地蔵さん「地蔵菩薩」:鈴木家の地蔵(島松沢)/山神(島松沢)/六地蔵(上山口)/八十八か所地蔵(弘隆寺)/六地蔵(大安寺)/六地蔵(龍仙寺)/交通安全地蔵(島松沢)/交通安全守護地蔵尊:(和光)/交通安全の碑(上山口)

あとがき

 

◇私の恵庭散歩(2)「恵庭の記念碑」目次

はじめに

(1)先人の偉業をたたえる「開拓の碑」:山口県人恵庭開拓記念碑/富山県人開拓之碑/惠南開拓之碑/恵庭開拓記念碑「拓望」/康和魂

(2)開拓を支えた治水事業「共同用水記念碑」:漁共同用水記念碑/紀念柏木用水之碑/盤尻用水記念碑/紀念碑島松共同用水/拓土農魂之碑

(3)先人の偉業を讃える「表徳碑」:林清太郎表徳碑/天野先生之碑/記念實勇

(4)開拓を支えた家畜を供養する「馬頭観音」「獣魂碑」:馬頭観世音菩薩(島松沢)/馬頭観世音菩薩(恵庭墓苑)/馬頭観世音菩薩(下島松)/馬頭観世音(惠南)/獣魂碑(盤尻)/馬頭観世音菩薩(弘隆寺)/牛頭大王(惠南)/獣魂碑(西島松)/家畜慰霊供養塔(西島松)/乳牛感謝の碑(恵庭公園)/鳥獣供養の碑(市営牧場)

(5)日清・日露戦争の戦没者を祀る「忠魂碑」:忠魂碑(島松神社)/皇軍戦没者招魂供養之碑(大安寺)/忠魂碑(中恵庭公園)

(6)恵庭村「道路元標」と「漁村戸長役場跡の碑」:恵庭道路元標/漁村外一か村戸長役場跡の碑

(7)消えた「里程標」、古地図にみる「六里標」「七里標」「八里標」:六里標(島松沢)/七里標(柏陽)/八里標(惠南)

(8)行幸記念の碑:漁村帷宮碑/御前水跡/聖蹟記念碑(前方記念碑)/聖蹟記念碑(後方記念碑)

(9)恵庭ライオンズクラブの記念碑「憩の庭」:憩の庭(恵庭公園)

(10)新しく歴史を刻む「拓望」「飛翔」の碑:恵庭工業団地「拓望」/恵庭テクノパーク「飛翔」

(11)開校記念の碑:開校百年の碑(恵庭小)/拓学の碑(恵庭北高)/校舎建立跡地の碑(島松小)

開校百年記念モニュメント「希望」(島松小)

(12)廃校の跡地に立つ「松園校跡地記念碑」:松薗校跡地記念碑/松鶴小学校跡地/盤尻小中学校跡地

(13)恵庭神社「遥拝所跡」とイザリブト番屋・船着場:恵庭神社遥拝所跡の碑/イザリブト番屋と船着き場

(14)恵庭「稲作事始め」、中山久蔵より前に稲作を試みた高知藩:寒地稲作この地に始まる(中山久蔵)記念碑と恵庭

(15) 恵庭「北の零年」、開拓の先駆け「高知藩」:建立されなかった高知藩開拓の碑

あとがき

 

◇私の恵庭散歩(3)「恵庭の神社・仏閣・教会堂」 目次

はじめに

1 神社の章

(1)大国魂大神と豊宇気姫神を祀る「豊栄神社」

(2)加越能開耕社ら移住者が創祀した「恵庭神社」

(3)島松住民と共にある「島松神社」

(4)柏木・北柏木・柏陽地区が祀る「柏木神社」 

(5)恵庭開拓期以前の神社「弁天社」「稲荷神社」 

2 寺院の章

(1)恵庭の古刹「千歳山天融寺」(真宗大谷派) 

(2)恵庭の古刹、禅宗の寺「天瑞山大安寺」(曹洞宗) 

(3)弘誓を山号とする「弘誓山本誓寺」( 浄土真宗本願寺派)

(4)漁村のお西さん「敬念寺」(浄土真宗本願寺派)

(5)六線のお寺「恵庭山島松寺」(真言大谷派)

(6)金毘羅大権現を祀る寺「金毘羅山弘隆寺」(高野山真言宗派)

(7)日蓮宗の寺「龍王山妙正寺」(日蓮宗)

(8)紫雲台孝子堂宝物館で知られる「紫雲山宝林寺」

(9)開拓時代に役割を果たした「日勝寺」(法華宗真門流)跡

(10)どうなる? 平成の「お寺さん」

3 教会堂の章

(1)恵庭で最初に活動を始めた「日本キリスト教団島松伝道所」

(2)ローマ教皇を頂点に「カトリック恵庭教会」

(3)恵庭にあるプロテスタント系教会:恵庭福音キリスト教会/日本福音ルーテル恵み野教会/インマヌエル恵庭キリスト教会/めぐみ聖書バプテスト教会

(4)その他のキリスト教会:末日聖徒イエス・キリスト教会千歳恵庭支部/エホバの証人の王国会館

あとがき

 

