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私の「本づくり」第7話 :「幼少期の記憶」を編集出版する

2021-12-08 09:26:56 | 恵庭散歩<本のまち、私の本づくり>

私の「本づくり」第7話

「幼少期の記憶」を編集出版する(恵庭市長寿大学大学院第17回生幼少期を語る会2020)

2020年(令和2)3月、一冊の冊子が発刊された。恵庭市長寿大学大学院第十七回生幼少期を語る会編「幼少期の記憶」(A5版、74p)である。発行に至る経緯は本誌「はしがき」「編集後記」に紹介されているのでご覧頂きたい。

筆者は学年幹事だったことから、本誌の企画、編集、印刷、製本作業に携わった。編集及び印刷は自宅のパソコンとプリンターで行い、製本はホームセンターで万力・糸鋸・ボンドなどを調達して無線とじ製本に挑戦した。新型コロナの影響で修了式が中止になり、修了証書は郵送されることになった年である。外出自粛を余暇なくされたが、おかげで製本作業を行う時間が十分とれた。出来上がった冊子を教育委員会へ持参、担当者のご好意で裁断機でのトリミングを行った。冊子は修了証書と一緒に学年の仲間に届けられた。良い記念になった事だろう。

冊子は恵庭市教育委員会及び恵庭市立図書館でご覧頂ける。

◇「幼少期の記憶」はじめに

私たちは歴史から多くを学ぶことが出来る。戦争体験からは今後二度と戦争を起こしてはならぬと思い、どうしたら戦争を回避できるかを考える。地震や水害の被災体験からは堤防を築き安全な場所に住むことを考える。私たちは、歴史の教訓を現在の暮らしに生かし、未来設計に役立てているのだ。

ところで、歴史とは何だろう? 歴史は、古文書や公文書、映像、遺跡などに残された記録を掘り起こし、それらを検証し、集大成したものと言えるのではあるまいか。この時の資料は国立国会図書館に集積されるような公の記録に限定されるものではなく、市井の人々の暮らしの記録も価値ある資料となり得る。従って、私たちが次世代に語り継ぐこと、記録に残すことは極めて重要と思われるが、記録を残すことに対して私たちはかなり無頓着である。

この冊子は、恵庭市長寿大学大学院第十七回生の仲間が「幼少期を語る」と題して、子供の頃の記憶を辿りその一端を取りまとめたものである。著者の年齢は69歳から83歳なので、幼少期と言えば第二次世界大戦終盤から戦後の復興期にあたる。今の若い皆さんには、知らないこと理解できない場面が多々あろうが、これも真実、歴史の一コマなのだ。この冊子をお読みになった皆さんが、「こんな時代があったのか」と些少なりとも何かを感じ取って頂ければ有難い。

戦後、個人の権利と自由を尊重する個人主義が過剰なまでに浸透した結果、核家族化が進み、三世代同居の家は少なくなった。当然のことながら、爺婆が孫たちに昔の体験を語る機会も少なくなった。今の若い皆さんは、戦争の悲惨さや戦後の貧しさを教科書で習う歴史の一事象としか認識していないだろう。いつの日か、この冊子を読んだ孫たちが戦争戦後の暮らしを知り、「爺婆は無人島でも生きる残る知恵がある」と思い、「豊かさとは何か? 幸せとは何か?」を考えるに違いない。本誌には、そんな思いと期待を込めた。

高齢者にとって、昔を思い出すこと、文章化すること、編纂することはかなり大変な作業であった。五木寛之は「若者に対する年配者のアドバンテージは圧倒的な記憶の集積にある。高齢者は積極的に昔話をしたほうがいい」と述べているが、私たちもその言葉を信じ、思い出すこと書くことは「脳の活性化に役立つだろう」と作業に集中した。そして、本日ここに本冊子を上梓できたことは喜ばしい。

巻末には、私たちが生きた時代背景を理解頂くために、年表「私たちの生きた時代とその背景(昭和~令和)」を添付した。内容に誤りがあるかも知れない。ご叱正、ご指摘を賜れば幸いである。

◇「幼少期の記憶」目次

(1)はじめに

(2)幼少期の記憶(大﨑能永)

(3)思い出すこと(本林尚之)

(4)幼少期の想い出(宮﨑健一)

(5)私の幼少期(菊田曠)