◇「恵庭の彫像」はじめに

・・・ある日、自分が住んでいる街をよく知らないことに気づいた。この地に居を構えてから四半世紀が経過したにも関わらず、である。

仕事の関係で十勝・上川・道南に住み、果ては南米アルゼンチン、パラグアイに暮らすなど、長い間この家を留守にしていたことが原因かも知れない。札幌や長沼に通勤していた頃も、早朝に家を出て夕方遅く帰宅する日常だったので、この街を鑑みる余裕がなかったのだ。

ある日、この街を知ろうと思った。仕事から解放されたのを機会に恵庭散歩を始めると、これが結構面白い。「花のまち」を標榜するだけあって、ガーデニングに対する市民の取り組みは熱心だし、図書館、郷土資料館、総合体育館など高度成長期に整備した施設も立派なものだ。市民憩いの公園も整備されている。農業や商業など諸産業も頑張っている。だが待てよ、何かが物足りない・・・ふと、思った。

ある日、この街の歴史を知ろうと散歩に出た。開拓の歴史を刻む記念碑、神社仏閣を訪ねた。芸術の証しはないかと彫像を探し求めた。歴史については恵庭市史や恵庭昭和史研究会の既刊資料が、記念碑については郷土資料館ホームページが参考になったが、十分とは言い難い。彫像については一覧表さえないことを知った。文化が脆弱なのだ。

 時代は超高齢社会、いわば成熟社会だ。多くの方々が健康のために歩いている。散歩の途中に、彫像の芸術性に触れ、記念碑や神社仏閣に歴史を偲ぶことが出来れば、散歩は一層楽しくなるに違いないと思った。 

 ある日、私の体験を「恵庭散歩」シリーズとして取りまとめようと考えた。本書を手にした恵庭の子供らや若者が、故郷を知り誇りに思うことが出来れば、これに勝る喜びはない。この街を訪れた人々が、恵庭の魅力探訪の道標として本書を手に取って頂ければ幸いである。

本書は「恵庭散歩」の第一巻、題して「恵庭の彫像」である。市内の野外彫刻を中心に取りまとめた。街角の彫刻は行き交う人の心を和ませる。手を触れた子供らの情緒を育む。例えば、恵み野駅前から「やすらぎストリート」「花さんぽ通り」へと彫像が置かれたら、なんと素晴らしいことだろう。

本書の発刊は、恵庭在住一市民の遊び心から始めたものだが、故郷を愛する気持ちだけは失うまいとの思いを込めている。・・・

◇「恵庭の彫像」あとがき

・・・恵庭市内にどんな野外彫刻があるのだろう? と彫像を探訪する私の恵庭散歩は、これまでに足掛け3年を要した。まだまだ気づかない作品はあるだろうが、ひとまずここに取りまとめることにした。

恵庭市は「花のまち」を標榜するだけに、四季の草花が彩を添えてはいるが、率直に言って街の風情は奥行きが無い。歴史が浅く、新興住宅地が多い恵庭の宿命と言えなくもないが、もう少し芸術作品に触れる環境を醸成し、潤いのある「まちづくり」を念頭に置くべきだろう。

花ロードに彫像があり、街灯や店の看板にセンスが感じられ、ウインドウに作品が飾られる。花と緑に芸術が調和した街、誰もが誇りに思える恵庭でありたい。・・・

 

◇追録

本書に記載出来なかった記念碑情報は拙ブログ「豆の育種のマメな話」に追録したのでご覧頂きたい。例えば、「中野五一作二宮金治郎像が郷土資料館にあった」「恵庭島松小学校、よい子・つよい子像修復」「いくみ会館前庭の記念碑“育み野”」「市役所前の恵庭市民憲章碑」「市役所前庭の恵庭・テイマル姉妹都市締結10周年記念碑」「恵庭に建立された松浦武四郎歌碑」「茂漁川河川緑地のモニュメント翠光(すいこう)」「恵庭と松浦武四郎」「島松試験地、ばれいしょ農林1号、キタアカリの故郷」「恵庭の森林鉄道」「島松川上小学校の門柱は何処へ行った? 廃校跡を訪ねる」「北島松小学校の門柱、廃校跡を訪ねる」「鶴岡学園創立者、鶴岡新太郎、鶴岡トシの胸像」「タイムカプセルを埋めた記念碑“自愛”」などである。いつの日か追録した第二版を世に出したいものだ。

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