(6)私の幼い日思い出(竹山惠美子)

(7)幼少期の記憶(コスモスの花

(8)私の幼少期(小山田やす子)

(9)今は亡き母と五歳の引き揚げ記(佐々木満里子)

(10)幼少期の食の思い出(千目留利子)

(11)子供の頃の思い出(牧田妙子)

(12)幼少期の思い出(水正幸江)

(13)幼少期、記憶の断章(土屋武彦)

(14)編集後記

(15)付表、私たちが生きた時代と背景(昭和~令和)

(16)表紙画「サイロの見える風景」(坂田眞利子)/本文写真・イラスト(土屋武彦)  

◇「幼少期の記憶」編集後記

平成30年4月に恵庭市長寿大学大学院に進学した私たちは、これまでの4年間とは違う、より深化した学習の場を模索していた。自主学習として取り組む案件を探していた。そんな折、懇親会の場で「子供たちはゲームに夢中、外で遊ばなくなった」「昔は暗くなるまで、友達と遊んでいたね」「家の手伝いがあたり前だった」「今の子供たちは、戦争の悲惨さも戦後の苦労も知らないだろう」等々の会話が広がった。

この会話には、スマホの深みにはまった孫たちを「ちょっと困ったものだ」と思いやる心と、今の世の便利さは確かに嬉しいことだが一方で、「異常気象」「環境汚染」「格差拡大」「排他主義」など何処かがおかしいと思い、隠蔽と傲慢な振舞いは歴史の中の「いつか来た道」に通じるのではないか、と時勢を憂える心が透けて見える。急激な経済成長や文明進化の過程で何かが変わり、何かを忘れてしまったのではないか、こんな時世だからこそ昔の体験を語り継ぐ意味があるのではないかと、私たちは考えた。

折しも、平成30年9月6日午前3時7分、北海道胆振東部地震発生、そして北海道全域停電。いわゆるブラックアウトは電気に依存した文明社会の欠陥を思い知らされる出来事であった。大勢の人々が食糧や電池を求めて走り廻る中で、怪我はなかったかと周りを気遣い、比較的落ち着いていたのは戦後を生きた高齢者であったように思う。この災害をきっかけに、昔を振り返り、語り、記録に残そうと言う機運が高まった。

〇 おしゃべり会の案内(院一学年通信第12号、平成30年12月5日)

〇 第1回「昼食会&おしゃべり会」(学年行事、平成31年1月30日)

〇 第2回「昼食会&おしゃべり会」(学年行事、平成31年4月24日)

〇 発刊協議(院二学年通信第7号、学年別自主学習、令和元年9月4日)

おしゃべり会には延べ69名の方が参加、十数名の方から貴重なお話を伺い、「そうだったね、私もこんな経験がある」と話が展開、有意義な時を過ごした。戦時・戦後の体験談からは二度と過ちを繰り返してはならないとの思いを強くした。そして、多くの方が「生きてきて良かった、今は幸せだ」と話を結んだ。冊子発刊協議で、「趣旨は理解できるが、語りたくない人もいる」「誰が読むのか」などの意見が出されたため、原稿提出は任意とし、有志(幼少期を語る会)として取りまとめることにした。

当初、各自の原稿は800~1,600字程度を想定したが、著者の熱い思いを汲み原文尊重、最終的には長短混載とした。「幼少期」の捉え方は各自多様であるが、貴重な体験、個性豊かな作品に出会えたことは幸いである。また、執筆を予定しながら期限の関係で寄稿できなかった方もいらっしゃるが、大学院修了前の発刊にこだわり取りまとめたのでご容赦を。これに懲りず、幼少期の記憶を語り続けていただけたら有難い。

本誌は、編集から印刷、製本まで手作りの簡易製本誌である。この拙い冊子に関心を持ち、ご一読頂いた皆様には心から感謝を申し上げる。

最後に、本冊子発刊に際し、議論に参加しご協力頂いた親愛なる学友の皆さん、長寿大学という学びの場を提供頂きご指導賜った大学事務局に対し、深甚の謝意を表します。有難うございました。 

令和2年3月15日 恵庭市長寿大学大学院第十七回生「幼少期を語る会」

◇後日談

本誌掲載の「今は亡き母と五歳の引き揚げ記」(佐々木満里子)が道新で取り上げられ、恵庭市民文芸47号に再掲された。

  

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